五十四話
入隊試験から帰って来たイゼットは、執務室へ帰ることにした。
扉を開ければ、部屋の中でうろうろしていたアイセルと目が合う。
「あ、早かったな」
「順番が最初の方だったから」
「そうだったか」
腰のベルトに佩いてあった二本の剣を壁に立てかけ、長椅子に腰掛けた。
アイセルはカップに水を注いで手渡す。
「隊長」
「な、なんだ!?」
イゼットの前に座っていたアイセルは大袈裟に反応をして聞き返す。
改まった態度で呼んだので、またとんでもないことを言い出すのではと構えてしまったのだ。
「以前、草原に出掛けた時に門の前で会った騎士を覚えているか?」
「騎士? 姫の胸飾りを探しに行った時か?」
「いや、二回目に行った時だ」
「……」
アイセルは私生活に絡んだ話を職場で話すイゼットを意外に思った。
「ああ、道案内をしようと話し掛けて来た親衛隊の騎士だな。その男がどうかしたか?」
「いや、今日の対戦相手がそいつで……」
言い掛けてから、視線を窓の外へ移すイゼット。
「なにか言われたのか?」
「別に」
話は終わりだとばかりに、イゼットは執務机について事務仕事を始める。
何が言いたかったのかは不明のままだった。
数日後。
イゼットの親衛隊の第一次審査の合否が書かれた手紙が執務室に届けられた。
イゼットは真剣な眼差しで眺めるアイセルに、未開封の手紙を渡した。
「な、なぜ私に!?」
「俺より気になっているみたいだから」
「……」
アイセルは手紙を受け取り、ペーパーカッターで封筒の上部に切り込みを入れて開封した。
「……ふう」
「……」
息を整えてから、中の書類を手にする。
イゼットは長椅子に座って窓の外を眺めていた。
ハッと息を呑む声が聞こえる。
「セ、セネル副官!」
震える声でアイセルは結果を口にした。
「一次審査、合格だ」
「左様で」
アイセルは立ち上がってどうしてそんなに落ち着いているのかと、手紙を渡しながら言う。
「公爵家のご威光があるから、一次は通ると思っていた」
「私はずっとドキドキしながら結果を待っていたのに!」
書類には二次審査である筆記試験についての日程が書かれていた。
「ふん。筆記試験は私が毎晩教えているからな。楽勝だろう!」
イゼットの部屋でアイセルから勉強を習っていたが、壁には父親の体が封じられた魔法陣が煌々と部屋の中を照らしていた。少しでも二人の距離が近づこうならば、即座に注意が飛んで来る。
淫魔なのに男女交際については厳しい父親であった。
「筆記試験を通過したら面談だったか」
「ああ。落とされるとしたらそこだろう」
公爵家の後ろ盾が効果的なのも二次審査までだろうとイゼットは考えていた。
「そういえば、父上……チチウとやらには話したのか?」
「試験の前の日に」
「何か言っていたか?」
「いや、特に」
チチウはイゼットの進む道について、静かに聞き入れて意見することはなかったという。
「ただ、寂しくなると言っていた」
「それは仕方がない話だろう。父上のおにぎりを食べてくれるのは、セネル副官しか居ないから」
「気の早い話だ」
まだ合格もしていないし、杞憂に終わるだろうと言ってから、午後からの仕事を再開させる。
一週間後。
筆記試験の日も普段通り朝の訓練をしてから、チチウの作ったおにぎりを食べる。
「筆記試験は今日であったか?」
おにぎりを頬張ってすぐに聞かれたので、首を縦に振って答えた。
「お主が、仮に――」
「?」
合格をしたら知らせて欲しいとチチウは言った。
「どうしてだ?」
「紹介したい者が、居る」
「わかった」
誰かと気になったが、通過するかも定かでなかったので、了承だけしておく。
チチウは一次試験の時と同じように、イゼットの背中を叩いて健闘を祈った。
イゼットは一次試験の時と同じように、チチウに叩かれて胃の中の物が出そうになって焦る。
二次試験は午後から始まる。
一次試験は三十人位の騎士達が居たが、通過者は十人しか残らなかった。
全員揃ったので、試験内容が書かれた用紙が配られる。
開始の合図と共に紙を表にした。
試験のほとんどがアイセルから習った内容ばかりだった。丸暗記していたので、試験の半分以上は暇を持て余す事になる。
試験終了後はそのまま解散となった。
他の参加者に絡まれたくなかったイゼットは、最後に会場を出る。
早足で廊下を歩いて居れば、前方より親衛隊の騎士達がやって来た。
勤務が終わったからか交わす声色は明るいものである。
イゼットは廊下の壁に背を向けて、道を譲った。
すれ違う者達はどうしてここに警備隊の騎士が? という胡乱な目を向けるが、自らの視界から居なくなれば気にも留め無くなる。
ところが、一人だけイゼットを気に掛ける者が居た。
「お前は、あの時の!」
「……」
無駄に見目の良い親衛隊の男、ジェラール・アイドアンはイゼットの姿を発見してしまう。
「今日は試験日だと聞いていたが、もしや、一次を通ったのか!?」
「……まあ」
薄い反応しか示さないイゼットに、ジェラールはイラついた。
「よくもあんな訳の分からない戦い方をして受かったものだな」
「運が良かった」
「運だと!? お前は親衛隊の試験を舐めているのか!?」
「いや、全く」
「ど、どうして、お前はそう……!」
口喧嘩を吹っ掛けたのは良かったが相手が打っても響かないので、不愉快な思いが募るばかりだった。
何か揚げ足でも取ろうとしたが、何も思いつかない。
他人の容貌や地位、育ちなどを非難するのは良くないことだと教育されていたので、攻撃出来そうな言葉が浮かばなかった。
遠くから先に歩いていた同僚の呼ぶ声が聞こえる。
「ふ。私を呼ぶ声が」
「さっさと行けばいい」
「……」
ジェラールは覚えておけよ! と言ってイゼットの前から姿を消した。
◇◇◇
数日後、人事部より合否が書かれた通知が届いた。
イゼットはまたしてもアイセルに開封と確認を任せる。
「手が震えてうまく開封出来ない!」
「手を切るなよ」
「セネル副官はなんでそんなに落ち着いているのか」
イゼットは緊張でどうにかなりそうだと言っていたが、だらりとした姿勢で長椅子に座っているだけだった。
今回は早く楽になりたくて、一気に開封して結果が書かれた紙を広げた。
「あっ!!」
紙面に書かれてあったことを読んだ瞬間にアイセルは立ち上がる。
表情を見れば、結果がどうであったかは明白であった。
「合格だ!」
「二次審査がな」
「反応が薄い!!」
アイセルは嬉しさのあまり、イゼットの座る長椅子に駆け寄って、抱きついて来た。
「ここは職場だ」
「今は終業後だ。それに、鍵も掛っている」
頻繁に隊員達が立ち入るので、アイセルは自腹を切って鍵を作ったのだ。
「最近は、こんな風に出来なかったし」
「親父が居るおかげでな」
「それは、仕方がない」
イゼットに注意されたので、喜びの抱擁は瞬く間に終る。
しゅんとなっているアイセルに、ある提案をした。
「試験が終わったら、どこかに出かけよう」
「!」
暗くなっていた表情はすぐに明るくなって、どこに行くのかと聞いて来る。
「別に、どこでも」
「私もどこでもいい。――あ、お弁当を持って公園に行こう!」
「この寒い中でか?」
「そうだった」
窓の外はちらちらと雪が舞っていた。
季節は移ろいつつあった。
◇◇◇
二次審査通過の旨をチチウに伝えると、終業後に裏門の前で待っているように言われた。
約束通り待っていれば、黒い外套と頭巾を被ったチチウが現れる。
「待たせた」
「いや、今来たばかりだ」
少し歩いた先に馬車が停まっており、乗るように言われた。
どこに行くのか激しく気になっていたが、重たい空気を纏うチチウに聞ける状況ではなかった。
しばらく走ること数分。辿り着いたのは王宮の裏にある出入口だった。
「ついて来られよ」
「……了解」
薄暗い廊下を進み、通路の行き詰まった先にあった部屋に案内された。
「ここより先に、お主に教鞭を揮いたいと希望する者が居る」
「礼儀か何かの先生が居るということか?」
「左様」
健気に頑張っている騎士が居るという噂を聞き、第三審査の科目である礼儀作法などを教えたいと申し出ているという事情を説明した。
イゼットは勧められるがままに取っ手を捻り、扉を開いた。
扉が開いた瞬間に、長椅子に腰かけていた者がさっと立ち上がる。
「――イゼット・セネルよ。その、彼女は」
「……」
部屋の住人と向き合う形となったイゼットは、咄嗟に奥歯を噛み締める。
教師役をしてくれるのは、女性だった。
「はじめまして」
声色から言って老齢の女性だということわかる。
すっと伸びた背筋に、気品のある佇まい。
イゼットの良く知るある淑女と姿形は全く同じであったが、目元だけが隠れる蝶のような仮面を付けているので、はっきりとは断定出来ない。
見た瞬間に正体を見破ってしまったが、別人だと思い込むことにした。
仮面の淑女は膝を軽く折り曲げて、挨拶をする。
「わたくしの名は――ハハウ」
「!?」
イゼットは名前を聞いた刹那、もう我慢出来ないと思った。
だが、咳き込んだ振りをして、なんとか噴き出したのを誤魔化した。
「あなたに、礼儀作法を教授する為にここに来たの」
アイセルの母親――ではなくて、ハハウは凛とした様子で言った。