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六十八話

 半年の準備期間を終えて、ついに結婚式の当日となった。

 アイセルは朝からバタバタと忙しない周囲に囲まれながら身支度に追われている。


 お昼になればイゼットの実家のパンが差し入れとして持ち込まれた。


「奥様、これならば召しあがれるでしょう?」

「ああ、そうだな」


 アイセルは緊張で朝から何も口にしていなかった。

 結婚式まで一時間ほど。

 少しでもお腹に何かを入れた方がいいと、イゼットが買いに行ったという。


「身支度も整ったので、旦那様もお呼びしますね」

「……頼む」


 食器が二人分用意されていたので、そんな気がしていた。

 花嫁衣裳を纏った姿を見せるのは初めてなので、どきどきしながら夫の到着を待つ。


 数分後、扉が叩かれて侍女が訪問者を招き入れた。


「お嬢様、旦那様です」

「あ、ああ」


 侍女は一礼をして部屋から出て行った。

 なんとなく気恥ずかしい気分のアイセルは、俯いたままでイゼットを迎える。


「――具合でも悪いのか?」


 イゼットはアイセルの顔を長椅子の背に回って覗きこんだ。


「いや、違う」

「?」

「少し、緊張していて」

「そうか」


 だったらいいと言ってアイセルの目の前にしゃがみ込む。


「手を」


 純白のドレスは手先まで覆われていた。

 アイセルの体には魔力を制御するための呪文が刻まれているので、肌が出ているのは背中のみとなっている。

 ふんわりと広がる全円のスカートではなく、ぴったりと体の線に沿うような意匠で、首元まで衣服に覆われた前方からの露出がないドレスは珍しい。



 イゼットはアイセルの手をぎゅっと両手で包むように握った。

 少しでもアイセルの魔力を吸収出来たらと思っていたが、布越しなので成果は微妙なところであった。


 イゼットは親衛隊の白い正装を纏っている。

 片膝をついて手に触れる様子を見下ろしていれば、彼が自分だけの騎士のようだと思ってしまう。


 うっとりと夫の姿を魅入っていたが、目が合った瞬間に現実に引き戻される。


「イ、イゼットさん、食事にしよう。時間がない」

「そうだったな」


 イゼットは立ち上がり、アイセルの隣に腰掛ける。


 机の上に用意されたパンを食べることにした。

 パンは一口大に切り分けられ、薄く切ったチーズや肉が挟まれている。

 喉を潤すために用意された果実汁を飲みながら食べた。


「朝から大変だっただろう」

「苦労したのは私ではなく、侍女だがな」


 アイセルの待ちに待った結婚式なのに、なるべく事務的に作業を進めるように命じられた侍女らは、祝福の気持ちを押し隠しながらの作業となった。

 なるべく体に負担が掛からないようにと、体の線を綺麗に見せる矯正下着は身に着けていない。

 そもそもアイセルは元より細身なので、必要もなかったが。


「よく似合っている」

「!」

「どうした?」

「いや、そういうことを言って貰えるとは思わなかったから」


 先ほどからドレス姿をどうかと訊ねたくて堪らなかったが、素っ気ない態度でどうでもいいように返されたら落ち込んでしまいそうだと思って聞けずにいたのだ。


「そういえば、二着目のドレスはどうするんだ?」

「今日は着ないらしい。後日行われる夜会用だと言っていた」


 ヒュリムが婚礼用だと言っていたので結婚式の途中でお色直しをするのかと思っていたが、当日はそのような余裕もないだろうというアイディンの一言で頓挫した。


「それにしても、顔色が悪いな」

「化粧のせいではないのか?」

「そうだろうか?」


 言われてみればとアイセルも考える。

 体の張りつめた感じは緊張ではなく、魔力の生成が進んでいる弊害だったのかと。


「魔剣は?」

「執務室に忘れて来た」

「は?」

「その、昨日は、浮かれていて」

「……」


 イゼットは信じられないと呟いてから溜め息を吐く。


「途中で気が付いたのだが、家に帰ったらイゼットさんが居るし、大丈夫かなと思って」

「今、大丈夫じゃないだろう」

「す、すまないと思っている」


 イゼットは可憐な花嫁を見る。首元から足先まで一切の露出がない。

 下手に脱がせれば後始末が大変になりそうなドレスであった。

 だからと言ってきっちりと紅が差された唇に口づけすることは出来ないし、化粧をした肌に触れることなど以ての外だった。


「楽にさせてやりたいが、難攻不落の要塞のようだな」

「どういう意味だ」

「露出が全くないだろう」

「ああ、そういう……」


 頷いていたアイセルの動きが途中で止まった。


「イ、イゼットさん」

「なんだ」

「一か所だけ、出ている部位があった」

「?」


 イゼットはどこにそんな箇所があるのかと目を凝らすが、見つけることが出来なかった。


「どこにあるんだよ」

「……背中に」


 少しだけ角度を変えて座り、イゼットに見せる。


 初めてドレスを見た時に、背中が開き過ぎだと抗議をしたが、長い花嫁のヴェールに覆われて見えないというので渋々この意匠を受け入れたのだ。


「あ、あの、良かったら、背中からお願いします」


 羞恥に耐えながらお願いをする。

 イゼットは躊躇うことなくアイセルの背中に手を伸ばした。


 背中に触れて貰えばじわじわと温かくなって体が楽になって行くのがわかった。


「ありがとう」

「もう、大丈夫か」

「ああ、平気だ」


 緊張感から解放されたら、食欲も戻って来る。

 アイセルはパンを何個か摘んでから結婚式に臨むことになった。


 ◇◇◇


 王宮内にある婚礼会場には、五十名ほどの招待客が幸せな夫婦となった二人の登場を待っていた。

 祝福を知らせる鐘が鳴り響けば、扉が開かれて本日の主役が入って来る。


 左右に並んで道を作り、イゼットとアイセルに祝福の花を振りかけていた。

 精霊を祭った象の前で、夫婦の誓いを立てた。


 互いに契約を口にすれば、それを封じる行為が行われる。

 花嫁の顔を覆っていたヴェールを上げて、しばし見つめ合う。


 大丈夫か? と口に出さすに聞いた。

 アイセルは頷いて答える。


 眦に浮かんでいたのは嬉しい涙だと伝える為に微笑んだ。

 頬に伝った雫が地面に落ちる前に、イゼットは口付けをする。


 周囲の歓声に包まれながら、二人揃って一礼をした。


 これで結婚式は終わりとなる。

 アイセルとイゼットはこのまま帰宅をすることに決めていた。


 普通だったら披露宴と呼ばれるものを行うが、客はこのまま国王主催の食事会に招かれることになっている。

 新郎新婦不在の催しごとなど不思議なものでしかなかったが、遠方へ旅行に行くからなどと適当に理由を付けて会場を後にする。

 食事会を行うのが国王ならば誰も文句は言えなかった。


「体の具合はどうだ?」

「心配いらない」


 この日の為に兄アイディンが魔術部隊を率いて結界を張っていた。そのお陰でアイセルの負担も最低限となっている。


 外に出れば馬車が待ち構えていた。

 遠方に旅行に行くというのは嘘ではない。長期休暇を取って出かけよとアイセルの伯父から言われていたのだ。


「本当に行くのか?」

「伯父上、ではなくて、王命だから仕方がないだろう?」

「それもそうだな」


 そんなことを話しながら馬車へと乗り込む。


 中から合図を出せば、馬車は走り出した。


「なんとか、無事に切り抜けることが出来たな」

「本当に。兄上が頑張ったお陰だ」


 アイセルはほっと安堵の息を吐き、イゼットの肩にもたれかかる。


「私は幸せ者だ。ありがとう、イゼットさん」

「またそんなことを言って」

「ん?」

「前にも似たようなことがあった」

「そうだったか?」


 今と同じように熱にうなされるような感じで、イゼットにお礼を言ったことがあったと話す。


「ああ、たしかに、少しだけぼんやりしているのかもしれない」


 会場の熱気に中てられたせいだと呟いた。


 以前のように体温が引いているわけではなかったので、危機的な状態ではないとイゼットは確認をする。


 頬を染めて潤んだ目で見上げるので、イゼットはアイセルを引き寄せて抱きしめる。

 心行くまで甘い香りと柔らかな肌を堪能してから体を少しだけ離し、口付けをした。


 邪魔者が居ない中で、二人だけの世界は続いて行く。


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