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七十話

 朝、カーテンの隙間から差し込む光でアイセルは目覚める。

 今までの人生の中で一番すっきりとした状態だった。

 魔力から感じる倦怠感はまったくない。全身のだるさはあったが、それはまた別の話だろう。


 隣を見ればイゼットが背中を向けて眠っていた。

 アイセルが身じろいでも目を覚ます気配はない。


 起き上がれば自らが一糸まとわぬ姿だということに気が付いた。

 周囲を見渡せば、円卓の上に丁寧に折りたたまれた寝間着がある。

 庶民生活を送っていたアイセルであったが、未だ衣服を綺麗に畳めない。なので、寝間着はイゼットが畳んで置いてくれたということになる。


 手先が器用な夫を喜ぶべきなのか。複雑な心境で着込んだ。


 寝台の上に座り込んだ状態でぐっと体を伸ばす。

 今になって喉の渇きを覚えたので、円卓の上にあった水をカップに注いで三杯程飲み干した。


 先ほどからがさごそと行動しているのにイゼットは身動ぎすらしなかった。


「まさか!?」


 アイセルの魔力を吸収し過ぎて体調を悪くしているのでは!? と思い、寝顔を覗き込む。


 確認をすれば心配事は杞憂であるであるとわかった。

 イゼットはぐっすりと深く眠っているだけだった。


 実家で寝顔を覗いた時は常に眉間に皺を寄せて、寝苦しそうな様子で眠っていたが、現在の眠る表情は安らかなものである。

 無限に魔力を集めると言われている耳飾りは今までみたことがないほどの濃い青色になっていた。耳に触れたら通常通りの働きをしているように感じる。

 耳飾りはアイディンにアイセルの魔力を受け止めることが可能か調べて貰っていたのだ。

 結果は問題ないとのこと。淫魔の耳飾りは神杯と同等の代物だった。


 魔力過多で眠れなかったアイセルと同じように、イゼットも魔力不足で眠れなかったのかもしれないと考える。


 背中を前に座っていたアイセルは、あるものに気が付いた。


 背中に走る二本の傷。

 生まれた時に父親から千切られた羽の痕だ。

 額にも角があった跡があると言うが、背後から指先で触れてみてもわからない。

 たまに前髪を上げているときもあったが、そのような傷はなかったように思える。


 アイセルはイゼットの正面に回り込んで額を確認しに行った。

 近づいて見てみたら、確かにそのような跡があった。

 背中のものとは違ってほとんど消えかけていることがわかった。


 その後一安心したところで、じっと夫の顔を観察する。


「……ふふ」


 イゼットの顔を眺めていたら、自然と笑ってしまった。


「可愛い」


 何度か寝ている姿を覗き見たことがあったが、顰めた顔で眠っていたので可愛いものではなかったのだ。


 イゼットは無防備な寝顔を見せていた。

 誰かに見せたいという衝動が湧きたってくる。


 だが、このような顔を見ることが出来るのは妻の特権だと気付き、今は独り占めさせて貰おうと思った。


 アイセルは立ち上がったついでに風呂に入ることにした。


 ◇◇◇


 昨晩同様に食事は部屋に運ばれてきた。


 焼きたてのパンに、濃厚なミルクスープ、炒った卵にカリカリのベーコン。


 アイセルが美味しそうに食べる様子を見ながら、イゼットは本当に良かったと心から思う。


「そういえば、イゼットさん」

「なんだ?」

「体は大丈夫か?」


 危うく口に含んでいた水を噴き出しそうになった。

 なんとか飲み込んでから返事をする。


「それはこっちが聞かなければならないことだろう」

「私は見ての通り、元気もあるし、食欲もある。それに驚くほどよく眠れたが」

「それは良かった」


 イゼットの体も過去最高に調子が良かった。

 淫魔の本領を発揮したのだなと考える。


 朝食を終えたら腹休めをするために長椅子でゆったりとした時間を過ごす。


「しかし、一週間も休むとなると申し訳なく思うな。父上は大丈夫だろうか」

「……自分の親父の元の職業を忘れていないか?」

「ああ、そうだった!」


 そんな気の抜けた会話をしながら、今後の予定について話す。


「今日は半日移動だったか」


 日程表が記された紙に視線を落としながら言う。


「新婚旅行先に観光地を選ばずに田舎の村を選ぶとはな」

「いいではないか。私はイゼットさんさえ居ればどこでもいい」


 それに、イゼットは人混みを嫌うだろうとも指摘した。


「ああ、そうだったな」


 湖で小舟に乗り、魚釣りをして、花を摘む。

 喧噪とは縁がない自然が豊かな村でイゼットとアイセルはのんびりと過ごした。


 ◇◇◇


 それからの生活は驚くほど平和なものであった。

 アイセルとイゼットは休日が被れば下町のパン屋の手伝いに行く。


「息子よ! 父の作ったパンを食べるがいい!」

「いや、今腹減ってねえし。後で食べるから」

「や、焼き立てが一番美味しいというのに……」


 父メティンのパン職人修行は順調に続いているようだった。

 上手く出来たパンを持って喜んで息子に駆け寄って行ったが、釣れない態度を返されてしまう。


 しょんぼりとする父親を見て、イゼットは一口だけ食べると言った。

 メティンは嬉しそうな顔でパンを一口大に千切り息子の口元へと持って行った。


「……」

「ほら、口を開けぬか」


 ここで拒否したらまたいじけて面倒臭いと思ったので、イゼットは素直に口を開いて父親の「あ~ん」を受け入れた。


 どうしていい年をした父子がこのような真似をしなくてはならぬのかと眉間に皺を寄せながらパンを噛んで飲み込む。


「ど、どうだ?」

「……まあまあ、美味い」

「そうだろう!!」


 ご両親にも食べて貰うと良いと嬉しそうに言いながら特製のパンを紙に包む。


 かつて淫魔だった男は、現在はどこにでも居る家族を愛する中年親父となっていた。


 ◇◇◇


 アイセルの兄、アイディンは相変わらずである。


「やあやあ、昨晩はお楽しみだったようで!」

「うるせえよ」


 挨拶のように昨晩は~と言って来るのでイゼットもうんざりしているが、今に始まったわけではなかったので、気にしたら負けだと思っている。


 そんなアイディンにも変化が訪れていた。

 最近どうだと聞けば、真剣に女性の尻を追い掛けている最中だと語った。


 アイディンに目を付けられた気の毒な人物は三十代の騎士団・親衛隊所属という肩書きであった。アイセルの結婚式で出会ったと言う。


 イゼットは捕まらない程度に頑張れと応援した。


 ◇◇◇


 イゼットとアイバクの関係も相変わらずであった。

 早起きをして剣を交え、おにぎりを食べる。

 変わったことと言えば場所が騎士隊の広場から公爵家の庭になった位か。


 最近はイゼットの実家のパン屋にも足繁く通っているようで、父メティンとも交流をしているようだった。


「この前はメティン殿と二人で喫茶店を開きたいと言う話で盛り上がったぞ」

「……」


 アイバクはおにぎりを使った料理を出し、メティンはパンを使った料理を出すと言う。

 出される料理に統一感もないし、親父二人が開く店など流行るわけがないと思ったが、イゼットは指摘をせずに大人しく聞いていた。


「遠慮せずとも食べるがよい」

「ありがとう、ございます」


 アイバクの作ったおにぎりを食べながら、どうして自分は親父の手作りの食べ物ばかり食べさせられているのかと思う。


 だが、どちらの父が作った料理も、深い愛情が籠っていることをイゼットは知っていた。


 ◇◇◇


 ジェラールとの関係も大きく変わることはなかった。

 イゼットの同期であるエニス・アルカンと友人だったようでたまに三人で飲みに出かける日もあったが。


「アルカンのやつも最近結婚したとかで酷く浮かれている。あの緩みきった顔は酷いものだ」

「……」


 エニス・アルカンはかねてから気に掛けていたシェナイと結婚したのだ。

 イゼットに隠れてコソコソと店に通っていたらしい。


「イェシルメン、お前はどうなんだ?」

「どうって?」

「結婚に決まっている」

「……いいですよ、とても」

「……」


 ぶちりと血管が切れたような顔をするジェラールをなるべく視界に入れないようにしながら、イゼットは仕事を片付けた。


 ◇◇◇


 淫魔の特性を持つ青年は偶然にも魔力を持て余す女性と出会い、人として生きる道を見出した。


 一度でも人生の選択を間違えば無かったであろう幸せな未来がここにある。


 淫魔の特徴でもある整った容姿を持っていなければ、進んで女性と関係を持つことをしない青年は長く生きていけなかっただろうと言われていた。


 一方の伝説にも残る聖女の生まれ変わりだった女性も、誰も得をしないと言われた淫魔の青年に出会わなければ生を全うすることは出来なかっただろう。


 数奇な運命を背負った二人は偶然出会い、惹かれ合った。

 欠けていたなにかを補い合うような関係だったと、夫婦となった彼らは後に語る。


 共に寄り添って歩いた道のりは、祝福に溢れていた。


 物語は、めでたしめでたしで幕を閉じる。


おまけ あの人のその後


アイディン・イェシルメン

なんだかんだあって結婚した。子供が二人生まれる。


エミーネ・セレンギル

アイディンに目を付けられた気の毒な騎士。


アイバク・イェシルメン

老後は義息と孫の育成に情熱を注いだ。


ヒュリム・イェシルメン

婿と孫の教育を行うことを生きがいとして、たまに娘とお菓子作りとしたりなど、穏やかな日々を過ごす。


メティン・セネル

いつまでも家族を大切に思うよき父親であった。


エヴレン・セネル

夫とともに愉快な毎日を過ごす。


シェナイ・セネル

イゼットの友達と結婚した。


エニス・アルカン

シェナイの旦那。こっそり一話に登場している。

騎士は続けているので週末婚みたいな感じになっていた。


ジェラール・アイドアン

三十歳の時に第四王女の親衛隊長に就任。

三十六歳の時に十六歳年下の女性と結婚した。奥さんには一生頭が上がらない。


アイシェ・トゥリン・メネメンジオウル

二十歳の時に結婚する。夫となる男は自身の親衛隊に所属する騎士だった。


イゼット・イェシルメン

二十五歳 イェシルメン公爵家に婿入りする。

三十五歳 公爵位を継承する。

四十七歳 騎士団の長に任命される。


下町生まれの平民から驚異の成り上がりを見せた伝説の男として語り継がれる。


アイセル・イェシルメン

二十九歳 四歳年下の婿を貰う。イゼット・セネルと結婚した。

三十一歳 男児を出産


彼女の人生は幸せで満ち溢れていた。


アイリ・イェシルメン

イゼットとアイセルの息子。父親に似て目付きが悪い。


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