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六十話

 無事にセネル家の問題も解決して、数日後には両家の顔合わせも済ませた。

 しっかりとやるべきことをやった後で、婚姻届は役所に提出される。


 だが、結婚式や同居などはイゼットの入隊後という話になった。


「式の準備はすぐには出来ないと、母上が」

「だろうよ」


 段取りとして、結婚が決まればまずは婚約発表会が行われる。その後に結婚式をするというのが貴族社会での通例だ。

 今回はイゼット側が平民だということで、諸々の行事は無しということになる。


 それから、結婚式の準備をしなければならないので、アイセルはイゼットの家を出ることになった。


「お世話になりました」


 玄関前に出てきたセネル家の面々に頭を下げる。


 明らかにその辺の娘と毛色の違うアイセルに優しく接してくれたシェナイとその両親に感謝の言葉を重ねた。


「なんとお礼を言っていいのか……。本当にありがとうございました」


 シェナイは妹が出来たみたいで楽しかったと言う。アイセルの年齢については聞かなかったことにしているらしい。


「たまにでいいからパンを食べに来てね」

「それは、もちろん!」


 最後に握手を交わす。

 シェナイはアイセルの手を引いて空いている手を背中に回してぽんぽんと叩いていた。


 次にイゼットの両親に挨拶をする。


「長い間、お世話になりました」

「何言っているのよ。これからも、お世話をするからね」


 にっこりと笑いながら言うエヴレン。

 アイセルは深く頭を下げる。

 次に視線を移したのは、パン職人の恰好をした中年男。


「お義父様」

「うむ!」


 パン屋の手伝いをするようになり、毎日の重労働を繰り返すうちに少しだけ体型がすっきりしてきているメティンも見送りに来ていた。


「いつも、楽しいお話を、ありがとうございました」

「息子の話を聞きたい時はいつでも来るといい!」

「おい、一体何を喋ったんだよ、クソ親父!」


 隣に居た口の悪い息子から速効で怒られる父。妻の陰にささっと隠れて攻撃を凌いでいた。


「イゼットさん」


 最後に、イゼットと向かい合う。

 セネル家の面々は空気を読んで店の中へと消えて行った。


 一人、メティンだけが見つめ合う二人をじっと観察していたが、エヴレンが回収しに来て小麦の分量を量るように命じられてしまう。


「ここでの暮らしは窮屈だっただろう?」

「そんなことはない! 確かに、最初は驚いたが……」


 食事中も、お茶を飲む時も、手を伸ばせば誰かに触れてしまうような環境はアイセルにとって驚きの連続だった。


「誰かが傍に居てくれるというのは、ほっと出来る。この家や住んでいる人たちはとても温かい」


 実家を出て暮らすというのは、自分自身の見識を広げることになったと話す。


「では、また明日に」

「ああ」


 イゼットは大通りまでアイセルを送る。

 広い道に出れば、公爵家の馬車が停まっているのを発見した。


 御者が操縦席から降り立ち、イゼットの持つ荷物を受け取ってくれた。

 馬車の中からは侍女が出て来る。


「ミネ!」

「お帰りなさいませ、お嬢様!」


 侍女は感極まった様子で軽く膝を折り、仕える主人の帰宅を喜んでいる。


「今までどうしていたのか?」

「フェルハの教育をしておりました」


 下町出身の娘をアイセルに仕えられるように教育を施していたという。


「そうか。ご苦労だった」

「とんでもないことでございます」


 アイセルとの挨拶が済んだ侍女は、イゼットの方を見て頭を下げる。


「お嬢様を守ってくださって、ありがとうございました」

「別に、大したことはしていない」


 イゼットは寒いから早く馬車に乗るように言った。


「道端に捨てられた子猫のような顔をするな」

「していない」

「している」


 昨日の夜に降った雪が、道を真っ白に染めている。

 アイセルに手を貸そうと待っている侍女も寒そうにしていた。


「また明日、会うだろう?」

「明日は最後の日だ」


 イゼットは明日が第八騎兵隊の最後の勤務となる。


「なにを寂しがってるんだ」

「だって、夫婦なのに離れて暮らすなんて」

「結婚式が終わるまで待て」


 婚姻届を出して晴れて夫婦になったが、結婚式という儀式が終わるまで清い関係であるようにとアイセルの母親から言われていた。


 結婚式は半年後を予定している。

 この頃になればイゼットの仕事環境にも慣れて来ている頃だろうと、アイバクが決めていたのだ。


「……私は、我儘だな。婚姻届を出したら大丈夫かと思っていたのに」

「別に言うだけなら言ってもいい」

「どういうことだ?」

「同居するようになったら嫌でも毎日会うことになる」


 相手を恋しく思うのも今だけだからとイゼットは付け加えた。


「私が、飽きるだと?」

「人はそういうものだ」

「その言葉、覚えておくように」

「ん?」

「イゼットさんの傍に居たいという我儘を、いくらでも言ってもいいという話だ」

「なに言ってんだよ」


 わかったとなげやりな返事をすれば、アイセルは満足したように頷いた。


 この時のイゼットは知らない。

 アイセルが、この先何十年と変わらないままの態度であるということに。


「では、いつもの契約をして頂こうか」

「ここでか?」

「手でいい」

「……」


 幸い、朝早い時間帯だったので、人通りは少ない。

 侍女や御者も見ない振りをしてくれている。


 イゼットはアイセルの手を取って、指先に口づけをした。


 ◇◇◇


 遡ること二ヶ月前。アイセルは隊員たちを広場に集め、ある発表をした。


「イゼット・セネル隊員が親衛隊に配属されることが決まった」


 イゼットの大出世が報告されたら、隊員達はざわざわと騒ぎだす。

 誰一人として、公爵家の力を借りて昇格したとは思ってもいなかった。


 周囲を静かにさせる為に、アイセルは次なる話題に移す。


「よって、次なる副官を決めようと思っ」


 イゼットの出世話を聞いた後だからか、全員挙手していた。前回と違って本気で希望をしているのが分かった。


「ああ、どうしようか。まさかこのように希望が募るとは」

「……」


 アイセルはイゼットを振り返り、誰にしようかと聞いて来る。


「セネル副官が決めてくれないか?」

「俺がか?」

「ああ。正直迷っていて」

「いいのか?」

「頼む」


 イゼットは一人一人の隊員の顔を見て行って、副官の引き継ぎをしたい隊員の希望を決めようとする。


「決めた」

「早いな」

「誰を?」


 副官に決めた隊員の名前を紙切れに書いて、畳んでアイセルに渡した。


「発表してくれ」

「先に誰か見てもいいか?」

「駄目だ」

「なんだ、それは」


 文句を言いつつも、イゼットの言葉に従って新しい副官の発表をする。


「新しい副官が決まった」


 歓声を上げる隊員達。

 アイセルは紙を広げて、名前を読み上げる。


「――チチウ・カルカヴァン?」


 副官になりたいと挙手する隊員の中で、一番綺麗にまっすぐと手を掲げていた人物でもあった。


 武人としての経験から言えばチチウ以上に相応しい人物は居ない。隊員達もそれがわかっているからか、誰も文句を言うことはなかった。


 一人、納得していない様子のアイセルが、低い声で挨拶をするようにと言う。


 チチウは颯爽と前に出て来て、副官を命じられたことへの抱負を語った。


「――この度は、はからずも大役をおおせつかり、まことに光栄であった。この先、第八騎兵隊に貢献できるよう、日々切磋琢磨を行う所存である」


 チチウの言葉が終われば、拍手が送られた。


「最後に、セネル副官からの挨拶だ」


 そんなのはしなくてもいいと言うかとアイセルは思っていたが、意外にもイゼットは何も言わずに別れの言葉を言い始める。


「ここでは、何年だったか覚えていないが、長い間世話になった」


 問題児の寄せ集めと言われている部隊ではあったが、癖はあるものの気の良い仲間たちばかりだったと話す。


「一人だけ抜け駆けするように、入隊が決まったが、実は、これだけではない」


 静かにイゼットの話を聞いていた隊員達が何を隠しているんだと野次を始める。


「隊長と結婚をした」


 シンと一気に静まり返る。

 誰かが冗談だろうと呟いたが、イゼットは真面目な顔で本当だと言った。


「おい、あいつは笑えない冗談を言う奴じゃねえよ」

「そうだ。その前に冗談なんか言わねえ」

「見た目に反して真面目な奴なんだよ」


 イゼットの言ったことが事実だとわかれば、ぎゃあぎゃあと騒ぎだす隊員達。


「すげえ、全然気付かなかった!!」

「なんだよ、執務室でイチャコラこいていたのかよ!!」

「隊長のこと、最近可愛く見えて来ていたのに!!」


 色々とからかったりしたが、最終的にはイゼットとアイセルはお似合いだという意見で固まった。


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