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六十九話

「おい、起きろ」

「……ん」

「宿に着いたようだ」

「!?」


 それまで眠っていたアイセルはイゼットに起こされる。


 いつ横になっていたのかは記憶にない。

 それよりも、自分がどこに頭を置いていたかに気づき、慌てて起き上がった。


「す、すまない!!」

「いや、別に謝らなくても」


 アイセルはイゼットの膝を枕代わりにして眠っていた。


「どの位眠っていた?」

「さあ?」


 イゼットがしらばっくれるので、アイセルは馬車のカーテンを開いて外を覗き込む。

 周囲はすっかり夕暮れ時になっていた。王宮を出たのが昼過ぎだったので、随分と長い時間眠っていたことになる。


「なんだか物凄く質の良い睡眠がとれた」

「眠れていなかったのか?」

「まあ、いつものことだな」


 先ほどのように良く眠れたのは数ヵ月前にイゼットと草原に行ったとき以来だったと話す。


「イゼットさんにくっついていると、どうしてかよく眠れる」

「魔力の関係だろうな」

「そうだろうか?」

「そうだろう」


 イゼットは車内に置いてあった毛皮の外套をアイセルに差し出す。


「外は寒い」

「ありがとう」


 イゼットの手を借りながら外套を纏い、やっとドレスが脱げると呟いてからこれから行うことに気が付いて薄明かりの中で頬を染める。


「腹が減った」

「言われてみれば、そうだな」


 昼食は小さなパンだったので、言われてみれば空腹を覚えているとアイセルも思った。


「そこに軽食も置いてあったが、膝の上に眠りこけた猫を抱いていたから食えなかった」

「だ、誰が猫だ!」


 威勢良く突っ込んでから、すまなかったと詫びる。

 イゼットは冗談だと言ってアイセルの頭を撫でた。


 馬車から下りて受付を済ませる。

 当然ながら二人一緒の部屋が予約されていた。


 案内された部屋は公爵家の私室よりも狭かった。

 食事は後ほど運んで来るという説明を受ける。


「先に風呂に入るか?」

「え!?」

「どうして驚く?」

「い、いや、入るかって、言うから」

「一緒に入るって意味じゃねえよ」

「!?」


 指摘されてイゼットがそんなことを言うわけがないと気付く。


「まあ、どうしても一緒に入りたいのならば」

「こ、断る」


 最近兄の変な影響を受けているのではないかとイゼットを睨みつけた。


 それから一時間後に食事が部屋に運ばれる。

 給仕は不要だと言ったら、机の上に全ての料理を置いて下がって行った。


 最初に食前酒を戴く。

 用意されていたのは甘ったるい口当たりの果実酒。少量だけ注がれていたが度数は高いものだった。

 前菜は温製サラダ。酸味の強いソースは柑橘類から作られていた。

 キノコのパイ包みスープはスプーンの背で叩いて壊しながら食べる。

 魚は香草を振って香ばしい焼き目を付けたもの。外はサックリ、中はふっくら。

 口直しの氷菓はさわやかな果実の味がする。

 メインは肉の柔らか赤ワイン煮込み。ナイフをいれたらホロリと解れた。

 食後の甘味はベリーとチョコレートのムース、生クリーム添え。口の中に入れたら舌の上でトロけてしまう。


 机の上に何種類もの料理を並べられた時は、量が多い・全部は食べきれないと思っていたアイセルであったが、綺麗に完食をしてしまう。


 食後のワインも軽く楽しみ、腹を休める為に長椅子に移動した。

 呼び鈴で給仕係を呼んで机の食器も片付けて貰う。


「ドレスは苦しくないのか?」

矯正下着コルセットは着けていないからな」

「そうなのか?」


 隣に座ったイゼットがアイセルの腰回りを触って確認しようとしたが、その手はアイセルによって阻まれる。


「食後だから確認するな!」

「食前と食後で変わっているようには見えない」

「変わっている!」


 別のことに集中して貰う為に、机の上に置いてあったつまみのチーズとクラッカーをいくつか皿に取って差し出した。

 イゼットも受け取って大人しく食べ始める。


 会話をしているうちに満腹感も収まって来たので、アイセルは風呂に入ると宣言して、衣服の入った鞄を持って部屋を出た。


 苦労をしながら婚礼衣裳を脱ぎ、髪飾りと付け毛を取ってから湯の張った風呂の中へ入る。

 長い時間湯の中に浸かっていればのぼせてしまうので、なるべく手早い動作で髪と体を洗った。


 タオルでしっかりと水分を拭い、侍女が用意してくれた足元まできっちりと覆われた長いワンピース型の寝間着を纏う。

 肩口までの短い髪はすぐに乾いた。

 むき出しになった腕に刻まれている呪文はどうにも出来ないので諦めることにした。

 眠る時に胸部を覆う下着を身に着けないのはいつものことだったので違和感はなかったが、侍女以外の人前に出るのは初めてである。

 意を決しながら脱衣所から出て、イゼットの座る長椅子の後ろを通り、早口で風呂に入るように言った。


 寝台の上に乗り、膝を抱えた姿でイゼットを待つ。


 アイセルは酷い緊張状態にあった。

 婚姻を結ぶ前に習った同衾についての知識がぐるぐると頭の中で反芻されていた。


 まさか、自分にもこんな日がやって来るとは思いもしなかったと感慨深くなる。

 一生独身で居るつもりだったのだ。


 結婚をしたらしたで別の欲も出て来る。


 子供が欲しい。


 医師に聞いても出来るかどうかはわからないと言われた。

 アイセルの体の構造は人間よりも魔力量から言って精霊などに近いという診断が出ていたからだ。


 でも、可能性はゼロとは言えない。


 イゼットは淫魔の要素がある。

 彼の父親であるメティンも人間と子を成した。


 欠片のような僅かな希望だけでも心の隅に抱くのは構わないだろうと考える。


 手持無沙汰になったアイセルは、寝台の傍にあった円卓の上の酒を飲むことにした。

 口当たりのいい酒で、甘い果実香りが気分を良くしてくれる。

 緊張していることもあって、何杯も飲んでしまった。


 いつの間にか体の強張りは解れ、気分も良くなる。

 少しふわふわとしていたので、布団の上に横になってイゼットを待った。


 ◇◇◇


 風呂から上がって来たイゼットは寝台の上を見てぎょっとした。

 アイセルがなんとも悩ましい格好で寝ていたからだ。


 目に毒なので、すぐさま灯りを消して部屋を暗くする。


 寝台に近づけば甘い酒の匂いに気付く。

 円卓の上にあった酒瓶を持ち上げてみれば、ほとんど空になっていた。


 アイセルはイゼットが近づいて来たことに気付いておらず、すうすうと安らかな寝息を立てている。


 張り詰めていたものが解放されて、やっとゆっくり休めるのだろうと思い寝かせておくことにした。


 どうしようか激しく迷ったが、せっかくの初夜なのでイゼットはアイセルの隣で寝ることにした。


 隣で眠る見た目は美少女を視界に入れないように、背を向けて転がる。


 結婚式までの日々は慣れないことの連続だったので、ようやくここまで来られたと安堵していた。深い息を吐いた瞬間に、ギシリと寝台が軋む。


 背中に、むっちりとした柔らかな何かが押し付けられる。


「……アイセル、お前は」

「私は起きている」

「は!?」


 うっかりと恨みがましい一言が声に出てしまったが、想定外の返事が返ってきた。


「今、目が覚めた。どうして起こさない」

「いや、疲れているだろうと」

「疲れていない」

「そんなわけないだろう」


 イゼットは起き上がってアイセルを見下ろす。

 頬は紅く火照っており、目も潤んでいた。

 下着を纏っていない寝間着姿は、幼い容貌とはうって変わって艶めかしいものである。


 この時ばかりは夜目が無駄に効いてしまう自分を呪った。


「今、とても気分がいい」

「あれだけ酒を飲んでいればそうなる」


 今のアイセルにはなにを言ってもむふふと笑うだけであった。


 距離を置いた位置に座っていたのに、アイセルはころりと転がって来て、イゼットの放り出された手に頬ずりしてくる。


 いいのかと尋ねれば、恥ずかしそうに頷いた。


 イゼットはアイセルの上に覆いかぶさって額にキスをする。


 目を細めながらくすぐったいと言うので、これ以上抗議出来ないように口を唇で塞ぐ。


 長い夜のはじまりであった。


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