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六話

 だらだらと、重い足取りで帰宅をする。時刻は昼の真っ最中。家族は忙しくパンを焼いたり、店番をしていたりした。

 イゼットも休日は店の手伝いをすることもあったが、今日はやる気が起きずにそのまま部屋に引きこもってしまう。

 勝手に着替えさせられていた上等な衣服を脱ぎ散らし、下着一枚で布団の中に潜り込む。

 目を閉じて眠ろうとしたのに、頭の中が興奮をしているのかなかなか意識を手放すことが出来なかった。


 翌朝。

 頭はすっきりとしない状態であったが、アイディンから貰った薬を飲めば幾分かは楽になった。

 出発の間際でイゼットの母親は焼きたてのパンを手渡してくれる。


「なんだよ、これ」

「いいからしっかり食べなさい」


 息子の背中を力いっぱい叩いてから見送った。


 本日は魔物の討伐任務が入っていた。

 西の森に雪狼の小さな群れを観測したという情報が入って来ていたので、第八騎兵隊に仕事が回って来たという訳である。


「この時期の雪狼とは、奇妙な」

「……」


 馬を駆って先頭を行くイゼットの斜め後ろでアイセルが言う。

 雪狼とはその名の通り雪の深い場所を求めて移動する白い毛並みに覆われた獰猛な魔物で、雪が溶けて無くなった今の時季には見かけない種でもあった。


「イゼット・セネルよ。雪狼との戦闘経験は?」

「……前に、一度だけ」


 自分も同じだと話すアイセルの様子は、普段と変わらない。

 本当にアイディンは記憶を消してしまったのかと信じられないような気持ちになっていた。


「――来るぞ」

「!」


 アイセルの鋭い一言でイゼットは我に返った。視線の先には何も捉えていないが、手綱から馬の緊張感が伝わっていた。


 緑の森の中に、白い毛並みの魔物が顔を覗かせる。


 魔物の姿を確認した途端にイゼットは馬から飛び降りて、腰に挿してあった剣を抜く。指笛を吹いて愛馬は脇道に逸れるように指示を出した。


 牙を剥き出しにして襲いかかって来る雪狼に、イゼットは突っ込んでいく。鋭い牙が到達する前に、体を捻って鼻先を蹴りあげ、怯んだ隙に喉を剣の切っ先で引き裂いた。


 二頭目の雪狼は後方から飛びかかってイゼットの腕に噛みついて来た。だが、魔力が込められた布と糸で作られた騎士服は、牙を弾いてみせる。攻撃が失敗に終わった雪狼は、地面で一回転した後再び突進をしてきた。

 その雪狼の脇に向かって剣を振り上げたが、突如として地上より生えた氷の杭が腹部を貫通させて絶命させる。


 氷の魔術をきっかけにするかのように、凛とした声でイゼットの後ろから隊員達に指示するアイセルの声が聞こえた。


 イゼットのすぐ近くに居た三頭目の雪狼も氷の杭に貫かれる。アイセルよりその場に伏せろという指示が飛び、その通りに動けば後方より矢の雨が雪狼の群れに降り注いだ。


 統率力を失った群れに剣を携えた騎士たちが襲いかかる。


 ものの数分で雪狼退治は終了となった。


 戦闘終了後は魔物の骸を埋める為の穴掘り作業を行う。血の匂いが野生動物を遠ざけ、更なる魔物を呼びこんでしまう可能性があるからだ。

 約三十頭もの狼を数時間かけて森の中の土に埋め、匂い消しの香草水を地面に振れば任務終了となった。


 泥まみれになった一行は、川辺で一休みをする。

 イゼットは馬の鞍を外し、鼻の頭を軽く撫でて相棒を労ってから角砂糖を与え、上流の方で水を飲ませた。


 鞍を背中に担いで運び、馬から離れた場所で汚れた体や装備品を洗うことにする。


 他の隊員達は馬と一緒に川の中に入って水浴びをしていた。上半身は裸になり、女性であるアイセルへの配慮は欠片もないという姿を見せている。


 イゼットは革の長靴を脱ぎ、水辺に足を付けながら木の枝を使いつつ付着した血や泥を落としていく。


「心もち良いか?」


 振り返れば、副官を従えたアイセルの姿があった。今回は後方で魔術支援をしていたからか、薄汚れた姿ではない。


 イゼットは適当に返事をしてから、また泥を落とす作業を再開させる。

 背後に居た二人はこのままどこかへ去って行くだろうと思いきや、続けて話し掛けてきたという。


「隣に座らせてもらおうぞ」

「は?」


 予想外の行動を見せて驚くイゼットの了解も無しに、アイセルは隣に座る。草むらに両膝を地につけて上品な姿で座り込む様子は違和感しか覚えない。


 アイセルは川遊びをする二十歳にも満たない若い部下達の様子を、目を細めて見守っている。若くない騎士達は上流の方で釣りをしたり、寝そべったりと自由だ。


「何か、用ですか?」

「いや、身なりを整えろという指示を聞いていたのはお主だけだと思って」

「……」


 別に綺麗好きだとか、そういう訳では無かった。

 パン屋で育ったイゼットは、物は大切に、としっかり躾けられていて、手入れをしないと剣も靴も、なにもかもが駄目になってしまうことを知っていたからだ。


「感心なことだ」

「……別に」


 剣を川に浸し、血と脂などを綺麗に洗い落しながら返事をする。


「時に、お主は――」

「?」

「昇進試験は受けぬのか?」


 何を言っているのかと、イゼットは鼻先で笑う。ありえない話だと、無言のままで聞き流した。


「おい、真面目に聞かぬか」


 道具の手入れが終わったイゼットは、手を洗ってから背後に置いていた鞍に着けた鞄の中より手巾を取り出すと川に浸し、絞ったもので顔や首などを拭いていた後に盛大なため息を吐いた。


「実に勿体ないと、思うておる」


 若いのに冷静で、剣の筋も良いとアイセルはイゼットを褒めた。魔物の群れに単独で向かっていくことなど、誰にでも出来ることではないという言葉も付け加えながら。


「なんだ、何か反応を示さぬか!」

「……い」

「なんだと?」

「何だかババア臭い」

「!?」


 イゼットのまさかの暴言に、アイセルは言葉を失ってしまう。


 上司が黙り込んだのを良いことに、イゼットは鞄の中からパンを取り出して食べ始めた。


「な、お主!!」


 一方は真面目な話をしているのに、全く取り合わない所か暴言まで吐いた部下を、アイセルはギロリと睨みつけた。


「た、確かに、お主よりいささか年上なれど、ババアと呼ぶには――」

「年齢の話では無くて、内容が」

「なぬ?」

「世話焼きババアかと」

「!」


 会話の内容に若々しさがないと指摘されたアイセルは、眉間に皺を寄せて不快感をあらわにする。

 だが、悲しいかな、それに反論をする言葉が見つからなかった。


 そんな彼女に出来ることと言えば、勢いよく立ちあがってイゼットを指さし、「覚えておけ!」と捨て台詞を言いながら去ることだけだった。


 ◇◇◇


 翌日、広場に集められた隊員達は、人事異動を聞かされることとなった。


「今宵にて、ギヴァンジュ・チェリク副官は第三騎兵隊・王都警邏隊に移動致すことになり申した」


 アイセルと共に移動して来た副官が本日付で移動となったことが知らされる。しかも、人員の補充はないという発表もされた。


「よって――」


 副官は今ここに居る第八騎兵隊の中から選ぶとアイセルは言った。そんな話をイゼットは自分には関係ないことだと思って視線を澄み切った晴天を見せている空に向ける。


「次なる副官は、立候補にて決めようと思うておる」


 自分から名乗り出て副官を買って出る者など居るのだろうかと、イゼットは同僚たちの顔を窺った。


 しかしながら、予想外のことが起きてしまう。


「俺がやります!」

「いや、俺が!」

「私に任せて下さい!」


 どんどんと副官になりたいと挙手をする隊員たち。

 地位や役職手当などに目が眩む者達ではないと思っていたので、イゼットの目は驚きで見開かれてしまう。


 ついにはイゼット以外の全員が手を挙げるという事態にまでなってしまった。


 そんな状況の中で、周囲の者たちの熱い視線がイゼットに集まる。


「……」


 だが、イゼットの背中に回された腕が上に挙がって来ることはない。


 隣に居た隊員が、小さな声でイゼットに囁く。


「おい、お前よ、空気読めや」

「は?」


 まったく意味が分からなかったイゼットは、何を言っているのかと聞き返した。


「こういう時は、みんな揃って挙げるのがお約束だ」

「そんな話聞いた事ねえよ」


 そう言ってそっぽを向くイゼットに、先輩騎士は牙を剥く。


「おら、お前も手を挙げろって言っているんだ!」

「はあ、意味わかんねえ! 副官なんてしたくもなければ、こんなに沢山候補が居るならわざわざこの俺が挙げる必要も無いだろうが!」

「様式美なんだよ、馬鹿野郎!!」


 イゼットに喧嘩を売った騎士は、振り上げていた手をイゼットの頭部に向って振り下ろすような仕草を見せた。

 反射的にイゼットは頭を守る為に手を上げて防ごうとする。


 だが、振り下ろされた手は打撃を与えることなく、ぴたりと動きを止めた。

 おかしな行動をする隊員を訝しげな表情で睨みつけていたが、何事も無かったかのような静しい顔を見せている。


 そして、想像もしていなかった声が掛けられた。


「よくぞ名乗り申してくれた。イゼット・セネルよ。お主を副官とする」

「は?」


 一体どうしてと周囲を見渡せば、手を挙げていた隊員達は背後に腕を回してすっかり待て、の体勢となっていた。


 一方のイゼットは、手を上げたまま、棒立ちしている状態で居る。


「いや、待」

「おめでとう!」

「おめでとう!」

「おめでとう!」


 仲間たちに捕まったイゼットは、胴上げをしようとしている隊員たちに捕まり、「ばんざ~い、ばんざ~い」というかけ声と共に体を天に放り投げられる。


 アイセルは笑うのを堪えながら、部屋に戻るためにその場から姿を消す。


 こうして、イゼットは周囲の力技で副官となってしまった。


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