五話
アイディンが言う言葉を聞いていたイゼットは、想定内の展開だと目を伏せる。
しかしながら、その先に説明をされたことは、予想もしていないことであった。
「アイセルは、病気なんだよ」
他人の善意を受けて、魔力を生成してしまう力。
「あの子は、たくさんの人からの祝福を受けて生まれた。幸せなお姫様だったんだ」
子ができにくいと言われていた夫婦の、十五年振りに授かった子供。
王宮騎士隊の総隊長であり王弟でもある父を持ったアイセルの誕生は、国民全ての祝福に包まれていた。
「――生まれたその日に異変が起こった」
魔力の暴走。
「巻き込まれたのが父と祖父で、本当に良かった」
アイセルの体からあふれ出た魔力は大きな爆発を引き起こした。
幸いなことに、赤子を抱いていた父は魔術の心得もある騎士で、傍に居た祖父は王宮魔術師団長の二人。大事には至らなかったという。
「まあ、爆発の影響で衣服の類が全て吹っ飛んでしまって、赤子を抱えた父と杖だけ持った祖父が、全裸で堂々と闊歩して来た話はちょっと笑ったけどね」
そのような関係のない話を挟みつつも、アイディンは語り続ける。
以降、アイセルの身は封印の施された地下研究所に託され、体の特性を調べる毎日に明け暮れていたという。
「私が、可愛い妹に出会えたのは三歳になってからだったよ」
三歳となって拙い言葉を操れるようになったアイセルは、祖父にすっかり影響されていて古めかしい言葉を喋る娘になっていた。
それでも、可愛い妹に変わりはなかったが、アイセルの持つ問題が普通の家族として迎えることを許さなかった。
「祖父は、私に言った」
妹を愛してはいけない。それは、彼女を苦しめることになる。
いかなる状況下に居ても非道に徹せ。それは、彼女を助けることになる。
「酷い話だったよ。私は、妹を抱きしめることだけを、楽しみにしていたのに」
幼い娘の肌には大量の呪文が刻まれていた。それに加えて、魔力の消費が激しい魔技巧品を身に付けることを課せられた。
「一つは、額に着けている雫型の宝飾品、聖女の涙」
自身の魔力を吸い取る呪われた魔技巧品で、長い年月を地下の封印の中で過ごしていた。
「二つ目は、魔剣、ディラン」
ひと振りすれば魔力の消費量によって老いて死ぬとも言われている剣を、アイセルは平気な顔で持ち歩き、また揮った。
「父の元で切磋琢磨をした妹は、それはそれは娘らしくない、残念な子に育ってしまった」
古めかしい言葉を喋り、武人の誇りを持つアイセルは、どこに行っても悪目立ちをしてしまう。
真っ直ぐで、世の中の汚さを知らないまま育ったアイセルは、騎士たちと衝突を繰り返していた。
「生まれて来る時代が悪かった」
ひと太刀で魔物を屠り、果敢に戦う姿は誰よりも勇ましい。
魔物が蔓延り、戦乱に塗れた世ならば彼女は英雄になっていたかもしれない。家族の誰もが嘆いていた。
数百年前に大精霊との契約を果たしたこの国は、長い間平和を維持していた。
力を発揮する機会がないアイセルは、どこに行っても疎まれるという結果となっていた。
「もう、妹には憐みの目を向けるしかないと、そう思っていた」
「……」
「でも、君が現れた」
またとない僥倖。
魔力を奪い取る特性を持つという青年の存在は、公爵家にとっては最大の利用価値があった。
「淫魔が、どういう生き物なのか、知っていて、言っているのか?」
「さきほど説明を聞いただろう? 性交によって魔力を奪う生き物だとね。分かっているよ」
「よく言えるな、自分の妹を犯せと。狂っている」
その言葉をアイディンは否定しなかった。
「もう、私はおかしくなっているのかもしれないね」
幼いころ、己の中の魔力を持て余し、苦しむアイセルは誰にも悟られずに一人泣いていた。
「妹の魔力の暴走を防ぐ魔術を施すのは私の仕事だった」
辛い毎日を過ごすアイセルに励ましの言葉を掛けることも許されず、アイディンが任された事と言えば、魔力抑制の呪文を体に刻む作業だけだった。
「体に呪文を刻むのは、焼いた金篦を押し付けるような行為で――」
泣き叫ぶ妹の姿に耐え、二十何年と祖父の言いつけ通りの態度で接して来た。
「もう、いいんじゃないかって、許してくれと、神にも縋るような気分でね。家族も顔には出さないけれど、誰もが限界なのだと思っている」
出来る限りの手は尽くした。それでも、アイセルが普通に暮らせる状態には程遠い。
「そもそも、魔力を吸うっていう国宝を持ち出しても無理だったのに、俺が魔力を奪った位では意味もないものになるんじゃないのか?」
「まあ、普通の淫魔だったらそうだろうね。でも、君はとてもいいものを持っている」
「?」
アイディンはイゼットの耳飾りを指さした。
「悪魔の装飾品。それは神杯と同等か、それ以上の力を持っている」
「エリクシル?」
「魔力を無限に貯めることが出来る器だよ」
イゼットの持つ耳飾りは人の手で作られた品ではなく、特別な力で作られたもの。魔術を嗜む者ならば、喉から手が出るほど欲しいと望む品でもある。
「それは君が人としての形を保つ品で、しかも、命とも繋がっている。こちらが欲しいと言ってもくれないだろう?」
「当たり前だ」
「だったら、取引をしよう」
イゼットに差し出される一枚の紙。
書かれてあるのは、三日に一度アイセルの元へ訪れて性交を行うということ、事後のアイセルの記憶は消去するという記載、謝礼として一回に付き五十万リラを与えるという条件。
尚、イゼットの一か月の給金は二十万リラ。破格の謝礼金が示されていた。
「この、記憶を消去するって」
「その方が互いに気まずくないだろう?」
昨日の記憶も、事情を聞き出した後に消しておいたと言う。
「まさか、常日頃から都合の悪い記憶は消しているんじゃあないだろうな?」
アイディンの微笑みは肯定にしか見えなかった。
「いいじゃないか。気持ち良くなって、かつ、君の人としての命も繋がることになる。悪いことは何もない」
「別に、気持ち良かったとか、そういうことを一度も思ったことは」
薄ら笑いを浮かべるアイディンの顔を見て、イゼットは言い淀む。
淫魔にとって人と交わることは魔力を奪うためのもの。人にとっての食事と同じ意味を持つ。よほど美味しいものでなければ、一か月と前に食べた物のことなど覚えているわけもなく、イゼットもほとんどその時の記憶は覚えていなかった。
「まあ、いいか」
「?」
「考える時間をあげよう」
イゼットの手にアイディンは小瓶を押し込む。
「これは?」
「ハイデアデルン産、血槳錠」
人の血には魔力が溶け込んでいる。それを異国の技術で固めて作ったという錠剤をイゼットに手渡した。
「昏倒した君に、この薬を飲ませた。少しだけ体が楽になっているだろう?」
だが、薬の効果は長くは続かないという。
「なぜかと言えば、個人の魔力には様々な特性があって、同じもの同士でないと体の中に留まらないで出て行ってしまうのさ」
なので、毎日薬を服用してもあまり意味がないとアイディンは言って聞かせた。
「君は淫魔だ。それは人との交わり合いをするときだけ、魔力を十分に補給することが出来る」
「薬が無くなるまでに答えを出せと、そういうことか?」
吐き捨てるように言うイゼットに、アイディンはよく分かりましたと言わんばかりの満面の笑みを向けている。
「さあ、もう家に帰った方がいいだろう。ご家族も心配している」
イゼットは布団を剥いで寝台からおりてから、靴を履く。
その間に鐘が鳴らされて使用人らしき男が部屋の中に入って来て、イゼットに上着を差した。この時になって自分が来ていた私服ではないことに気づく。
「おい、服は」
「アイセルの魔術で駄目になったから捨てたよ」
「……」
差し出された上着を乱暴に掴み、舌打ちをしてアイディンの元を去る。
頭の容量がいっぱいになり、現実を受け入れるには時間がかかりそうだと考えながら、痛む頭にイラつきつつ帰宅をする事となった。