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おまけ話 メティン・メルト・ミュチャイトレルの活動報告

イゼット父の過去話になります。

 息子が人として生きていけるために体の中のほとんどの魔力を使い果たしてしまい、己の姿を保つことも困難となった。


 魔術師に無理矢理結ばされた契約が、元居た世界へと戻そうとしている。


 まだここに、多くの未練があった。


 息子の成長を見届けたい。

 この先、妻が元気で幸せに暮らしているかどうかを、確認したい。


 残った力を全て使い、この場に留まる為の魔法陣を展開させる。


 重たい体を引き摺りながら妻の部屋へと歩いて行ったが、途中で力尽きかけてしまう。


 妻と息子の部屋に魔法陣を敷こうと思っていたが、階段を昇る元気さえなくなっていた。

 壁に魔法陣を描くわけにはいかない。魔術研究局にでも通報されたらあっという間に剥がされてしまう。


 最後の力を振り絞って食堂まで行くまでは良かったが、部屋に入ってすぐに転倒してしまった。


 竈の中だったら魔法陣も見つかることもないと思っていたが、一歩届かず。


「――ん?」


 視界の斜め前にあったのは、食卓の裏面。


 私は悪魔であったが、思わず神に感謝をした。


 手を伸ばして食卓の裏に魔法陣を描いた。

 そして、私はその中に入って具現化出来るまで魔力を貯めることになった。


 ◇◇◇


「あら、お腹が空いたの?」


 ――ん?


「木の実のパンの焼ける香りに誘われて来たのね」


 ――ああ、エヴレン!!


 妻の声で目が覚める。

 私は一体どれだけ眠っていたのか。


「少し待っていてね。もう、さっき食べたばかりだと思っていたのに。食いしん坊なんだから」


 たくさん食べてしまうのは魔力を補給する為に必要なことだった。申し訳ないと思いつつも、人が食べる量より多くの物を摂らなければなあらない。


「はい、どうぞ」


 ゴトリ、と頭の上に皿を置かれる。


 ――ん?


「そんなに食べたら喉に詰まってしまうわ。ゆっくり食べて」


 ――んん?


 この時になってエヴレンが私に話しかけているのではないことに気が付く。


 目を見開いても地面しか見えない。これは、一体どういう状況なのか。 


 頑張って視線を横に向ければ、すらりとした脚が見える。


 これは、エヴレンの脚!?


 もう片方を見てみた。


 小さな足が床に付かずにぶらぶらと揺れている。


 この子供は一体!?


 ――????


 ゆっくりと状況を考えてみる。


 エヴレンと一緒に居るということは、もしかしてこの小さな足の持ち主は我が子なのだろうか!?


 起きたばかりで頭がよく働かない。

 だが、エヴレンの発言によって事態を理解することになる。


「イゼット、もうすぐ三歳の誕生日ねえ」


 ――イ、イゼットだと!?


 かつて、エヴレンと話をしたことがあった。

 生まれる子供が男ならば栄光という意味がある『イゼット』で、女ならば美しい魂という意味がある『アルザーン』という名前にしたいと言っていたことを。


 今、エヴレンの前に居るのは私の息子なのか?


 ――顔を、見たい!!


 しかしながら、どうしてか体が動かなかった。

 それに、何度もエヴレンを呼んだが、何も反応を示さない。


 ああ、そうだ。私は、あの時――。


 この時になって私は全てを思い出す。

 魔力を使い果たし、この世界に留まることが困難になっていたことを。

 苦肉の策として魔法陣の中に自身を封じ込めて、魔力の回復を行っていたのだ。


「三歳の誕生日は大きなパンを焼いてあげるわね」


 エヴレンは息子が三歳の誕生日だと言っている。


 ――た、大変だ! 寝過ごした!! 


 私は三年間も魔法陣の中で眠っていたようだ。


 ――く、悔しい!! 息子の顔が見たいのに全く見えない!! エヴレンの顔も見たい!! ぬぬぬ、脚しか見えぬ!!


 どうやら魔力は自我を保つ程度までしか回復をしていないようだった。


 ◇◇◇


 目が覚めたその日からどうにかして魔力の回復をしようと試みる。

 まず、食卓に置かれた食材から魔力を戴くことにした。

 魔力を貯めながら、術式の範囲を少しずつ広げ、更なる回復を狙う。


 初めこそエヴレンや息子の顔を見たいと躍起になっていたが、数日もすれば何とかして見ようとする激しい衝動も収まって来る。


 声だけしか聞こえないが、エヴレンは毎日楽しそうに暮らしていた。

 話を聞く限りでは息子も元気にすくすくと育っているように思える。


 息子の三歳の誕生日には一人ではしゃぎ過ぎて少しだけ食卓が揺れてしまった。

 思っていた以上に魔力は戻って来ているようだった。


「ねえ、誰か机揺らした?」

「いや?」

「いいえ?」


 エヴレンと義兄夫婦が突然揺れた食卓に首を傾げていたが、最終的にお転婆な姪、シェナイの仕業だということになっていた。


 ……あ、危なかった。


 もしも、魔術研究局に通報されて潜伏がバレたら大変なことになる。

 しばらくは大人しくしておこうと心に誓った。


 翌日。

 幼い子供の声が聞こえて来る。

 片方の幼子にしては達者な口を聞いているのはシェナイだろう。舌足らずな喋りをしているのは息子か。


 姪と息子が食堂に入って来る。


「本当に勝手に揺れたんだから!」

「しぇない、こわいよお」

「待って、確認をしたいのよ! 絶対に、ここにはなにかいるわ!」


 ――ヒェッ!?


 なんということなのか。まさか、私の存在に気が付く者が居たとは。

 さすがは我が姪っ子。と、喜んでいる暇はない。魔力を使って魔法陣を消し、息を潜める。


「机の下は! なにもないわね、よし!」


 ――ヒェッ!?


 魔法陣は消してあったのにビビってしまう私。


 鋭い眼差しで食卓を確認する姪。怖すぎる。


 でも、かわいい。子供はかわいいのだ。

 イゼットもかわいいに決まっている。絶対に。


 それからガサゴソと台所兼厨房を探しまわっていた。色々と危ないものもあるのでハラハラしてしまう。


「しぇない、おへや、かえろ?」

「きっと、どこかに逃げたんだわ!」


 姪子はもう一度机の下を確認する。


「どうして、机が揺れたのかしら?」


 ――息子の誕生日が嬉しくって、つい。


 なるべく感情を湧き立たせないようにと気をつけていたが、息子の誕生日ばかりは我慢出来なかったのだ。


 姪が机の下から出て行ったのでホッとする。


「ねえ、イゼット、あなたも机の下を見てみて!」

「え!?」

「こわくないから」

「…う、うん」


 黒髪の子が、机の下を覗き込んで来る。

 這いつくばって食卓の天井を見上げる子供が視界に入った瞬間に、様々な感情が押し寄せてきた。


 ――ああ、ああ、なんということだろうか。


 私は、初めてこの日、息子の姿を見ることが出来た。


 黒い髪に、つり上がった目は私に似ているのだろう。


 ――かわいい、かわいいなあ。私の息子は。


「ん?」


 ぼたり、と何かが地面に落ちて行く。


 ――ヒェッ!?


 床の上の水滴を見て心の中で悲鳴を上げる。

 私は食卓の癖に涙を流していた。

 息子は不思議そうにこちらを見上げている。


 食卓から水が落ちて来たことを姪に報告しないかハラハラしてしまったが、息子はなにも言わないで出て行った。


 息子が幼子で良かったと、心から思う。


 ◇◇◇


 それから私は家族を見守り続けた。

 魔力が回復すれば多少は動き回れるようにもなる。


 魔法陣を木製のカップに移し、コロコロと回りながら移動をする。


「あら、なんでこんなところに?」


 ――……。


 何度かはエヴレンや義兄に見つかって台所へ戻されてしまう。

 あの兄妹は小さなことを気にしないので良かったが、義姉や姪に発見されていたらちょっとした騒ぎになっていたかもしれない。


 魔法陣の移動は魔力を消費する。さらに、移した物体を動かすのも魔力を消費するので、数日間はひたすら眠って回復をする、ということを繰り返していた。


 そんな日々のなかで、ある野望が生まれていた。


 それは、エヴレンの風呂を覗く、ということだった。


 もう、何年も妻の裸体を見ていない。

 見るだけなら許されるだろう。


 しかも、毎日息子と一緒に入浴しているというではないか!

 絶対に見たいに決まっている!


 その日は、早朝に作戦を遂行した。

 エヴレンの木製カップに魔法陣を移し、食卓の上から転がり落ちて風呂場へと急ぐ。


 途中、早起きした姪が風呂場の向かいにある洗面所へ駆けこんだ時は息が止まるかと思った。

 即座に端に寄って、壁の木目とどうにかして同化しようと角度を調整した。


 なんとか、奇跡的に見つからずに済んだようだ。

 ホッと安堵の息を吐きながら転がって行く。


 そして、初めて風呂場への到達を達成した。

 どこに隠れようかと風呂場を見渡せば、桶があったことを思い出す。

 カップのままで身を潜めることを止めて、魔法陣を桶に移した。


 これで大丈夫!


 私は桶の身となってエヴレンの入浴を待つことにした。


 夜まで待機すること数時間。

 風呂場の扉が開く音が聞こえてハッとなった。


 ――エ、エヴレンッ!!


 視界を最大展開させた。

 風呂場の様子が目の前に広がる。

 上下左右、様々な角度から周囲を見ることが出来る魔術をこの日の為に自作していたのだ。


 浴槽から漂う湯気でまだ何も見えない。


 ――早く、早く、エヴレン!! あと息子!!


 逸る気持ちを抑えつつ、視界が晴れるのを待った。


 ちゃぷんと湯に浸かる音が浴室に響き渡る。


 聞こえる水の音だけでも興奮してしまった。


「あああ、ううううん~~」


 ――……。


 風呂に入って来たのは義兄だった。


 私はそっと視界を閉じた。


 ◇◇◇


 このように、長い間具現化出来ない身となっていたが、息子の成長を見守り、妻が明るく元気に働く様子を眺め、義兄家族の助けに心から感謝をする毎日を送っていた。


 私は、それらの日々に満足していたのだ。


 だが、息子が連れてきたある女性の同居をきっかけに思いがけない展開となる。


 具現化に成功して、再び家族と人生を歩むことになった。


 私は最大級の幸福を手にした淫魔だった。


 『メティン・メルト・ミュチャイトレルの活動報告』おわり


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