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三十四話

 ――ついに、完成をした。樽型のおにぎりが。


 チチウは感動の面持ちで、手の平の小さなおにぎりをみつめる。

 三角形に作るおにぎりは簡単だった。なにせ、手の平はその形に曲がる。

 だが、樽型のおにぎりは事情が違った。

 指先を繊細に曲げ、表面は丸く作らなければならないからだ。

 米を主食とする地域の料理人を招き、最初に握られた樽型おにぎりを見たときは大層驚いてしまった。料理人の国では『俵型』と呼ばれているという。俵というのは米の茎を乾燥させて編んだ入れ物の名称だ。


 チチウは三つの樽型おにぎりを作って食堂へ行く。

 部屋の中に入れば、珍しく家族が揃って食事をしていた。


「あなた、お寝坊ですか?」


 妻の冷ややかな一言に、チチウは今日も早起きをして厨房でおにぎりを握っていたと主張する。


「樽型の握り飯を、作っていた」

「樽型? ……そうでしたか。退職後になって何かしているかと思えば、訳の分からない事を」

「一日中おにぎりを作っているわけではない!」

「どうでもいいことです」

「ぬう」


 彼の妻がつれない態度なのはいつものことだったので、今度は娘に話を振る。


「アイセル、この完璧な樽型を見よ。すさまじきであろう? 」

「……まあ」

「かのような樽型、お主は作らるるか?」

「……いえ」


 アイセルに食べるように勧めたが、何も混ぜていない白い米は苦手だと言って断られてしまった。


 チチウは再び「ぬう」と呟いて、樽型のおにぎりを見つめながら溜め息を吐く。


「アイディン」

「もうお腹いっぱいです。残念です、非常に」


 息子に至っては取りつく島もなかった。

「ぬう」という唸り声が、食堂の中に切なく響き渡る。


 食卓の上に置いてどうだと見せるが、家族の反応は薄かったという悲しい結果に終わってしまった。


 チチウは机の上のおにぎりを一人寂しく食べる事となった。


 翌日も、朝の訓練後に食べるおにぎりを作って出かける。


 最近のチチウは、一人の若者の育成を特別熱心にしていた。

 若者の名はイゼット・セネル。

 剣の技術や指導の飲み込みも早く、教え甲斐のある生徒でもあった。


 チチウは以前より、自ら編み出した剣術を誰かに継承させたいという思いがあった。

 だが、騎士隊の上に居る者として、特定の人物だけに剣術を教える訳にはいかなかった。

 役職から立ち退いた今、チチウは長年の夢を叶えることが出来たのだ。


 今日も滞りなく訓練は終了となる。

 最近では、手合わせをすれば三回に一度は膝を着くこともあった。教え子の成長に嬉しい思いがこみ上げる事も多くなっていた。


「おにぎりを、作って来た」


 そう言えば、イゼットは「ありがたいことで」と感情の籠っていないような言葉を呟く。

 一見淡泊なように見えて、実はそうではないということを理解しているチチウは気にしないで包みを手渡した。


 今日は初めて樽型のおにぎりとなっている。

 散々家族に相手にされなかったので、チチウは無心で差し出す事が出来た。


 包みを開き、弁当箱の蓋を開けるチチウ。


 中にあったのは、丸く細長のおにぎり。

 これを作るのは大変な苦労をした。

 上手く作れないから、と調理台の上でころころと転がして樽型を作ったら調理人に怒られたことも思い出す。温和な異国の調理人が荒ぶったのは、あの一回だけであった。

 ようやく完成した時には調理人の男と手と手を合わせて喜んだものだが、完成した樽型のおにぎりを前にした家族は冷たかった。


 チチウは白いおにぎりを切なく見つめる。

 見た目も美しいし、素晴らしく美味しい、筈。

 心の中で絶賛の言葉を浮かべる。


「――うわ、すげえ」

「!?」


 考えていたことが口に出たのかと肩を震わせるチチウ。

 ぱっと口元を手で覆ったが、自分の言葉遣いではなかったことに気がつく。


「樽型のやつ、初めて見た。どうやって作ってんのか」

「!!」


 信じがたいという表情で隣を見れば、チチウのおにぎりを手に驚いているイゼットの姿があった。


「そ、それは、だな――」


 チチウは震える声で奮闘記を語る事となる。


 ◇◇◇


 同時刻。

 イェシルメン公爵邸では娘を見送る母の姿があった。


「無理をしないで、何かあったら伯父上に相談をするのよ」

「心配は要らないといっているだろう」

「けれど――」


 夫には冷たく接するアイセルの母、ヒュリムであったが、娘には惜しまない愛情を注いだ。

 この善の行為が魔力を生成することになり、彼女を苦しめる結果となっても、止めることは出来なかった。母親と言う存在の、悲しいさがである。


 仕事へ出かけて行った娘の後ろ姿を見ながら、溜息を吐く。


 最近、アイセルは変わった。

 明るくなって、綺麗になった。


 その様子を見ながら、誰か職場に良い人が出来たのかもしれないと早い段階で勘付いてはいたものの、調査をしてみればとんでもない情報が入って来る。


 アイセルの想い人は平民の騎士だった。

 しかも、その騎士はアイディンとも下町の酒場で会う程の仲だという。


 それに加えて先ほど届いた報告書にもとんでもない情報が入って来た。

 彼女の夫、アイバクとも付き合いがあるという。

 毎朝剣を交わし、おにぎりを食べる仲だと記されている一文を見た時には卒倒しそうになった。


 間違いがないか今までの調書を取り出して、確認作業を行う。


 しなしながら、何回読んでも書いてあることは同じもの。

 イゼット・セネルが家族を誑かしているという事実に間違いはなかった。


「――確認を、しなくては」


 思い立ったらすぐ行動。

 侍女を呼んであるものを準備するように言う。


 真っ黒い髪の鬘、使用人のエプロンドレス、伊達眼鏡。


 それを着込めばその辺によく居る老齢の使用人となった。

 全身鏡で姿を確認していると、背後に居た侍女が遠慮がちに話し掛けて来る。


「あ、あの、奥様、これから、どちらに?」

「騎士隊に潜入します」

「え!?」


 不思議な扮装をする女主人の言葉に、侍女は瞠目した。


「騎士隊って、お嬢様の、職場にお出かけに?」

「そうよ」

「な、なりません!」

「……」


 ヒュリムは鏡越しに侍女の顔を見る。


「あなた、わたくしに意見をするって言うの」

「ですが、お嬢様の所属する部隊のほとんどは平民出身の騎士ばかりだと聞いております! そんな所に行って危険な目に遭ってしまうと」

「大丈夫よ。心配は要らないわ」


 侍女はヒュリムについて来ると言ったが、問題なく潜入出来ると言い張った。


「だって、あの人が不審な姿と変な名前で紛れ込んでいるのよ? 普通の恰好の私が行ってバレるものでもないわ、きっと」

「お、奥様~~」


 侍女には騎士隊の出入り口までついて来て貰う。

 騎士隊の駐屯地の案内は予め用意していた女騎士に頼んだ。


「この先がアイセル様の所属する第八騎兵・王都警護小隊になります」

「あら、そう」


 その先を案内しようとした女騎士を手で制する。


「もういいわ、あなた」

「え?」

「ここから先はわたくし一人で」

「奥様、それは危険です」

「でも、騎士を連れている下働き人なんておかしいでしょう?」

「……」


 ヒュリムは騎士を下がらせて、一人で先の道を進む。


 しばらく歩けば、前から騎士が来ている事に気がついてドキリと胸が強い鼓動を打った。


 平静を装った姿ですれ違う。

 背後から呼び止められる事もなかったので、ホッと安堵の息を吐いた。


 ――ほら、大丈夫じゃない。


 やはり、堂々としていれば気付かれることもないのだ。


 そんなことを考えながら歩いていれば、前方からがやがやと騒がしい声が聞こえてきた。

 前方から来た騎士は五人。

 通行の妨げになると思い、いつも使用人がしているように通路の端に避けて頭を下げて待つ。


 このまま何事もなく通過すると思っていたのに、想定外の事件が起こる。


「――あれ?」


 騎士の一人が立ち止まり、ヒュリムを指さした。


「珍しいな。こんな所に侍女が居るなんて」

「あ、本当だ」


 ――侍女、ですって!?


 下働きの扮装をしているのに、どうして侍女に間違われたのか。ヒュリムは混乱状態となる。


「もしかして、あの姫様隊長のお世話をしに来たんじゃ」

「え~、今更!?」


 いつも間にか顔を下げた状態で五人もの騎士に囲まれ、ヒュリムはどうしていいのか分からない事態になっていた。


「はっ、ババアじゃん!」

「本当だ」


 下げている顔を覗きこみ、馬鹿にしたように笑う騎士達。


 ――なんと、無礼なことを!!


 失礼な物言いと態度に怒りで震えるような思いをしていたが、ここで騒いで正体がバレる訳にはいかなかったので、ぐっと堪える。


 ――これだから教養の無い平民は!!


 アイセルの想い人もこのような下賤な人種に違いないと、ぐらぐらと怒りの渦巻く鍋の中は激しく沸騰していった。


「おい、婆さん、道は分かるか?」

「何だよお前、点数稼ぎか?」

「いいだろう、たまには老人に優しくしても」

「!!」


 我慢も限界となってぱっと顔を上げたヒュリムは、騎士の頬を叩こうと指先に力を入れた。


 手を振り上げようとした瞬間に、背後から声が掛かる。


「何やってんだ、お前ら」


 いつの間にか六人目の新たな騎士が来ていて、ヒュリムを取り囲む騎士達をジロリと睨みつけていた。


「何って、道に迷ったババアの案内だよ!」

「良いことしているのに怒るってのか!!」

「良いことって、知らん人間に囲まれたら恐ろしいだろうが」


 そう言いながら騎士の肩を掴んでヒュリムから距離を取らせるように離していく。


「おい!」

「なにすんだよ!」


 口ぐちに文句を言う五人の騎士たち。


 突如として現れた騎士は、ヒュリムとガラの悪い騎士との間に入り、文句を一人で受け入れる。


 そして、背後に回していた手で早く行けとヒュリムに指示を出した。


 助けてくれたお礼を言いたかったが、そういう暇はなさそうなので、後ろ姿に一礼をしてからその場を去る。


 よく顔などは見ていなかったが、次に会った時にでも言えばいいと考えながら騎士隊の廊下を早足で進んだ。


 ――親切な騎士も居るのね。


 しっかりと顔は見ていなかったが、黒い短髪だったという事だけは覚えている。

 乱暴な口調だったので彼も平民騎士なのは明らかだったが、少しだけ考えを改めるヒュリムだった。


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