四十六話
終業後、イゼットは昼間に連絡を取った人物に会うために薄暗い夜道を進んでいく。
魔術研究局。
アイセルの兄、アイディンが局長を務める国家機関であった。
地下へ繋がる階段を降りて、局員に案内された客間で待機する。
「やあ、お待たせ」
客間へとやって来たアイディンは妙にすっきりとした姿で現れた。
「髭は止めたのか?」
「まあね。どう、似合ってる?」
「……」
アイディンを象徴する顔の線を囲むように生やしていた髭は綺麗に剃られていた。
なんでも、娘に家出をされて寂しがる母親に「自分が傍に居るからいいだろう?」 と言った所、「可愛くないから嫌」という辛辣な言葉をぶつけてきた。
その言葉を聞いたアイディンはむさ苦しい髭を剃り、だらしなく伸ばしていた髪も短く切って身なりを整えたのに、再び「可愛くない」と言われてしまったと話す。
「女性の言う可愛らしさとは何なのか!?」
「俺が知る訳ないだろう」
「まあ、そうだよねえ」
アイディンは溜め息とともに「可愛くなりたい~」と本気か冗談か分からない言葉を呟いていた。母親の為にここまで出来るなど、末恐ろしい奴だと目の前で落ち込んでいる男を見ながらイゼットは思う。
「あ、ごめん。話ってなんだっけ?」
自分の事について散々語り尽くしたので、本来の目的を思い出したアイディン。
「いやあ、君が聞き上手だから、つい」
「黙っている人間を相手に勝手に喋り倒していただけだろう」
「またまた、ご謙遜を!」
「……」
アイディンの言葉を無視して、イゼットは持って来ていた細長い包みを広げて見せた。
「これは――!?」
布の中にあったのは公爵家の当主が代々受け継いできた宝、聖剣・アイタジュ。
アイセルの父から渡されたと言えば、アイディンは驚いた様子を見せていた。
「もしかして、これを返しに来たとか?」
「違う」
聖剣はアイセルを守れと言われて受け取った物。
父親の気持ちと共に受け継いだ品と言ってもいい。
聖剣を手放す事はアイセルとの仲も諦めると言う事になる。
イゼットは決意と共に確かに受け取った事を話した。
当然ながら用事はこれだけではない。
「親父さんはなんとかの騎士と呼ばれていただろう? もしかして、この剣が関係しているのではないかと思って」
「ああ、確かにそう呼ばれていたね」
現役時代のアイバクは絶対に負けることのない最強の騎士としての異名があった。
――白の騎士。
特製の白い騎士服や真白の剣、清廉潔白な様子からそういう風な呼び名が付いていたという。
「これを持ち歩けば、外部の奴らからやっかみを買いそうだ」
惜しまれつつも騎士隊を辞めたアイバクに戻って来てくれと懇願する騎士達も少なくはない。王族警備隊には心酔している者も数多く存在していた。
そんな中で何の関係も無かったイゼットがアイバクの剣を持ち歩けば、恨みや妬みの感情を抱く者も居るだろうと、そんな事態を想定していた。
「それもそうだね。柄や鞘を別に作って使う事も出来るだけど、それは聖剣だから分けて使うのはあまり良くないかもしれない」
現代では失われた技術で作られた聖剣は鞘・柄・刃という構成する全ての部位が一つの術式になっていると言われていた。
その多くについては謎となり、解明されていない事も多い。
「周囲に擬態の魔術を掛けるのが一番かなあ」
剣は加工せずに、イゼットの周りに他人の目を惑わす術を展開させる方法をアイディンは説明した。
「いきなり父上の聖剣なんか持ち歩いたら、必ずと言っていいほど悪く推量する人も出て来るだろうからね」
「それに、この剣はアイセルの魔剣と対になるそうだ。揃いの剣なんか持ち歩いていたら、隊の奴らにバレてしまう」
「対になる、剣? ――あ、そうか!! うわ、なんで今まで気付かなかったんだろう!?」
「?」
突然慌てたように聖剣を掴んで部屋から消えて行くアイディン。
魔術研究者の奇行は良くある事だと以前魔術研究局の給仕から聞いたことがあったので、イゼットは黙って後ろ姿を見送った。
数分後、晴れやかな笑顔でアイディンは戻って来る。
「いやあ、良い物を持って来て貰った」
アイディンはイゼットの肩を強く叩き、上機嫌で向かいの長椅子へと腰掛けた。
「どういう事だ?」
「アイセルの魔力過供給症がなんとかなりそうだって分かったから」
「?」
「前に妹が作りだした魔力を転送させる魔道具、もしくは魔技巧品を作ろうとしていた話はしていたよね?」
アイセルの魔力を別に移す為の苦難の道のりについて、イゼットも何度か聞いていた。
散々実験を繰り返したが、魔力の大量生産に耐える事の出来る物を作り出す事は困難を極めている最中であった。故に、この研究は短くても十何年と掛かる事を示唆していた。
「魔力の転送術は思い付いたけれど、肝心の魔道具が見つからなくて。術を付与する対になった二つの品は鏡のように同じである必要がある。けれど、その条件を付ければ形も限られてしまうし、見つけた品も耐久が弱い物が多かった」
しかしながら、アイセルの魔剣とイゼットの聖剣は全ての条件を満たす完璧な媒介だった。
「多分、聖剣に魔力を流す実験は祖父が生前にしていたと思う」
頑固な職人気質のアイディンの祖父は、成功の欠片も見えない研究は破棄してしまう悪癖があった。
「どうして失敗扱いになっていたんだ?」
「それはアイセルの魔力を受け止める器が無かったからだよ」
いくら聖剣だと言っても、魔力を貯えられる量は限られていた。
現在、その問題はイゼットが解決している。
「君は神杯と同様の魔力を蓄える器を持っているから」
神杯は魔力生成の能力を持つ者に備わっている、作り出した魔力を蓄積する器である。
アイセルのように魔力生成のみを持って生まれた者は、自身の魔力に滅ぼされるという悲惨な人生を歩むことが運命付けられていた。
イゼットには父親から贈られた耳飾りが神杯代わりになるので、心配はしなくてもいいとアイディンは言う。
「これで研究は打ち切りかな。他に応用出来そうにないし、研究費は返還しなきゃいけないねえ」
つまり、今までやって来た研究は全てアイディンの自腹になる。
「研究費を返すって、破産するんじゃないのか?」
「平気だから気にしないで」
アイディンが長年行っていたアイセルの魔力生成についての研究は、現代で様々な産業に活用されている。その特許権が莫大な財産を築いていた。
資金面については何も心配する事は無いと言うので、イゼットもそれ以上追及することはしなかった。
「それで、一つお願いがあるんだけど」
「なんだ?」
「聖剣はここで一時的に預かるとして、明日位に妹の魔剣を持って来てくれないかなと」
「それは構わないが、大丈夫なのか?」
アイセルの魔力を消費させる一番の魔技巧品は魔剣である。それを手放した状態で日常生活を送れるのかと訊ねた。
「あ、うん。それに合わせてもう一つ報告が」
紙面に記された記述をイゼットに示した。
「自身の能力か、淫魔の耳飾りの能力かは分からないんだけれど、どうやら君には触れただけで魔力を吸い取るという能力があるらしい」
「は?」
「ちょっとね、調べたんだけど、アイセルがよく眠れたという日は、必ずと言っていいほど君との接触があった」
「……」
アイセルは常に魔力が満たされているので、魔力を回復させる時間とも言われている睡眠を必要としない。
そんな彼女がぐっすり眠る日には理由があったのだ。
イゼットに睨まれた気がするアイディンは弁解をする。
「いや、私は直接ナニをしていたかは見ていないから! 使い魔の報告を聞いただけだし!」
ねえと言って椅子の背もたれに止まっていた使い魔の鳥に話し掛ける。
急に話を振られた鳥はぴいと震える声で鳴いていた。
「ま、まあ、そんな訳でね。聖剣と魔剣の共有作業をしなくてはいけないから……」
アイセルの魔力はイゼットが積極的に吸収するようにしてくれないかとお願いをした。
「魔力の濃度が一番高いのは血液だけど、大量摂取をすれば生命の危機になりかねない」
「……」
「それで、え~っと、淫魔的には性交の時に分泌される体液が一番良いかもしれないのだけれど、それは無理だよね。はは、どう?」
「黙秘する」
「あ、はい」
一番手軽な魔力吸収はアイセル自身に触れること。
「でも、魔剣と同じ吸収量を望むのであれば、一日中触れ続けなければならない、かも?」
「……」
「簡略な方法と言えば、口付けなんかをしてそこそこの濃度の魔力を体液から得ること位、かな!」
アイディンは真面目な顔をしながら、宜しく頼むと言って頭を下げた。