四十二話
イゼットの母はアイセルの手を掴み、家の中へと招き入れる。
「ごめんね、狭い家だけど!」
「いえ、そんな」
店から二階に上がり、兄夫婦とその娘にアイセルの事情を話した。
一応、何かあったら大変なので、アイセルの魔力過供給症についても話した。
人の良い夫妻は詳しい事は聞かずに受け入れ、シェナイも新たな同居人を歓迎した。
話が終われば部屋の案内をする。
「あ、やっぱり埃っぽいわね。少しシェナイの部屋で待ってくれるかしら?」
「す、すみません、突然来てしまって」
「いいのよ」
「手伝いを」
「いいからいいから」
たまに住み込みの従業員を雇って部屋を貸す事があるので生活に必要な物はほとんど揃っているという。アイセルの部屋になる場所はシェナイの隣の部屋というだけあって、貸す時は女性に限定していた。
勝手が分からなかったアイセルは言いつけ通りシェナイの部屋で待つ。
「いらっしゃい」
「おじゃまします」
イゼットの黒髪で美人の従姉・シェナイ。
人懐っこい笑みを浮かべながら、アイセルを手招く。
部屋には寝台と小さな机と椅子があるだけというシンプルなもの。
寝台に腰掛けるように勧められる。
「着替えとかある?」
「いえ、その、なにも」
「そっか」
シェナイは引き出しの中から寝間着と数枚のシャツ、ワンピースなどを取り出してアイセルに渡した。
服はここに住んでいた従業員などが置いて行った物も含まれているから気にするなと言う。
「えーっと、下着は」
アイセルは下着まで借りる訳にはいかないと首を振ったが、シェナイはそういう訳にはいかない主張。
「下はいいとして、上は?」
「う、上?」
「胸」
「……」
アイセルは差し出された下着類を何も言わずに受け取る。
「待って、ちょっといいかしら」
「あ、私に、触れ」
「大丈夫よ。触るのは服だけ」
シェナイはアイセルの上着のボタンを外していって確認をする。
「なにこれ!」
「……」
「私の下着なんか着けたら胸が極限まで潰れてしまうじゃない!」
「いや、そんなことは、ない、と」
「あるわ!」
叔母の下着でも収まりきれないだろうと、悲しそうに呟くシェナイ。
アイセルは胸を覆う下着は不要だと言ったが、男の居る家なのでそういうモノは嫌でも目につくので注意して欲しいと忠告した。
「とりあえず、上は叔母さんに借りて……あ、明日休みよね?」
「え、ええ」
「だったら買いに行った方がいいわ」
「分かった」
「適当に買ったらダメよ。店員に寸法を測って貰うの」
「り、了解」
その後シェナイは風呂の説明もしてくれた。
水を張って風呂用の火の魔石の表面に刻まれた呪文を指先で摩ってから入れて、しばらく待つ。ちょうど良い熱さになれば網で魔石を掬い、鉄桶の中へという一連の用途を丁寧に教えた。
「呪文が発動したばかりの魔石は熱くなっているから触ったらダメよ。今は赤くなっているでしょう? それが元の色になっている時は素手で触っても大丈夫」
髪の毛を洗う洗剤に、体を洗う石鹸。洗顔に垢擦りと用具の説明もしてくれる。
話をしているうちに、魔石の力によってお湯が温まる。
「大丈夫そう?」
「多分」
「じゃあ、どうぞ」
「ありがとう」
風呂に入る時、体は自分で洗っていたが、浴室の中には常に侍女が居た。
一人で風呂に入るのは人生で初めてであった。
着ていた服を脱ぎ、置き場所に困る。散々迷ってから、綺麗に畳んで寝間着を入れて渡された籠の底に入れた。
狭い脱衣所で裸になって浴室へ。
髪を洗う洗剤は粉末状だった。いつも使っているのは液体状のものなので、アイセルは驚いてしまう。髪の毛を濡らして粉を振りかけて洗ったが、なかなか泡立たない。色々と試すうちに水に溶かしてから使うという方法に気が付く。
体を洗う石鹸は魔石のように硬い。水に濡らして擦ってもなかなか泡立たないという仕様。悪戦苦闘の末、何とかコツを掴んで体を洗う事に成功した。
風呂を終えて、ごわごわと硬いタオルで水分を拭い取り、イゼットの母から借りた下着を身に着ける。
「……」
シェナイの言う通り、寸法は合っていなかった。胸元を締め付ける圧迫感と横から零れる肉がなんとも悲しい気分にさせてくれる。
痩せなければならないと、決心した瞬間である。
部屋に戻れば、寝台などが綺麗に整理されていた。
「アイセルちゃん」
「!」
部屋を見渡している所にイゼットの母がやって来る。
「ごめんね。とりあえず今晩はこれで我慢して貰えるかしら」
「我慢だなんて。綺麗にして頂いて」
「またまた~」
そして、アイセルに食事の載った盆を差し出す。
「これ、あの子が作ったの」
「あ、ありがとう、ございます」
イゼットが作ったという夕食は、野菜のスープにパン、炙った燻製肉にチーズという簡単なものだった。
「なんか用事があるって出かけたから、アイセルちゃんが喜んでたっていうのは明日伝えるわね」
アイセルは色々と手を尽くしてくれたお礼を言う。
「いいのよ。私達、知らない仲じゃあないでしょう?」
パン屋に通いつめ、客の一人であるアイセルに気さくに接してくれた記憶が蘇る。
「本当に、何と言っていいのか」
頭を下げ続けるアイセルの背を、イゼットの母は優しく撫でた。
◇◇◇
イゼットはぼんやりと照らされた夜の街を歩く。
向かったのは下町の酒場。
呼び出していた人物は席に着いて揚げた小魚を摘んでいた。
「やあ、こんばんは」
「……」
イゼットが呼び出したのはアイディン・イェシルメン。
アイセルを勝手に実家に連れて帰ったので、事情を話そうと思って呼びだした。
「――なるほど」
今回の件をアイディンは冷静に受け止めていた。
こうなることを予想していたのかと聞けば、何も言わずに頷く。
「でも、良かった。君がアイセルを拾ってくれて」
「置いて帰れる訳がないだろう」
「本当に、ありがたい話だね」
現状として公爵家は阿鼻叫喚の地獄絵図になっていると言った。
「母上は泣くばかりで、話を聞き出すのに苦労をしたよ。まあ、使用人から大まかな事情は聞いていたんだけどね。でも、本人から聞きださないとでしょう? 父上にも報告しなければいけないから」
母親を厳しく問い詰める男を恐ろしいと思うイゼット。
「父上は話を聞いた途端に厨房に走って行って突然米を研ぎ出して、無言でおにぎり作り始めるし、もう意味分からないよね!」
そう言いながら、アイディンは父親の握ったおにぎりが入った三段の弁当箱を差し出した。
「これ、お願いね」
「……」
責任を取っておにぎりを食べてくれと押しつけられてしまった。
「まあ、なんて言うのかな」
「責任は取るつもりだ」
「おにぎりの?」
「違う」
イゼットは、責任の取り方をアイディンに聞きに来たと言う。
「それは、もう、責任といったら結婚しかないでしょう?」
「アイセルと結婚はしたいと思っている。それ以外で」
「え!?」
イゼットの口から思いもよらぬ言葉が聞こえて来たので、アイディンは目を見張る。
「人体実験とか、魔眼の提供とか、色々あるだろう?」
「……」
アイディンは生まれて初めて言葉を失うという体験をしてしまった。
イゼットから肩を拳で叩かれて我に返る。
「あの、それって、本気?」
「当然だろう」
冗談を言う男ではない事は重々承知していた。
が、想定外の申し出に、困惑をしてしまう。
「えーっと、その、なにかな」
イゼットの真剣な眼差しを受けながら、額に汗を掻きつつ言葉を紡ぐ。
「人体実験とか、魔眼の提供とか、物騒なヤツは必要ありません」
「だったら何を?」
「う、う~ん。どうしようかな」
呼び出されたついでに妹と結婚して責任を取れと言おうと思っていたのに、斜め上の提案をしてくるイゼットを前にひたすら動転をしていた。
「と、とりあえず」
「……」
「ア、アイセルを幸せにして貰おう、かな~?」
「は?」
アイディンは「ふつつかな娘ですがよろしくお願いいたします」と言って頭を下げた。