六十二話
慌ただしい日々を過ごしているうちに、あっという間に親衛隊の入隊日となった。
携帯する身分証明代わりの銀製のペンダントの裏には、イゼット・イェシルメンという名前が彫られている。
貴族だらけの親衛隊の中でも、家名がイゼットを守るだろうとアイディンは言っていた。
憂い事はなにもない。
そんな風に考えながら、王宮の廊下を進む。
途中、前方より五・六人の騎士の集団が現れる。イゼットは壁側に避けて相手方に道を譲った。
ちらりと隊章の色を見れば、第三王子の親衛隊だと分かる。
すれ違う騎士たちは、不躾な視線を浴びせながら通過して行った。が、最後の一人がイゼットの顔を見て声を掛けて来る。
「お前は、イゼット・セネルではないのか!?」
「……」
中年の騎士が顔を覗き込んできた。その声につられるように、騎士たちは足を止めてイゼットを取り囲む。
「知り合いですか?」
「いや、前の部隊での部下だ」
「へえ」
その話を聞いて思い出す。目の前の男はイゼットが前に所属をしていた部隊の隊長だったことを。
家柄にこだわり、貴族では無い者には差別的な態度を取り続けた最低な奴。それが、イゼットの中での印象として残っている。
親衛隊に入っていたとは、出世をしたものだと鼻先で笑う。
「お、お前、なにがおかしいっていうんだ!」
質問をしても、イゼットはふいっと視線を逸らすばかりだった。
中年騎士は笑われた仕返しだとばかりに、イゼットの生まれや反抗的な態度だった過去の話を掘り起こして周囲の騎士に聞かせていた。
「でも、どうしてそんな奴が親衛隊に居るんですか?」
「見てみろ。第四王女の部隊だ。この男は子守要因だということだな!!」
イゼットの隊章を指差し、大笑いをする。取り囲む騎士たちも嘲笑うような笑みを浮かべていた。
「いい御身分だ」
「なんだと!?」
赤い目を細め、馬鹿にするように男を見下ろすイゼットに腹を立てて胸倉を掴もうと手を伸ばしたが、寸前で交わされてしまう。
「これだから、育ちの悪い下町の男は! なにもかもが無様で、品がない!」
「……」
イゼットは何も言い返さずに、ジロリと睨みつけるばかりだった。
「私が誰か知っているのか!? 第三王子親衛隊、副官補佐であり、一番の殿下の理解者でもある、誉れ高い騎士、スタイル・マルコウだ」
「覚えておこう」
「だ、だから、なんでお前は、そう、生意気な態度ばかり取る!?」
大声で怒鳴りつけてもしれっと顔を逸らすイゼットを見て、更に苛立ちを募らせていた。
一発殴らないと気が済まないスタイルは、後方に居た部下にやってしまえと視線で指示を出した。
「え、私ですか?」
「早くやれ」
隣に居た若い騎士にも力を貸すように言う。
別に恨みもなにもない騎士に暴力を振るうことを良く思わないからか、若い騎士たちはイゼットの前に出ながらなんとも言えない表情で居た。
だが、上司の言うことを聞かないと後で大変なことになりそうだとも思う。
「おい」
所在ない態度で居ると、イゼットがスタイルに聞こえないような低い声で話し掛けて来る。
「!」
「止めておけ」
「?」
イゼットの言葉に首を傾げる騎士。
背後では早くやってしまえとスタイルが叫んでいた。
「副官補佐、誰かが来ているようです」
「はあ!?」
イゼットを懲らしめる行為を中断されて盛大な舌打ちをする。
邪魔をするのは一体誰なのかと、睨むように廊下を歩く人物を見た。
その姿を確認したスタイルは、目を見開いたまま言葉を失う。
「――イェシルメン、前・総隊長!?」
誰かが掠れた声で呟いた。隊員全員に緊張が走る。
アイバク・イェシルメン。
長年騎士団を取りまとめる役職に就き、絶対的な支持を集めていた男。
それは、全ての騎士たちの憧れの存在であり、退団してからはおいそれと会える相手でもなかった。
イゼットを取り囲んでいた騎士たちは即座に壁側に行って一列に並ぶ。
あの傲慢なスタイルでさえ、興奮を押し隠しつつ整列していた。
近づいて来たアイバクは、騎士を見るなり声を掛けて来る。
「おお、そこに居ったか!」
アイバクは騎士たちの前で立ち止まる。
スタイルは一度だけ会話を交わしたことがあった。なので、声を掛けられたのは自分だと信じて疑わなかった。
しかしながら、その考えは大きく外れることになる。
「イゼットよ」
「!?」
アイバクは朗らかな顔でイゼットの肩に手を置き、第四王女の元へ共に行こうと言う。
「え、ええー!?」
二人の様子を見て、スタイルは素っ頓狂な声を上げた。
アイバクは背後に居た騎士を振り返った。
「む、いかがしたか?」
「い、いえ!?」
「そなたは」
「はい!」
「誰だったか?」
「なんですとー!!」
我に返ったスタイルは、自らの身分と名前を名乗った。
「ああ、第三王子の婚約発表会で見掛けた騎士だったか」
「さ、左様で、左様ございます!!」
自らの存在の主張が終われば、今度は気になっていることを訊ねた。
「それで、その騎士とはどういったご関係で?」
「息子だ」
「は?」
「娘の、婿だ」
「はあ!?」
一体どこで会ったのかと聞けば、娘の部隊で偶然に出会ったとアイバクは言う。
彼の娘、アイセルは一年前に親衛隊から問題児ばかりが集まる部隊へ配属されたという噂話を聞いていた。
「ああっ!?」
スタイルは気付く。
イゼットをその部隊へ送り込んだのは己自身だったと。
「~~~~ッ!!」
もっと自分の部隊で苛め抜いていれば良かったと後悔する。
だが、もう遅い。
イゼットは娘を誑し込み、結婚までして確固たる地位を得ている。
しかも、あのアイバク・イェシルメンが義父だという羨ましいにも程がある事実。
スタイルは結婚をしていたが、妻は美人だが成金貴族で家柄は良くない。
妻は可憐な女性で家柄も良く、義父は尊敬している人物を持つイゼットを妬ましいと思った。
「じ、実は、彼は、元は私の部下でして」
「然様であったか」
「え、ええ」
何を言っても、アイバクはスタイルに深い興味を示すことはなかった。
これ以上引き止めれば不興を買ってしまうと思い、イゼットに向かって最後の一言を贈る。
「け、結婚、おめでとう」
「……どうも」
仕方無く、といった感じに返された言葉に、スタイルは本日最大級の苛立ちを覚えた。
だからと言ってどうにか出来るものでもない。
イゼットはもう、公爵家の人間だ。
さらに、スタイルの暴言がアイバクの耳に届けば、今の地位は容易く揺らいでしまう。
なんとかイゼットと接触をして、先ほどのことを許して貰い、口外しないように平伏をしてでも願わなければならない。
軽率な態度に本日何度目かもわからない舌打ちをする。
だが、誰があの男の成り上がりを想像出来たのかとも思う。
自身が陥れたはずの人間は、彼がどれだけ頑張っても手に入れることの出来ない栄光と名誉をあっさりと自分のものにしていた。
奥歯を噛みしめながら、イゼットとアイバクの後姿を見送った。
◇◇◇
同時刻。
第四王女親衛隊の休憩室は本日配属される新人騎士のことで大いに盛り上がっていた。
「凄いな。下町出身者が親衛隊だなんて」
「あれだとよ、ほら、公爵家の子女の部隊の」
「ああ! イェシルメン家のお嬢様に手を出して、ここまで来たということか!」
正式な発表は行われていなかったが、イゼットの所属する部隊や育ちの噂話だけが広がり、各々勝手な推測をしながら会話をしていた。
「そういえば、ジェラール、君が試験官じゃなかったか?」
「……」
休憩所の端で不機嫌な顔で居たジェラールに同僚は話し掛ける。
「どうだったんだ、実力は」
「試験内容についてはかん口令が言い渡されているから言えない」
「いいじゃないか。ここだけの話だよ」
「断る」
ノリが悪いジェラールの元に隊員たちが集まって来た。
「どうしたんだ? 今日は機嫌が悪いな」
「私は、本人が居ない場所でその者のことをどうこう言うのは好かない」
「そんなこと言うなよ。前例のないことだから、皆言っているだけで」
「……」
イゼット・セネルについて追及しようとしていた時、上官から謁見の間に集まるようにと命じられる。
待望の新人を迎える会が始まろうとしていた。