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五十話

 休日。

 イゼットとアイセルは朝から揃って店番をする。

 どんどん焼き上がるパンをガラスケースの中に並べ、釣銭も数えて小袋に入れる。


「イゼットさん、前から疑問に思っていたのだが、お釣はどうして紙袋に入れるんだ?」

「金が汚れているからだと」

「へえ」


 清潔にした手で紙の小袋を持ち、何種類ものお釣を詰めていく。

 今までアイセルはイゼットの母やシェナイの指示通りに動くだけだったので、あまり気にも留めていなかったと言う。


「硬貨を触った手で袋を掴むなよ」

「分かっている」


 多くの人が触る硬貨や紙幣は雑菌まみれである。

 代金を受け取る時は釣銭皿に入れて貰うようにしていた。


 パンを詰める際は道具を使うので直接手で商品に触れる訳ではないが、万が一の事を考えて創業当時から行っている事だった。


「忙しい時間はこうやってお釣が用意されていれば楽だしな」

「なるほど」


 そうこうしている内に店を開ける時間となる。


 開店と共に客は押し寄せ、朝食や昼食用のパンを買っていく。


 流石の常連も朝の忙しい時間に若い二人の店員をからかう暇はない。

 注文があったパンを袋に詰め、頭の中で商品代を計算し、お釣を素早く渡すという行為を商品が売り切れるまで繰り返した。


 早朝からの手伝いが終われば、後の時間は休日となる。


「アイセル、今日はどうする?」

「疲れているだろう? ゆっくり休め」

「いや、若いから、別に」

「……」

「今から遠乗りに出掛けて来るから」

「ま、待て! 私も行く!」


 急いで支度を整えて、職場に置いている馬を取りに行く。

 途中、昼食用のパンと飲み物を購入した。

 購入した店は以前シェナイと行った流行りのパン屋。

 少々並ぶ事になったが、色々と珍しいパンを買えた。


 寄り道をしつつ、騎士隊の駐屯地へ向かう。

 ほとんど人通りの無い裏口から行けば門番と厩務員以外から見つかる事もない。


 馬に跨ったイゼットとアイセルは王都の門を抜けて森の中を走る。

 途中、湖の畔で馬を休めせてから草原に向って駆けた。


「今日は驚くほど風がないな」


 アイセルは周囲を見渡しながら感想を述べる。

 風を受けてさらさらと流れる若葉の群も美しかったが、冬の色に染まりつつある草の色も綺麗だと思った。


 馬を放してから、適当な場所で休む事にする。


「イゼットさん。もう、食事にしよう」

「そうだな」


 アイセルもイゼットも朝食は小さなパン一個だけだったので、空腹状態であった。


「あ!」


 アイセルが鞄の中からパンを取り出した後に声を上げる。


「どうした?」

「いや、敷物を忘れてしまっ……わっ!?」


 先に草むらの上に座っていたイゼットが、アイセルの腰に片腕を回して引きよせ、膝の上に座らせる。


「何をするんだ!」

「前に言っていただろう? 敷物が無い場合の紳士の模範的な行動を」

「はあ!?」


 イゼットの体が微かに震えていたので、背後で笑っているのが分かった。

 アイセルはわざとやった事に気が付き、抗議をする。


「あ、あれは冗談だ! イゼットさんの言った事は不正解で、正解は上着を地面に敷いて女性を座らせ――ッ!?」


 軽く抱き寄せていた状態から、何も言わずに腕に力を込めて密着して来たので、アイセルは言葉を詰まらせてしまった。


「ど、どうした?」

「暖かいから」

「体温目的か!」


 アイセルはそれからしばらく暖房役に徹していた。


 街で買って来たパンは種類も豊富で見た目も華やかなものだった。


「花型のパンとか、とても綺麗に見える。商品棚の中でも目を引いていた」


 アイセルは他店のパンについて熱心な分析をしていた。

 イゼットは何も考えずに味わうばかりである。


「周囲の店も真似していたな」

「なんだ、市場調査をしているのか?」

「シェナイがな」


 暇さえあればシェナイは弟分であるイゼットを連れて街のパン屋に行ってどういった商品を売っているか見に言っていた。


「それで、流行っているものがあれば取り入れるのか?」

「いや、買って食べて、やっぱり家のパン屋の方が圧倒的に美味しいって馬鹿みたいに毎回絶賛するだけ」

「……」


 休日のパン屋巡りはシェナイのささやかな趣味、もしくは職業病だとイゼットは思っている。


「将来は、シェナイがパン屋を継ぐのか?」

「そうだな」

「イゼットさんはパン屋を継ごうとは思わなかったと?」

「まあ、シェナイが居たから」


 幼い頃からシェナイは自分がパン屋の店主になる事を主張し続け、イゼットは名誉ある従業員その一だと言われていた。


「誰にも言った事は無かったけど、シェナイのパン屋で絶対に働きたくねえって、ガキの頃から思ってた」

「……」


 なんとなく、シェナイの言いなりになって過ごしたであろうイゼットの子供時代を思い浮かべて切なくなる。何事も諦めたかのような態度は、幼い頃からのシェナイとの上下関係が起因しているのかもしれないと思ってしまった。


「その、シェナイは、良い娘だが」

「あいつは男には暴君のような態度で接して来るんだよ」

「そ、そうだったのか」


 アイセルは「私は優しくするから」と言ってイゼットの背中を撫でた。


 食事を終えたイゼットはごろりと草むらに寝転がる。アイセルは呆れた目付きで見下ろした。


「食事の後に寝るのは体に良くないと、前に言っただろう?」

「……腹が満たされたから眠くなった」


 せめて胃液が喉に上がって来ないように枕みたいなもので角度を作ってから眠れとアイセルは注意する。


「よく、そんな事を知っているな」

「小さい時は本が友達だった」

「そうか。……シェナイの遊び相手をして欲しかった」


 パン屋の手伝いであまり遊んだ記憶はなかったが、それでも暇を見つめて遊ぶ相手と言えばシェナイしか居なかったイゼットはぽつりと呟く。


 優しくしようと約束をしたアイセルは、とある提案をした。


「イゼットさん、膝を貸そう。枕代わりに使え」


 アイセルの申し出を、イゼットはありがたく受ける事にした。


 しばらく静かな時間を過ごした。

 アイセルはぐっすりと眠るイゼットの顔を眺めながら、穏やかなひと時を満喫する。


 肌寒い季節になりつつあったので、青空は数時間と保たずに移ろいの兆しを見せていた。


「そろそろ帰るか」

「もう、そんな時間か」


 時計を持って来るのを忘れたので、正確な時間は分からないが太陽の位置も地平線へと傾きつつあったので、帰る事にした。


 帰宅後、アイセルは草原で摘んだ花をイゼットの母にお土産として渡す。


「え、やだ、嬉しい!」


 受け取ってすぐに鼻歌を歌いながら花瓶を探す。棚の奥にあった埃を被っている花瓶を取り出して洗い、食卓に飾った。


「いいわねえ、お花のある生活は」


 食卓の上に置いていた花は二日ほどで枯れた。


「少し、早くないか?」

「?」


 アイセルは何の事だと思ってイゼットを振り返る。


「花瓶に入っていた花だ。枯れるのが異常に早かった」

「そうなのか?」

「あ!」


 以前アイディンから聞いていた話を思い出す。イゼットの家には悪魔が敷いたと思われる魔法陣があると。


 机の下を覗き込めば、円陣に囲まれた呪文が描かれた術式があった。

 色んな場所に浮かんでは消えて行くとアイディンが言っていて、イゼットも今まで見つける事が出来なかったのだ。


「アイセル、これを見てみろ」

「なんだ?」


 アイセルも地面に膝をついて食卓の裏を見る。


「これは――高位魔術、という事だけ分かる」


 アイディン曰く、見つけたと思ったら瞬きをする間に消えていたと言っていた。

 だが、魔法陣は消えずに二人の目の前にある。


「もしや、魔法陣これのせいで、花が枯れるのが早かったのか?」

「恐らく、花の中にある魔力を奪ったのだろう。私もこのような緻密な魔方陣は初めて見る」


 今まで食材などの魔力を奪うばかりで、人には害がなかったから気にも留めていなかった。

 だが、こうして目に見える形で花が朽ちて行った事実を知れば恐ろしく思う。


「とりあえず、兄上を呼んで」


 ――どれ、そこな娘よ。私に触れてみよ。


「え!?」


 低い男の声が聞こえた。


 詳しく言えばイゼットに似た声だった。


「イゼット、さん?」


 まさかと思ってアイセルは横に居たイゼットを見たが、自分では無いと首を振る。


 ――なあに。恐ろしいものではない。


 ガタリと食卓が揺れた。


 イゼットはアイセルを抱き寄せ、机を蹴り上げて倒す。


 横に倒れた食卓は、謎の笑い声と共にガタガタと震えた。

 イゼットは即座に魔技巧品の腕輪でアイディンを強制召喚した。


 腕輪は発光して空中に魔法陣を描き、その中からアイディンが姿を現す。


「あ、は~い。何か用?」


 呼び出された場所に降り立てば、抱きあっている妹とその恋人を見つける。


「あれ、もしかして、お取り込み中に間違って呼んじゃった系?」

「……いや、後ろ」

「え?」


 イゼットはアイディンに指し示す。


 背後で荒ぶる食卓の存在を。

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