三十話
最近アイセルの第八騎兵隊が成果を上げて来ているので、隊長会議に呼び出される事も多くなった。
思いがけない父の協力も大きくあるからか、部隊が自らの理想的の形になりつつあると、ちょっとした達成感に酔いしれていた。
午前中は各部隊の報告で終わり、午後からは今後の対策について話し合う。
昼食は上官専用の食堂に行くように案内をされたが、アイセルは持って来ていた弁当を食べることにする。
司令部のある三つの建物に囲まれた中庭はひっそりと静まり返っていた。ここは普段から騎士隊の上層部の人間しか訪れないので、人口密度も極めて低い。
木製の長椅子に座り、膝に弁当箱を乗せて食前の祈りを捧げてから食事を摂る。
本日の品目も大変満足出来る内容だった。
食事が入っていた籠を布で包みなおし、鞄の中へ入れてから会議室へと戻る。
午後からの会議の途中に新たな騎士団長が発表された。
任命されたのは、以前まで副団長を務めていた男。貴族出身ではなく、己の力のみでここまで這い上がって来たという経歴がある。
このように、騎士団は実力主義で、出世に家柄は全く関係ない。
アイセルも新たな団長の姿を見ながら、自分たちの部隊もいつかきっと努力が認められる日が来るだろうと、そんな風に考えていた。
◇◇◇
執務室へ帰れば、いつもの通りイゼットが報告書を仕上げて待っていた。
王都の巡回任務は滞りなく進んだようで安心をする。
今日は終業後の訓練もないので、そのまま帰るように伝えた。
アイセルはまだ書類が数枚残っているので、それを仕上げてから帰ることにする。
「ああ、そうだ。弁当箱を返すのを忘れていた」
空になった弁当の包みを渡す。イゼットは机の端に置いていると、素っ気ない態度で言った。
一人になった部屋でさっさと書類を書いてから、帰宅の準備をした。
机の上に散らしていた私物を鞄に詰め、最後に弁当箱を手に取る。
「……?」
掴んだ弁当箱は、いつもと違うちょっとした重みがあった。
何か残したのだろうかと、気になってしまう。
なんとなく、行儀の悪い行為だと分かってはいたが、アイセルは返却された弁当箱を開けてしまった。
「――あ」
中にあったのは、白い紙に包まれた何か。
この紙は、食事を終えた後に口を拭えるようにとアイセルが弁当箱の端に入れているもの。
それを手に取り、雑に包まれた白い紙を剥ぎ取る。
出てきたのは、深紅の包装紙で包まれた薄く四角い箱。それは一目で贈り物だということが分かった。
アイセルはそれを確認した途端に混乱状態になる。
なぜ、このような品物がここに収まっているのか?
もしかして、これはイゼットが自分に贈ったものなのか?
一体、どういう目的で贈られたものなのか?
すぐさま中身を確認したかったが、自身の貧相な想像力ではこの小さな箱がどういう品なのか分からなかったので、兄に聞いてから開封しようと決意する。
慌てて帰宅をしたのは良かったが、兄・アイディンは不在だった。執事の話によれば、もうそろそろ帰ってくるとのこと。
アイセルは机の上の小箱を眺めながら、落ち着かない時間を過ごす。
それからしばらく経って、アイディンが帰宅をしたという知らせが届いた。
玄関まで走って行って出迎えに行きたかったが、はしたないことだと母親に怒られそうな気がしたのでじっと私室で待つ。
「アイセルさん、何か用事があ――」
「兄上、確認して頂きたいものが!」
「は、はい?」
ぐいぐいと腕を引かれながら、アイセルの部屋の長椅子に招かれるアイディン。
「この、箱は」
「あ、これ、街で若者に人気の宝飾店の品じゃない?」
「!」
兄の言葉を聞き、驚愕の表情を浮かべるアイセル。
「まあ、人気とは言っても、その辺のお嬢さんに人気というか、貴族の中での人気じゃないんだけれど」
落ち着かない妹を前に、アイディンは一体これはどうしたものかと聞き出す。
「弁当の中に、入っていた」
「弁当?」
頑張っているアイセルに妖精さんがくれたご褒美かな、と言ったら表情がさっと曇る。
「そ、そういう現象が、起こりうるのか?」
「いや、ごめん。ない」
聞けば、イゼット・セネルの為に作った弁当の、返却された籠の中に入っていたという。
どういう目的で入っていたのか全く分からないと言えば、アイディンは答えを示してくれた。
「だったらそれは彼がアイセルさんの為に贈ってくれた品だと思ってもいい」
「セネル副官が、私に?」
「そうだよ」
アイセルは震える指先で箱を手に取る。
きっちりと隙間なく包装されていて、開封するのが勿体ないと思ってしまった。
「面白いよねえ。街の店はこうやって紙に包んで贈り物にするんだから」
「ああ、そう、だな」
貴族と商人の間で交わされる品物の多くは、木箱に入っている。外側に起毛素材を貼って見た目を良くしている物もあるが、紙に包まれて運ばれるということはない。
「しかし、セネル副官は、どうして私に、これを?」
「お弁当のお礼じゃない? 籠の中に入っていたし」
「でも、弁当は交換だから……」
こういった行為についての意味が全く推測出来ないアイセルは困惑をする。
人と人との密接な付き合いを真面目に行うのは人生で初めてなので、知らない感情ばかり。誰かの導きなしでは理解する事も難しいと考えていた。
「まあ、日頃の感謝だとか、そんな感じかなと」
「礼など、直接言うだけで済ませればいいのに」
それだけで十分満たされる、と言う言葉は呑み込んだ。
アイディンは混乱している妹の顔をのぞき込み、幼子に話しかけるような優しい声で問い掛ける。
「彼からの贈り物は、嬉しくない?」
「……嬉しい」
だったら、何も考えずに受け取るといいよ、という助言を残してアイディンは部屋から去って行った。
アイセルはしばらくの間、手の中にある小さな箱を見つめていたが、意を決して開封することにした。
接着された面を丁寧に剥ぎ取り、包装紙も破らないように慎重に開く。
上箱を取れば、花の細工が付いている銀色の鎖が連なった腕輪が出てきた。
アイセルはこのような細くて拘束感の無いように見える腕輪は初めて見たと、箱の中を熱心に覗き込む。
腕輪と言えば、太くて宝飾過多、ひんやりと冷たくて嵌めれば腕を締め付けるので辛い、という印象があった。
イゼットから贈られた腕輪を手に取れば、細い鎖と細工が重なった時にシャランという軽い音を奏でる。
花の細工は小さく、ささやかなもの。
今までアイセルが親族から贈られた品々は、多くは魔技巧品で魔力を込める為に宝石や呪文が彫られていて仰々しいものばかりであった。
それに比べて、目の前にある腕輪は可愛らしいものであるとうっとり魅入ってしまい、その造形を飽きることなく眺めた後にため息を吐く。
試しに腕に巻いてみれば、装着しているのかも分からないほどに軽い素材であることが分かった。金や銀ではないものだと、鎖が巻かれた手首回りを確認しながら思う。
手を動かせば、花の細工がかすかに揺れた。
その腕輪は街に住む、ごく普通の女性たちが好んで身につけているもの。
兄から教わった情報を反芻しながら、一人の部屋で微笑みを浮かべてしまう。
アイセルは、贈られた腕輪をたいそう気に入った様子であった。
◇◇◇
翌日。
イゼットの執務机の上には手紙が置いてあった。
まだ時間は始業前で、なんだか内容が気になってしまったので中身を開封して読み始める。
手紙には、昨日の腕輪についての感謝の言葉が綴られていた。
硬い文章で綴られていたが、最後まで読めば贈り物が気に入ったという感謝の手紙であったという内容だと理解する。
手紙を上着の内ポケットに入れた瞬間にアイセルが部屋に入って来た。
目が合えば、気まずそうな表情を浮かべた後に視線を逸らされてしまう。
「おはようございます」
「!」
イゼットはそんなアイセルに挨拶の言葉を掛けた。
普段は会釈をするだけか短い言葉を返すだけなので、目を見開いた顔を向けて来る。
きちんとした挨拶をされるとは考えてもいなかったアイセルは、しどろもどろな感じでおはようと返す。
いつもと反応が逆になってしまったので、イゼットは笑ってしまった。