四十四話
イゼットが淫魔だという話を聞いたアイバクは、そこまで驚いた様子を見せなかった。
「もしや、父上は気付いて――?」
「否。彼なる者の正確な正体を見破っている訳ではなかったが、一目見て異質だと……」
イゼット・セネルという青年は一見して冷めたような、人間味に乏しい男に見える。悪魔を連想させる瞳の赤い色彩がそうさせるのだろうと、アイバクは思っていた。
イゼットの訓練をつけるようと思ったきっかけは、その性質を見極める目的もあった。
「我が、あの者の訓練を付けていた事は存じておったか?」
「それは……はい」
初めこそ探るように剣を交わしていたが、次第にイゼットは善良な性質を持つ、ごく普通の人であるとアイバクは結論付けていた。
「兄上は、悪魔と人のあいの子だと言う事が、国の魔術最高機関に見つかれば大変なことになるから他言するなと」
「それは相違無い」
この件については絶対に他人に言ってはならないと、アイセルに厳命する。
「母にも言ってはならぬ」
「……」
「墓場まで持って行くように」
「……父上は、彼についてどうお思いで?」
「我は――」
アイバクはアイセルの部隊にチチウという名で紛れ込み、娘の日々の様子を眺めていた。
実を言えば、アイバクがこのような行動をしたことの理由の一つに、娘が王族警備隊から降格配属される理由を実際に確かめたいという目的もあった。
他の隊員達と問題ばかり起こし、性格に難があると言う話であったが、訓練をする時も家で会話をする時も、アイセルはどこにでも居る真面目な娘だったからだ。
第八騎兵隊に配属されたアイセルは、日々部下の指導に精を出し、与えられた任もこなしている。その姿は騎士として充実をしているようにも見えた。
報告書にあった他の騎士と口論ばかりしている様子は一度も見受けられない。
だが、娘を見続けていればおのずと気が付く。
騎士達がアイセルに難癖を付けようとすれば、決まって間に入るイゼット・セネルの存在があった事に。
イゼットの後ろ姿を見つめるアイセルの表情は、誰が見ても分かりやすいもので。
アイセルの想い人に気が付いたのはごく最近の話である。
休日にたまにある外出の同伴相手はイゼットだろうと、予想もしていた。
当然ながら、アイバクは二人の仲を裂こうとは思っていない。
結婚の申し出があれば許すしかないと、考えはじめた所であった。
しかしながら、その前にイゼットとの仲は母親に露見してしまい、更に勘違いも加わって事態は混沌と化している。
アイバクの妻は頭が石のように固い。
問題が起きてからでは説得するのも困難なように思えた。
「……すまぬ」
「!?」
不甲斐ない父を許してくれと、頭を下げる。
「あ、あの、父上」
「なんぞ」
「私を、叱らないのですか?」
「何故に?」
アイセルは自身を責めていた。
産まれて此の方家族に苦労を掛けて、母親の望む生き方は出来ないからと家を出る自分はどうしようもない存在であると、そんな風に思っていた。
「アイセルよ」
「は、はい」
「母の言う言葉の全てはお主の幸せを思ってのこと。そして、我がこうして黙って見送ろうとしている事も、お主の幸せを思ってのこと。どちらが正解であるかはまだ分からぬ」
「!」
「個人的な意見ではあるが、魔力吸いの力のあるイゼット・セネルの傍に居る事は悪いものでもない。更に、あの者はいい男だ。結婚相手としては申し分ないだろう」
父親の言葉にアイセルは感極まる。
お礼の言葉を何度も呟きながら、頭を下げ続けた。
◇◇◇
帰宅をしたアイセルは店先に立っていたシェナイと鉢合わせになった。
「おかえり」
「た、ただいま、帰りました」
家族のように自然な言葉を掛けて出迎えてくれたので、アイセルは照れてしまう。
「ここで、なにを?」
シェナイは私服に着替え、これから出かけるような格好で居た。
「あなたを待っていたのよ」
「私を?」
「服を買いに行きましょう? やっぱりそれ、全然寸法が合ってないし」
「た、確かに」
「それに生活に必要な物も色々あるでしょう? だから、行きましょう」
シェナイに手を引かれて街まで行く。
「あ!」
ぐいぐいとアイセルの手を掴んで引いていたシェナイは動きをぴたりと止めた。
「ねえ、アイセルちゃん」
「何か?」
「もしかして、イゼットと出掛ける予定だった?」
「いや、別に」
「そう。だったら良かったわ」
アイセルの予定を確認してから、再び歩き出す。
まず、先に行ったのは化粧品店。
店員が色々と勧めてきたが、どれがいいのか全く分からなかったので、シェナイが使っている物と同じ品を購入した。
次は雑貨店。この前イゼットと訪れた場所である。
そこでは化粧品を入れる箱や手鏡などの小物を購入。
「あ、これ」
「ん?」
アイセルは以前気に入った目つきの悪い黒犬のぬいぐるみが売れ残っている事に気が付いた。
「他の子は売れているのに、可哀想……」
「だって、その犬不細工じゃない」
「いや、可愛い。すごく」
「……ま、まあ、好みは人それぞれよね」
購入して家に連れて帰らなければと呟いたが、荷物が多くなるから駄目だとシェナイに止められてしまった。
取り置きなど出来るだろかとそわそわしていたが、きっと売れないから大丈夫だとシェナイは言う。
「次は服屋さんね」
「あの、どういうものを買えばいいのか」
「大丈夫。一緒に選んであげるから」
既製品を取り扱う店に行くのは初めて。
その前に買い物自体にもあまり慣れていないので、シェナイの助けは大いに助かった。
両手いっぱいの服を買ったが、まだまだ買い物は終わらないという。
「いや、もうこれで……」
「下着がまだでしょう?」
「あ」
「荷物持ちでイゼットに付き合って貰おうかと思ったんだけど、下着屋に行くから連れていけなくてねえ。大丈夫? 重たくない?」
自らもアイセルの服の入った袋で両手がふさがっているのに、持つのを手伝うか心配してくれるシェナイに、力はあるから問題ないと首を振る。
なんとか下着を買い求め、家路に着くこととなる。
「今日は、その、助かった」
「いいって、お礼なんて」
買って来た服を衣装箱に入れながら話す二人。
「なんか、お買い物をしながらね、私に妹が居たらこんな感じなのかな? って思っちゃった」
「え?」
「あ、ごめんなさいね。妹だなんて、なんか図々しいっていうか」
「いや、そうではなくて」
「?」
煮え切らない態度をするアイセル。
何かと問い詰めれば、申し訳なさそうに言った。
「私は、二十八になる。もしかして、こちらが年上なのではと」
「え!?」
シェナイはイゼットの一つ年上の二十五歳。アイセルは三つ年上になる。
「うわ、ご、ごめんなさい! てっきり十代かと思って」
「……」
「若い割に落ち着いているな~って思ったら」
シェナイは目を瞬かせ、心底驚いたような様子を見せていた。
化粧をしたら年上に見えるからとアイセルは気丈な様子で言ったが、以前より年下だと思い込んでいたシェナイは黙り込んでしまった。
昼食はシェナイと二人で作る。
料理に慣れていないように見えるシェナイをはらはらと横目で盗み見しながら、なんとか完成となった。
家族を読んで食卓を囲む。
「これ、シェナイが作った?」
「ええ、そうだけど、なにか?」
シェナイの作った独創的な味付けの料理をイゼットははっきりと不味いと発言した。
「何よ、自分の好みじゃないからって」
「これは誰が食べても、もれなく不味い」
「なんですって!?」
「もう料理はするな」
「じ、自分がちょっと料理出来るからって!!」
昼食を食べながら口論をするイゼットとシェナイ。
他の者達は大人しく独創的な味付けのスープを啜っていた。このような光景も珍しいものではないと、イゼットの母がアイセルに耳打ちをする。
今日はアイセルが作った野菜の炒めものがあったので、天の助けだと思いながら食事を進めていた。
余計な口を聞く息子のせいで険悪になった空気を誤魔化すように、イゼットの母はアイセルに話しかけた。
「アイセルちゃん、その服可愛いわね」
「ありがとうございます。さっき、シェナイさんと、買いに行って」
「そうだったの」
その後髪の毛の結い方を教えて貰い、美味しい甘味を出す店の話で盛り上がった事を話す。
「今まで若い女性とゆっくり時間を過ごす機会が無かったから、とても新鮮で」
「若い女性って、アイセルちゃんの方がずっと若いでしょ~」
同じタイミングで匙を落とすイゼットとシェナイ。
食卓は再び気まずい雰囲気の中に包まれる。
アイセルは本日二度目の年齢の申告をする羽目になった。