五十七話
数日後、合否が書かれた手紙が人事部より届けられる。
最後もアイセルが開封することに。
「……セネル副官よ」
アイセルの声色は一次から三次の時とは違い、落ち着いていた。
イゼットは結果を受け入れようと、腹をくくる。
「合格だ」
「は?」
「おめでとう。親衛隊への入隊が決定した」
ぽかんとするイゼット。
アイセルの様子を見て、勝手に落選したものと思っていたのだ。
「なにを呆けているんだ?」
「呆けるに決まっているだろう」
公爵家のご威光はここまで効果があったのだと呟く。
「公爵家の力は関係ない。セネル副官の実力だ」
「そんなことはない」
「最終的に決めたのが伯父だから、絶対にそうだと言える」
かの、国王陛下は公式な場では身内を贔屓しない。
結果は全てイゼットの実力なので、自信を持って受け止めるといいと言った。
「そうか。そうだな」
「ああ。本当に、よくやった」
努力もしたし、手回しも完璧だった。それに運も良かった。それらを含めて実力なのだろうとイゼットは思う。
「それにしても、最後はえらい落ち着いていたな」
「セネル副官の頑張る姿を見ていたからな」
入隊は二ヶ月後と記されている。
それまでに新しい制服の採寸やら次なる副官への引き継ぎやらを済ませておかなければならない。
「そういえば、どの部隊に配属とあったか?」
「ああ、二枚目に書いてあったな」
二人は並んで書類を覗き込む。
配属先:第四王女親衛隊
「……」
「……」
偶然にも、仕えるべき相手は顔見知りの王族だった。
少し前に誕生日を迎えた第四王女、アイシェ・トゥリン・メネメンジオウル。
アイセルは辞令の書かれた紙を手に取り、間違いがないか何度も読み返す。
「ど、どうして、アイシェ姫の親衛隊なんだ!?」
「知るかよ」
アイセルは手紙をはらりと落とし、頭を抱える。
「……セネル副官」
「なんだ?」
「帰りに、役所へ行って婚姻届を提出して来るから」
「は?」
「今日を結婚記念日にしよう」
「何を言っているんだ?」
書類の空欄は既に埋まっていると、アイセルはイゼットに婚姻届を見せた。
「役所へは一人でも大丈夫だ。安心して欲しい」
「ちょっと待て!」
イゼットは婚姻届に手を伸ばしたが、指先は目標に届かずに空振りする。
「これは私の契約書だ!! いつ出すかは自由だろう!?」
「物事には順序というものがあるだろうが」
アイセルはイゼットから距離を取り、綺麗に書類を折りたたんで胸のポケットに入れる。
「どうして突然そんなことを言い出したんだよ」
「だって、姫に取られるから!」
「何をだ!」
「セネル副官しか居ないだろうが!」
とりあえず落ち着くように言って長椅子に座らせた。
「まず、隊長の両親に許して貰わなければならない」
「……」
「それから、親父を机の下から引きずり出して、結婚したいという報告をして」
「……」
「状況によっては家を買って」
「全部、二ヶ月で出来るか?」
「……まあ、頑張れば」
アイセルの両親が許してくれたら、婚姻届はその後に出せばいいとイゼットは言った。
冷静に諭されていくうちに、アイセルは大人しくなる。
「出すのは自由だが、結婚は簡単に出来るものではない」
「そ、そうだな。婚姻届を出すのは、セネル副官の両親に許して貰ってからの方がいいのかもしれない」
「急に物わかりが良くなったな」
「いや、勝手なことをしようとしていたと、目が覚めただけだ」
結婚とは当事者たちだけの問題では無い。全くの他人同士だった両家の家族が親戚となるのだ。そのことを、アイセルは思い出した。
「まあ、出来るだけ早く済ませた方がいいかもな。入隊したら忙しくなりそうだし」
「すべて、セネル副官に任せるとしよう」
それから何度かアイディンと打ち合わせをしてから、アイセルとの両親と会う日を決めた。
二週間後。
「本当に、結婚の了承は私の両親からでいいのか?」
「ああ。母さんには少し前に軽く伝えているし」
「どういうことを言ったのか?」
「アイセルと結婚するから家を出るって言っただけだ」
「母君は残念そうな顔はしなかっただろうか?」
「いや、全然」
イゼットの母親は寂しがる所か、「やだ、あなた、意外とやるじゃない!」と言って喜んでいた。
「親父の記憶がないこともあまり気にしてない位だから、心配はしなくても大丈夫だ」
「そうだといいが」
喫茶店でアイディンと落ち合うことになっていた。
途中まで乗合の馬車で行き、しばらく歩く。
指定された店は人気がなく、中はがらんとしている。
店内の窓際に座る兄を見つけたアイセルは、途端に眉間に皺を寄せた。
「あ、こっちこっち~」
魔術師の外套姿のアイディンは、若い恋人たちを笑顔で迎えた。
だが、アイセルは浮かない顔をしている。
「あれ、どうしたの?」
「……兄上、髭は止めたのでは?」
「ああ、これ?」
ここ数ヶ月間、髭を剃って髪を短くして身綺麗になっていたアイディンであったが、本日より元の顔を覆う髭面と腰までの長い髪に戻っていた。
「いや、もう可愛くなる努力もしなくていいかなって」
「兄上は、何を訳の分からないことを言っているのだ?」
アイセルは妹の代わりに可愛くなろうとしていたアイディンの事情を知らないので、厳しい一言を浴びせている。
打っても響かないアイディンは、にこにこと妹の顔を見上げるばかりであった。
「やあ、本当に良かった。ねえ、イゼット君!」
「まだ、公爵家の許しを得ていないだろう」
「いやいや、反対なんてしないでしょう」
「まだ分からない」
「大丈夫。母上もなんだかんだ言って、君のことは気に入っていると思うし」
「どうだかな」
アイディンが勝手に注文したケーキセットが来る。
イゼットは飲み物だけ受け取って、ケーキの載った皿はアイセルの前に差し出した。
「いいのか?」
「ああ」
「ありがとう、イゼットさん」
お礼を言ってから嬉しそうにケーキを頬張るアイセルを、イゼットとアイディンはぼんやりと眺める。
少し前までだったら、見ることの出来ない様子であった。
兄の視線に気づいたアイセルは、目を細めながら言う。
「なんだ、ケーキを食べたいのなら兄上も頼めばいい……」
言い掛けてから、アイセルはぎょっとする。
アイディンが大粒の涙を流し始めたからだ。
「あ、兄上、なんという」
慌てたアイセルは、イゼットから貰っていたケーキを兄に差し出した。
「こ、これを、食べるといい! だから、泣くな!」
後からハンカチも手渡した。
完全な勘違いであったが、アイディンは妹に気を病ませたくなかったので、ケーキが食べたくて泣いたということにしておいた。
アイセルが化粧を直してくると席を外した間、男二人の気まずい時間となる。
「突然泣き出すから、驚いた」
「ご、ごめん」
妹の幸せな結婚に感極まってしまったと言う。
その後、泣きながらケーキを完食するアイディンであった。
「……君には、謝らないといけないことがたくさんある」
「気にするな。お互い様だ」
「そんなことはない。いつも、ふざけたことを言ったり、妹の為だからと酷い提案をしたりしていたのは私の方だ」
「そういうことを言っていたらキリがない」
「そうだね。だったら、お礼を言おう」
アイディンは一度立ち上がってから、頭を深く下げる。
「ありがとう。それから、これからもアイセルさんをよろしく頼むよ」
大袈裟な振る舞いをするアイディンに、イゼットは勘弁してくれと呟いた。
「長年の念願が、叶ったよ」
「だったら、これからは、自分のしたいことをすればいいさ」
「!」
今になってそのことに気が付いたようだが、アイディンは複雑な顔をする。
「どうした?」
「いや、ずっと妹の為に研究を重ねていたから、今度は何をしようかなってね」
それから、妹をからめ無いと研究が捗らないのでは!? などと言い出す。
「わかった」
「?」
「まずは妹離れをしろ」
「!」
金槌で頭を打たれたような表情となったアイディン。
心の準備が必要だと、椅子に座ってから背中を丸める。
「それよりも」
「ん?」
「髭についたクリームを早くどうにかしろ」
「え!?」
イゼットはやっとのことで口の端に付いていたクリームの存在を指摘することが出来た。ずっと気になっていたのである。
「取れた?」
「取れてねえ」
ナプキンで拭ってはいるものの、なかなかクリームは取れない。
イゼットはアイディンの手からナプキンを取り、クリームを拭ってやる。
「ありがと~」
暢気な声でお礼を言った瞬間に、何かを落下させる音が静かな店内に鳴り響いた。
「アイセル?」
持っていた化粧鞄を落下させ、口元に手を当ててからわなわなと震えるアイセル。
「なにをしている?」
「イゼットさんは、そうやって誰にでも優しくする!」
「は?」
彼女はイゼットがアイディンの口を拭いてやっていたことが気に食わない様子であった。
「他人に対して淡白なのか、優しいのかどちらかにして欲しい!」
「なんでだよ」
「そうやって、普段は素っ気ないのに、たまに優しかったりするから、みんな好きになってしまうんだ」
「何言ってんだ。いいからそこに座れ」
イゼットは荒ぶるアイセルをすぐに大人しくさせた。
その様子を眺めていたアイディンはなかなかの手腕を持っていると感心する。
だが、アイセルの言うことも分からなくもないとも思ってしまった。