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六十一話

「――話は以上だ。今から訓練の時間とする! カルカヴァン隊員、後は頼んだぞ」

「御意に」


 アイセルはイゼットを引き連れて執務室に帰る。

 背後からは隊員達の「これからいちゃいちゃするんだろー?」とか「爆発しろーー!!」などとからかう声が聞こえたが、二人は無視して先を行くことになった。


 執務室に入り、扉を閉めてからイゼットの方を振り向く。


 その表情は、照れているからか、頬を紅く染めていた。


「どうした?」

「だって、セネル副官が皆の前でああいうことを言うとは思わなかったから」


 隊員達の前での結婚発表など想像もしていなかったので、驚いたと言う。


「駄目だったのか?」

「いや、嬉しい。ずっと、皆に言いたくて堪らなかった」


 アイセルは潤んだ目でイゼットを見上げる。


 離れて暮らし始めて二週間ほど。花嫁は忙しい日々を送っていた。

 当然ながら、休日は婚礼衣裳作りや結婚式の取り決めなどを朝から晩まで行っていたため、イゼットと触れ合い機会は皆無と言える。

 職場では上下関係もきっちりしており、私情を持ち込むことなく真面目に取り組んでいた。婚姻届を出してからは、休憩時間までもその態度は徹底されている。


 イゼットは隊員達には結婚の事実など言わないままで去るのかと思っていたのに、きちんと皆の前で結婚発表をしてくれた。

 アイセルには、何よりも嬉しい言葉だった。


「そういえば、副官にはどうして父上チチウを指名したのだ?」


 チチウは臨時の隊員。いつまで居るか分からない人材でもある。

 他にも真面目になってきている隊員は居たので、アイセルは意外に思っていた。


「副官には執務室での仕事があるだろうが」

「だが、物覚えのいい者も何人かは居ただろう?」

「そうじゃない」

「?」


 イゼットは扉の方に行って鍵を掛ける。その様子をアイセルは首を傾げながら見守っていた。


「こういう風に、簡単に誰も入って来られなくなってしまうだろう?」

「それがどうした?」


 鍵を掛けたら当たり前だろうとアイセルは言う。


「まだ、わからないか?」


 きょとんとした表情を見せるだけなので、ため息を吐いてしまう。


「つまり――」


 イゼットはアイセルの肩に腕を回し、膝を掬いあげるようにして横抱きにすると長椅子に寝かせ、起き上がれないように覆いかぶさった。


「――なっ、なにをする!?」

「男と密室で二人きりになるということは、いつでもこういう事態になりかねない」

「!」


 アイセルはこの時になってイゼットが言おうとしていたことを察する。


「私が隙だらけだと言いたいのか!?」

「違う」

「違わない!! 言っておくが、簡単にこういう体勢になってしまったのは、セネル副官が相手だからだ!! よ、邪な気持ちで触れて来る男が居たら、即座に氷漬けにしている!!」

「そうだったな」


 イゼットはアイセルの上から退き、向かいの長椅子に座った。


「率直に言えば、他の男と二人きりになって欲しくなかった」

「え?」

「チチウなら、安心出来るから」

「それは、嫉妬をしている、ということなのか?」

「それもある」


 理由はそれだけではなかった。


「なかなか、男が自らの欲望を抑えるというのは難しい」


 二人きりという部屋で、机を並べて仕事に励むという環境。

 アイセルの頬に掛った髪を耳に掛ける仕草や、考え事をしている時に指先で唇に触れる癖、半日に一度、白い手袋を交換する為にするりと外す様などはなんとも言えない気持ちにさせてくれる。

 近づけば甘い香りが漂い、整った幼い顔は庇護欲を掻き立てられる。


 どういう時に、なにがきっかけで、抑えがたい感情が湧きあがらないとも言えないのだ。


 それに、アイセルの姿は華奢である。力で抑えつければ何とかなるだろうと思えるような外見もしていた。


「……貴族の娘が、家族以外の男と二人きりになるなというのは、こういう意味があったのか」

「はっきりとした理由まで教えないんだな」

「そのようだ」


 ちなみに、以前仕えていた副官の男とは二人きりになることはなかったという。


「あの人は一体どこで仕事をしていたんだ?」

「さあ、私も知らない。ギヴァンジュ・チェリクは子供のころから傍に仕えていたが、あまり多くを語らなかった」


 空気のように振る舞い、上司の影のように付き添う。

 副官の鏡のような男だったとイゼットはギヴァンジュ・チェリクの姿を思い出していた。


「まあ、そういう訳でチチウを指名した」

「よく、理解した。すまない、鈍くて」

「貴族の子女なら普通だろ」


 今まで男性に対する危険性も考えずに、能天気に働いていたものだと反省をする。


「怖いと思わなかったのか?」

「セネル副官をか?」

「他に誰が居る」

「別に、怖いと思ったことは一度もない」

「襲われたのに?」

「あ!」


 アイセルは魔力が枯渇状態になったイゼットに襲われたことをすっかりと忘れていたという。

 一時期はアイディンに記憶を封じられていたが、思い出してからも普通に仕事をしていた。


「警戒心が足りない」

「そんなことはない! 襲ったと言っても、壁に縫い付けるように拘束をして、髪を撫でていただけではないか」

「……」


 その後氷漬けにしたからお相子だと言いきった。


「私は警戒心が足りないのではなく、寛大なだけだ」

「誰に対しても?」


 イゼットの問いかけを聞いたアイセルは、眉間に皺を寄せた。が、その表情も一瞬で崩れ、柔らかなものになる。


 そして、寛大な態度でいるのはイゼットの前だけに、と言った。


「そういう訳だから、存分に崇め称えるといい」

「ありがたいお話で」


 ◇◇◇


 チチウに副官の座を譲ったイゼットは引き継ぎを終えた後に第八騎兵隊を去ることになる。

 移動一週間前には親衛隊の制服が届き、人事部より入隊についての説明もされた。

 イゼットの持ち物も綺麗になくなり、代わりにチチウの私物が並べられるようになる。


 そして、とうとう移動前日になった。

 チチウは空気を読んで先に帰宅をしていた。


「なんだか信じられないな」

「チチウの存在感があっても、環境が変わると言う実感は湧かないものだ」


 しみじみと話す二人。

 毎日のようにチチウと共に過ごす中で、ゆっくりとする時間もあまりなかった。

 隊の状態が整いつつあったので、以前のように残業を繰り返すこともなくなったが、母親より命じられている門限が合ったので、イゼットと出掛けることもままならない日々が続いていた。


 本日は三人掛かりで仕事を片付けたので、若干の余裕はある。


「休みの日はどこか出掛けたいが、母上が次のドレスに取り掛かると言っていて。一体何着作らせる気だと……」


 イゼットは騎士隊の正装で結婚式に臨むので、準備はほとんどなにもなかった。

 忙しそうにするアイセルを気の毒に思ってしまう。


「それに、休みも滅多に合わなくなるだろうな」

「夜勤もあるしな」


 今までは週に一度、決まった日に第八騎兵隊の隊員全員が休みとなっていたので、予定も立てやすかった。

 この先イゼットが親衛隊に行けば、日程を合わせるだけでも大変だろうと呟いて、背中を丸めている。

 そんなアイセルの姿を見て、イゼットは執務机のある方を指差した。


「ん? なにが――」


 いつも自らが座っている椅子を見て、目を見開いた。


「あ、あれは!」


 急いで駆け寄って、見間違いではないか確認をする。


「な、なんという、可愛らしい姿!」


 アイセルの机の上にあったのは、黒い毛並みを持つ、目付きの悪い犬のぬいぐるみであった。

 素早く抱き寄せて、イゼットを振り返った。


「セネル副官、これは!?」

「餞別だ」

「餞別って、普通は移動をする人に渡すものだろう」

「逆もあっていいんじゃないか?」

「まあ、そうだな」


 とても気に入ったとお礼を言ってから、ふと気づく。


「これはセネル副官が買いに行ったのか?」

「ああ。そいつ、気の毒なことにまだ売れ残っていた」


 話を聞いているうちに、おかしくなってしまうアイセル。


「なんだ?」

「だって、セネル副官が真面目な顔をしながらぬいぐるみを持ち歩いている姿を想像したら、面白くって」

「……」


 アイセルの言葉を聞いてそっぽ向いたイゼットだったが、笑顔が戻って来てよかったと心の奥では考えていた。


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