五十一話
「え、後ろ? いやあ、強制召喚って無理矢理体を引き剥がす様に転送するから鈍くなっ……」
振り向いた先には、発光する魔方陣と喋る机があった。
目の前の異様な光景に一瞬だけ言葉を失う。
――なんだ、お前は!?
「――え、うわ、なんだこれ。……あ~、えっと、国家魔術研究局所属、アイディン・イェシルメンと、申します」
食卓は頷くようにガタリと揺れた。
――アイの付く名は、王族の関係者だな!?
「よ、よく、ご存じで」
「普通に食卓と会話すんなよ……」
冷静さを取り戻したイゼットが指摘する。
アイディンもどうして食卓と会話をしているのかと思ったが、気にした方が負けだと自らに言い聞かせた。
「それで、そちら様は?」
食卓に事情を伺えば、よくぞ聞いてくれたと叫んだ。
――私はエヴレンの夫、メティン・メルト・ミュチャイトレルである。
「エ、エヴレン、さんの旦那様の、メティン・メルト・ミュチャイトレル、さん?」
――左様。
胸を張るように食卓は傾いた。
現実逃避をするように、アイディンは視線を後ろに移す。
そして、エヴレンって誰? と言いたいような視線をイゼットに向けた。
「……母の、名だ」
イゼットの言葉を最後に、シンと静まる部屋の中。
とりあえず、アイディンは目の前の気になっている事から指摘する事にした。
「それはそうと、君ら、そろそろ離れない?」
「あっ! 兄上、これは、違っ……!」
アイディンに言われてアイセルは気が付く。イゼットに身を寄せたままだったことに。
慌てた様子で離れ、乱れた金の髪の毛を整える。一方のイゼットはまさかの事実に呆然としていた。
「話は戻すけど、この食卓は、君のお父さんだと?」
「知るかよ」
――そうだ。我が息子よ。
「……」
「なんと! イゼット・セネル君のお父さんは、食卓だっ」
「いや、普通に淫魔だろ」
親子の邂逅に水を差すアイディン。イゼットも突っ込みを入れてしまう。
「えっと、お父さん、どうしてそんな所に居るのですか?」
――息子を普通の人間として暮せるようにありったけの魔力を譲ったら、自身の具現化も出来なくなってしまったのだ。これも、あの筋肉魔術師の契約のせい……。
「なるほど。それで、とりあえず元居た世界に召還される前に自身を魔力吸収の効果がある魔法陣の中へ封じたと」
――然り!!
横になっている机が頷くように大きく揺れたので、倒れて来るんじゃないかと食卓の傍に居たアイディンは戦慄をしたが、すぐに元の位置へと戻って行ったのでホッとする。
「えーっと、お父さん居るけど、イゼット君、何か喋りたいことある?」
「いや、別に」
――釣れない事を言うな、我が息子よ!! 父の抱擁を受けてみろ!!
「机がどうやって抱擁するんだよ」
――心配しなくてもよい。その娘の魔力があれば、私は具現化を可能とする!
息子の冷たい態度にも屈しない淫魔。
一方で、急に話を振られたアイセルはびくりと肩を震わせる。
「私の?」
――そうだ。軽く触れるだけで構わない。
アイセルはどうしようかという意味の視線をイゼットに向けた。
当然ながら、そんなことはしなくていいと首を横に振る。
そんな食卓と若者達の間にアイディンは割って入る。
「あ、その前にいいですか、メティン・メルト・ミュチャイトレルさん?」
――なんだ、アイディン・イェシルメン!?
「貴殿を呼び出したのは、もしかして、アイルウ・エンデール・メネメンジオウルでしょうか?」
――ああ、そうだ。思い出した! アイルウ・エンデール・メネメンジオウル! 前王とか、魔術師団長とか、良く分からん肩書きを持っていた偉そうな筋肉魔術師!
お喋りな食卓もとい、淫魔・メティンはアイセルとアイディンの祖父より呼び出されたと言う。
「もしかして、祖父は貴殿を神杯代わりにしようと思ったとか」
――左様。
自国の特別な継承権を発動させて早い時期に息子に王位を明け渡したアイルウは、魔術師団に身を投じ、研究と次代の魔術師の育成に精を出していた。
忙しいながらも孫に接する時間も増え、穏やかに過ごす日もあった。
そんな中で起こった、誕生したばかりの孫娘の襲った悲劇。
過去の文献をいくら漁っても解決策を見つけ出す事は出来なかった。
そんな彼が最終的に思いついた方法が、淫魔を召喚して魔力を受け止める神杯を作りだそうとした。
――あれは、乱暴な奴だった。召喚の契約で縛られた善良な淫魔を切り刻もうとした。
あの手この手で逃げ出した淫魔だったが、途中で魔力切れを起こしてしまう。
――そこで、こと切れようとしていた小汚い私を拾ってくれたのが、エヴレンだった。エヴレンは美しい娘では無かったが、私には聖女のように見えた。彼女は私に手を伸ばし……
「あ、その話、長くなります?」
机に視線を合わせる為にしゃがみ込むという地味に辛い体勢で居たアイディンが淫魔に聞くが、構わずに語り続ける。
偶然会った女性、イゼットの母・エヴレンは煤塗れの男を連れて帰り、看病をした。
彼自身は存在が消える寸前になっていたので、淫魔の能力すら使えない状態にあったと話す。
――しかしながら、不思議な事に私は看病を受けるうちに生の力を取り戻したのだ。
エヴレンの体の中には大量の魔力が満ち溢れていた。
そして、彼女の作るパンを食べるうちに朽ち掛けていた体も見事に回復をしていったという。
――共に過ごすうちに、私とエヴレンの中には愛が芽生え、夫婦となった。
「両親のそういう経緯とかキツイんだが、まだ聞いた方がいいのか?」
質問に対する答えはない。
息子であるイゼットの言葉もまた、綺麗に無視された。
――それから一年後に、子供が出来た事が発覚する。
「あの、どうして淫魔と人間の間に子供が生まれたんですか?」
――それは、お主らの祖父が私を、人間を模した器に召喚をしたからだ。
「ああ、なるほど。だったら、イゼット君は半淫魔でもないと?」
――比率的には四分の一淫魔という所だろうか。
「そういう事情が……」
完全な悪魔の体では無い男の穏やかな日々は長くは続かなかった。
無理矢理魔術師と結んだ契約を破棄している状態での活動期間に限界が訪れようとしていたのだ。
妊婦である妻から魔力を摂取する訳にもいかなかった。
淫魔らしくない方法での魔力集めの日々は続いていく。
――どうにか人としての生き方を見出し掛けていた。だが、生まれた子供は外見も性質も悪魔だった。
この世界では、正体について謎の多い悪魔は忌むべき存在とされていた。
このままではいけないと、淫魔は思ったのだった。
――妻と周囲の者の記憶を操作してから気を失わせ、息子の角と羽を千切り、普通の子供として生活出来るように、悪魔の力を封じる術も施した。
その後、妻と子に未練を残していた淫魔は、自身を魔法陣の中に封じ、いつか具現化出来る日を待っていたという。
「……ということは、奥さんは悪魔だと言う事は知らないと?」
――ん、まあ。
「おい。だったら俺に淫魔の説明をしたのは」
――それは、その、私である。
「……」
イゼットはあの日の母親は妙な状態だった事の理由が分かり、すっきりしたような、なんとも言えない気分を味わう。
――私はこの家で、ずっと見守って来た。
喋れなくても家族で楽しそうに食事をする様や、妻の元気に働いている姿、息子の成長する様を見ながら一人満たされるような気持ちになっていたと話す。
――しかしながら、不思議なものだ。あの筋肉魔術師が助けようとしていた娘と、わが息子が手と手を取っていたとはな。その、私は二人が睦み合っている様子を見て、な、なんとも、言えぬ、その、あれだ……。
「おい、止めろ、この覗き魔!」
――私は覗き魔ではなく淫魔だ!
「今となってはどうでもいいことだ!」
親子喧嘩を始める食卓とイゼットの間にアイディンは割り込み、仲裁をする。
「それで、メティン・メルト・ミュチャイトレルさんは妹の魔力を使って具現化したいと?」
――そう思っていたが。
「?」
――二十四年振りに妻に会うのがちょっと恥ずかしい故、もう少し心の準備をしたい。
ちなみに、現在淫魔としての能力は無いと言う。
――この魔法陣の中で熟成されているのは、かの筋肉魔術師が用意した人間の器に入った私である。
人間とほぼ同じ状態に修繕していた。
――しかも、老いて見る影も無くなっている。
「あ~、誰も得をしない、小汚いおっさん(元)淫魔っていう訳ですね」
――さ、左様。
淫魔はしばらくの間、決心を固めたいと言った。
「一つだけ、いいですか?」
何かと淫魔は訊ねる。
「貴殿は、私達を憎らしく思わないのでしょうか?」
アイセルを助けたいからと言って無理矢理召喚され、生命の危機にも晒された淫魔に質問をした。
――否。
淫魔は話す。この世界に呼ばれたお陰で愛を知り、悪魔にはない家族という存在が出来たと。
――感謝こそはしていないが、恨んでもいない。
「そうですか。だったら、良かった」
アイディンはその言葉を聞いて安心をする。
とりあえず、この日はそのまま解散となった。
イゼットによって蹴り倒された机も、元の位置へと戻された。




