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四十九話

 一度目。

 アイセルの唇に持って行った水は、口の端から流れて行った。


 イゼットは諦めずに水を含んでから口移しで飲ませる。


 四回目に初めて成功した。

 ごくりと水を飲み込む様子を見届け、同じように何度か繰り返す。


 だんだんとアイセルにも体温が戻って来た。

 金の睫毛がふるりと揺れて、瞼が開く。


「――ん」

「!」


 意識が戻ったアイセルに気が付くと、イゼットはその場に座り込んでしまった。


 深い、安堵の息を吐く。

 それから立ち上がって、カップに水を注いでアイセルの隣に座った。


「水は、飲めるか?」


 大丈夫だと微かに頷くので、アイセルが受け取ったカップの底を支えてしっかりと水分と取らせた。


「私は、どうしていた?」

「……」


 長椅子に座った記憶がないと呟く。


 死に際を悟っているような様子に見えたとは言えない。

 イゼットは会場の人混みに酔ってしまったのだろうと言う。


「具合はどうだ?」

「……まだ、少しくらくらするが、心配はいらない」


 少しでも楽になるようにと、イゼットはアイセルの手に自らのものを重ねる。


「手が、冷たくて、気持ちがいい」

「そうか? さっきまで信じられない位手に汗を握っていたんだが」

「一体、何があったんだ」


 笑って話すアイセルにイゼットはホッとした。


 当然ながら、水の口移しについての記憶もないようだった。

 救助行為に伴った口付けの自己申告した方がいいのかと迷う。


「なにをぼんやりとしている?」

「アイセルの事を考えていた」

「なんだ、言ってみるといい」

「上から目線だな」


 すっかりいつも通りに戻ったアイセルを、イゼットは抱き寄せた。


 このまま思いの丈を告げて楽になりたいと思ったが、それは許されない事だろうと考える。


 なので、今言える言葉だけを伝えることにした。 


 懇願をするかのように、耳元でそっと囁く。


「答えは決まっているが、もう少しだけ待って欲しい」

「何を、しようとしている?」

「別に大したことではない」


 アイセルは、在るべき場所へ。


 夜会に参加をする着飾った姿や交流する様を見て、イゼットは思った。


「イゼットさんが一人だけ、どこかに行くというのは無しだ」

「……分かっている」


 イゼットの上着を掴む指先の力が強くなったので、絶対に逃げる事はしないとはっきり言葉にした。


「どこかに、紙は……」

「何をするんだ?」


 アイセルは絶対に逃げないという決意を紙に書いて保管したいと言う。

 更に、保証人も呼んで第三者の立ち会いの元、しっかりとした書類を作りたいと主張した。


「なんだよ、それ」

「その紙面を見ながら、私は大人しく待ちたい」


 冗談かと聞けば、本気だという答えが返って来た。


「面白いな」

「二十代も後半になれば色々と慎重になるのだ」

「なるほど」


 必死になるアイセルの事情を理解した所だったが、肝心の紙とペンが無かった。


「どうすればいい?」

「そうだな。誓いの口付けでもして貰おうか」


 アイセルは手の甲にキスをして誓うようにと、指先を差し出す。


 イゼットは差し出された手を握って更に近くへと引き寄せ、約束の言葉を封じるように唇と唇を重ねた。


 ◇◇◇


 翌日。

 朝一番にアイセルを念の為にアイディンの元に連れて行った。

 検査の結果、魔力量は今までの平均を大きく下回っている事が発覚する。


 アイディンは事情聴取をしようとイゼットを就業後に呼び出した。


「――で?」

「は?」

「いや、昨晩はお楽しみだったでしょう? って聞いているんだけどさ」

「……」

「どうだった?」

「何度でも言うが、どうしてお前はそう、明け透けな物言いをする!?」

「だって、その方が早いから」

「恥を知れ」

「あ、はい」

「……」


 真面目な顔でアイセルの研究に活用するからと言うが、先にニヤけ顔で聞き出してからでは遅かった。


 イゼットは口を閉ざし、アイディンの質問に答えようとしない。


「そういえば、預けた魔剣と聖剣はどうなった?」

「あ、うん。もうすぐ仕上がりそう。流石は伝説の魔技巧品だね」


 遅くても十日以内には届ける事が可能だと言った。


「こちらも頑張るから、転送術と接続が上手くいくまでアイセルの事を見守って欲しい」

「それは分かっている」

「頼むよ。あと、それから――」

「?」


 言い掛けて言い淀むアイディン。


 イゼットはもう帰ろうと思っていたので、腰を宙に浮かせた状態であった。

 視線が交われば不自然に目を泳がせるので、今まで言えなかった深刻な話でもあるのかと不安になる。


「どうした」

「……」

「早く言え。そんな風に言葉を切られたら気になるだろう」

「いや、私の事はお義兄さんと呼んでくれって言おうと思ったけど、なんか、そういう風に呼ばれるのって恥ずかしいなあって」


 アイディンを、イゼットは信じられないと言った様子で見下ろした。


「お前は!」

「はい?」

「別の事を恥ずかしいと思え!」

「えっ?」


 心配をして損をしたと言いながら、イゼットは帰って行く。

 その後ろ姿を、アイディンは笑顔で見送った。


 アイセルは一晩、魔術研究所で預かる事になった。

 再会は翌日の職場でという事になる。


 とぼとぼと家に帰宅をすれば、家族は全員就寝、夕食も無いという、普段から割とよくある状況になっていた。


 イゼットは簡単な夕食を作り、明日の弁当の下ごしらえをしてから休む事になる。


 ◇◇◇


 一日振りに会うアイセルは元気そうに見えた。

 体調も良いと言う。


「迷惑を掛けた」

「いや、別に」


 軽い返事をしてから仕事を始めるイゼットを見て、アイセルは笑う。


「……なにか?」

「いや、いつものセネル副官だと思って」

「?」


 何の事だと眉間に皺を寄せたが、考えても分からない事だった。


「始業前だから、もっと構ってくれてもいいだろう?」

「仕事が溜まっている」

「ああ、昨日私が休んだからか」

「さあな」

「やっぱり、職場では釣れないか」

「釣り上げるには餌が小さい」

「そうだったのか!」


 納得したアイセルも仕事を始める。

 穏やかな午後は何事もなく過ぎて行った。


 昼からは王都の近くの森で目撃情報のあった魔物の討伐任務となっている。

 討伐するのは一角狐という小型の魔物であった。


 一角狐の行動が活発になるのは霧の中。視界の悪い森の中に紛れて人を襲うという。


 アイセルは森の中に氷柱を大量に生やし、温度差で霧を発生させた。


「隊長~、これじゃあ俺達も何も見えないですよお~」

「視力上昇の魔法薬を飲むように言っていただろう!?」

「だってあれ、死ぬほど不味いですもん」


 アイセルと部下の喧嘩は一角狐を呼び寄せる為の作戦だった。


 目撃された数はざっと三十程。

 現在の第八騎兵隊の敵では無い。


 一角狐は小柄なので、前衛の騎士達は馬から降りて待機をする。

 先頭で剣を構えるのは、部隊の若い三名の騎士。

 ここ最近のイゼットは木の上で戦況を見守る係に就いていた。


「ぬ!?」


 何かに気づいたチチウが、馬に跨っているアイセルの靴を叩いて合図を送った。


 アイセルが片手を挙げたのを確信してから剣を地面に刺して、何やらぶつぶつと独り言のようなものを呟くチチウ。


 それは、魔術の詠唱である。


「もういい。お前とは話すことはない!」

「そんな事を言わずに~」


 その会話の流れが戦闘開始の合図だった。


 霧の中で魔法陣が展開されて、そこから竜巻が生じる。

 突如として現れたチチウの風魔法によって霧は綺麗に晴れた。


 群れで行動していた一角狐は霧が無くなってしまったので、驚いてバラバラに散った。一瞬で統率が崩れてしまう。


 まずは先頭に居たひと際大きな一角狐と周囲にいた数匹を三人の騎士で斬り倒す。


 あっという間の出来事でまさかの事態を目の当たりにして、後ろから続いていた十匹の一角狐は動きを止めた。


 そんな中に、弓兵の打った矢の雨が降り注ぐ。

 一角狐は初撃で群れの頭を討ち取り、二撃目で三分の一の勢力を失った。

 次に草木の茂みに潜んでいた騎士が残りの魔物を倒していく。


 魔物は一匹たりともアイセルに近づけ無かった。

 彼女自身もそこそこの実力を持つ魔術師で、得意の氷の矢は確実に標的の急所を撃ち抜く。

 それに、越えられぬ壁のように佇むチチウがそれを許さなかった。


 戦闘はものの数分で終了となる。


 魔物の亡骸は魔石で燃やしてから土の中へ。

 血が染みついた土の上には聖砂を掛けて浄化作業も行う。


 作業の全てが終われば騎士隊の駐屯地に戻った。


 アイセルは部下達を広場に並ばせ、労いの言葉を掛けた。


「御苦労だった。貴殿らの協力のお陰で、無事に任務も遂行出来た」

「隊長~、何かご褒美はないんですか~?」

「褒美か? そうだな……」


 頬に口付けでもしようかと言えば、不満の声が募る。


「失礼な奴らだな」

「だって、イロイロ怖いですもん!」

「?」


 アイセルは騎士達の背後で射抜くほどの鋭い睨みを利かせているチチウの存在が見えていなかった。


 そんな中で、心地よい達成感と共に一日は終わる。


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