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五十八話

 アイディンと落ち合った後は公爵家の屋敷に向かう。


「イゼット君、緊張していないね? 自信あるの?」

「ない」

「いいなあ、感情が顔に出ない人は」


 そんな会話をしているうちに、目的地へと到着をした。


 執事に出迎えられ、客間へと案内される。

 ここに来るまでの間、アイセルは一言も言葉を発しなかった。


 実家に帰るのは母親と喧嘩をして飛び出して以来。色々と不安を抱えながらの帰宅となっていた。


「大丈夫だ」


 イゼットはアイセルを安心させるように言う。


 今回は一人じゃない。イゼットとアイディンが居る。アイセルは不安をかき消してから、両親に挑むことにした。


 そして、使用人の手によって扉は開かれる。


「――よくぞ参った!」


 アイセルの父は椅子から立ち上がって出迎える。母親は一瞬の躊躇いの後に、後に続いた。


 アイディンが両親の紹介をする。


「イゼット君、父上と会うのは初めてだったかな?」


 イゼットはアイディンをふざけやがって、後でぶっ飛ばすと思いながら、腹に力を込めつつそうだと返事をした。


「父のアイバク・イェシルメン。母とは顔見知りだったね。ヒュリム・イェシルメンだ」


 続けて初めて会うイゼットの紹介もした。


 目の前に居たイゼットと目があったアイバクは、視線を泳がせながら椅子に座るように勧める。


 イゼットは知らない振りをしながら、お言葉に甘えることにした。


 アイセルも使用人が引いてくれた椅子に座ろうとしていたが、その前にチラリと母親の顔を見た。


「……」


 目が合って、顔を逸らしてしまう。

 大好きな母なのに、思い浮かぶのは激昂した姿。

 イゼットを分かってもらえなかったのはすごく悲しかった。その記憶だけが鮮やかに蘇っていた。


「アイセル」


 母親に名を呼ばれて再び視線を戻した。

 彼女の母は、困ったような、落ち込んでいるような、なんとも言えない顔をしている。


 もう、怒っていないと分かり、ホッとした。


「母上……」

「お帰りなさい」

「!」

「さあ、席に着きなさいな」


 アイセルは目頭が熱くなり、それを誤魔化すかのように席に着く。


「さて、話を始めようか」


 母と妹の様子を見計らってから、アイディンが言う。

 結婚の許しを乞う話し合いの始まりだった。


 ◇◇◇


「そういえば、最初に母上が言いたいことがあったよね」

「え、ええ」


 アイセルの母、ヒュリムは手にしていた扇を畳んでから机の上に置くと、前に座っていたイゼットとアイセルに頭を下げた。


「色々と、酷いことを言って申し訳なかったわ。……ごめんなさい」


 イゼットが公爵家の財産狙いでアイセルに近づいたと思ったのは勘違いであることを告げる。


「セネルさんは、アイセルのことを思ってくれる真面目な方で……、本当に悪いことをしたと」


 イゼットはもう終わったことだから、気にしていないと言った。

 アイセルはわかってくれて嬉しいと言う。


「あなたたちは私を許してくれるのね」

「母上、当たり前です」


 ヒュリムは目尻に浮かんでいた雫をハンカチで拭う。

 そんな妻の背中を、アイバクは慰めるように優しく撫でていた。


「はい、一個目の問題は解決ね。次に行こうか!」


 しんみりとした雰囲気もアイディンが一瞬で壊してしまう。


「本題ね、本題」

「……」

「……」


 イゼットとアイセルの結婚。


 アイセルは両親の顔を見る。

 とても、穏やかな表情をしていた。


 イゼットの方を見れば、彼もアイセルを見ていた。

 頷いて、視線の問いかけに答える。


 まず初めに口にした言葉は、忙しい中で時間を作ってくれたことに対するお礼と改めて名前や身分を名乗る。


 アイバクとヒュリムは頷きながら話を聞く。

 そして、本題に移った。


「今日、ここに来たのは、ある許しを得るためです」


 イゼットの低い声が、静かな部屋の中に響き渡る。

 公爵夫婦は、緊張の面持ちで居た。


「――アイセルさんと結婚したいと思っています。まだ、私自身は未熟者ですが、彼女のことは幸せにします。どうか、結婚をお許し下さい」


 部屋の中に居た者は、全員驚いたような表情で居た。


 イゼットらしからぬ言葉だったからだ。

 一番に我に返ったアイディンが父親に声を掛ける。


「父上、返事を!」

「ぬ!? う、うむ」


 アイバクは一度咳払いをしてから、妻と視線を交わす。ヒュリムは笑顔で頷いていた。返すべき言葉は、既に決まっている。


「娘を、よろしく頼む」


 一連の様子を見届けていたアイディンは立ち上がって喜ぶ。

 イゼットの肩を力強く叩き、アイセルにも祝福の言葉を贈っていた。


「そう言えば、アイセルさん、婚姻届は?」

「鞄に」


 使用人がアイセルの鞄を差し出す。

 中から取り出してアイディンに見せれば、手の中からするりと無くなってしまった。


「兄上!?」

「これはあとで提出しておくから」

「ま、待て、まだ、イゼットさんの両親の許しを得ていない!」

「いいじゃないか。一応、エヴレンさんには報告しているんでしょう? ねえ、イゼット君」

「その前に、母親を名前で呼ぶのは止めろ」

「ああ、すまなかったね」


 兄妹でまったく同じ行動をするものだと、イゼットは呆れていた。


「父上、彼が婿ということで構いませんか?」

「うむ」

「母上も?」

「ええ」


 意外な展開に、アイセルは目を見開いた。


「父上、母上、私達は、ここに居てもいいのですか?」

「もちろんよ」

「当然!」


 きちんとした理由もあると言う。

 先日、国王より公爵家を次代から先も管理して欲しいと頼まれていたのだ。


「この家には、跡取りが必要だ」

「それにね、ずっと寂しかったの。あなたたち夫婦が居れば、わたくしも嬉しいわ」


 まさかの展開に、イゼットとアイセルは驚くばかりであった。


 イゼットが公爵家に婿入りする形で話は纏まる。


「兄上、イゼットさんを婿に貰うのならば、余計に出すわけにはいかない」

「そうかな?」

「もう少しだけ、待っていて欲しい。それまで、婚姻届は兄上が持っていてくれ」

「分かった。アイセルさんの言う通りにするよ」


 婚姻届を出すのはイゼットの両親に報告をしてから。その後、二人は夫婦となる予定だ。


 話し合いの後、イゼットはアイセルの父親に呼び出された。二人きりで話がしたいとのこと。


 アイバクの私室で、向かい合って座る。

 一体何の話だろうと、目の前に座る男を見た。


「それで、話というのは――」


 先ほどよりも緊張しているように見えるアイバク。

 イゼットは机の上にあった水を注いで、相手に差し出した。


 アイバクはグラスの中の水を一気に空にした。

 水を飲んだ勢いに乗って、ある告白をする。


「イゼット・セネルよ」

「はい」

「我は、お主に嘘を吐いておった!」

「それは、それは」


 ようやくイゼットもどういう目的でこの場に呼ばれたのか理解した。


「我は、身分を偽って、第八騎兵・王都警備隊に潜入をしていた」

「はい」

「そして、その、チチウという名を名乗り……」

「左様でございましたか」

「……」


 ごくごく冷静な態度で居るイゼットを見ながら、アイバクは気が付く。


「もしや、気付いておったのか?」

「まあ」

「そ、そうよの。顔を、一度見られてしまったから」

「……」


 そういうわけではなかったが、事態が面倒になりそうなのでそういうことにしておいた。


「今までどうして、聞かなかった?」

「チチウ殿は、俺にとって素晴らしい指導者で、正体が誰だとか、そういうことは一度も気にならなかったから」

「……そうか」


 アイバクは背中を丸め、震える声で良かったと呟く。


「我にとっても、お主は素晴らしい教え子だ」


 顔を上げたアイバクは、憂いも何も帯びていない晴れやかな表情となっていた。


 これで終わりと思いきや、話には続きがあった。


「いくつか、願いがある」

「?」

「ここの婿になっても、手合わせをしてくるると、喜ばしい」


 イゼットも頷いて、こちらからもお願いしたいと言った。


「あと」

「?」

「たまにでよい、我と、おにぎりを一緒に食べて欲しい」

「自分で良かったら」

「!」


 アイバクは頭を下げてお礼を言う。

 大袈裟だとイゼットは思ったが、嬉しそうな顔をしているので、すぐにどうでも良くなった。


 アイバクの部屋を出ようと腰を浮かせると、止められてしまった。


「あと一つだけ、話が」

「なんでしょう?」

「じ、実は――」


 再び目を泳がせるアイバク。

 一体他になにがあるのかと、椅子に座りなおしながら問い掛けた。


「ハハウの正体について、だ」

「!?」


 今日、この時にハハウの正体が明かされるとは思っていなかったので、イゼットは身構えることが出来ていなかった。


「あの、夫人は――つ、妻、だ!」

「知ってた!!」

「ぬ?」

「いや、なんでもない」


 反射的にハハウの正体を見抜いていたと口にしてしまった。幸いアイバクはイゼットの言葉を聞き逃していたようだ。


 ハハウとは二度と会うこともないので、忘れてくれとアイバクは言う。

 イゼットも、そうであって欲しいと同意した。


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