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三話

 始業時間が始まれば、アイセルはやる気のない隊員達を広場に集めた。

 そこで呆れた部下達の根性を入れ直す為の訓練をすると思いきや、延々と兵站術を語り倒すという精神修行を始めた。


「ゆえに、戦闘だけが戦いでは無く――」


 中には退屈な話に眠気に襲われるものも居たが、一度でも船を漕ぐような動きをすれば副官から頬を叩かれるという罰が待っていた。騎士隊ではよくある光景である。


 結局、午前中はありがたい話を聞き、多くの隊員達が頬に真っ赤な手の痕を残す事となった。


 各々隊長の不満を漏らしながら、昼休憩を迎える事となった。


 お昼時になれば食堂は戦場となる。

 人気の品目が無くなるからと、戦場に向かっていく隊員たちを見送っていたイゼットは、個人戸棚の中から家から持ってきたパンと果実汁の入った瓶を取り出し、ふらふらと出掛けて行く。

 毎回昼食は前の日に残ったパンを持って来ている。節約というよりは、賑やかな食堂があまり好きではないという理由が大きい。


 外にある木製長椅子に座ってパンを食べ、果実汁を飲みほしてからある場所へと向かった。


 騎士の駐屯地から歩いて数分。王都の中でもひと際目を引く豪奢な雰囲気のある建物は、国が管理をする図書館である。イゼットは館内に入って目的の本を探した。


 指先で題名をなぞるようにして一冊一冊確認していく。


 ――王都周辺に出没する魔物たち、王国魔物図鑑、魔物と出会った時に、気をつけなければならない魔物。


 いくら本棚の前を睨み顔で練り歩いても、探している本は一冊も無かった。


 諦めたイゼットは司書に聞くことにする。


「おい」

「はい」

「ここ、この棚に、悪魔に関する本は、置いていないのか?」


 きょとんとする司書の女性。

 国民の悪魔に関する知識は皆無と言える。まさか、知らないのではと疑惑の目を向けていれば、すぐに求めていた回答が返ってきた。


「残念ながら、悪魔関連の本は禁書指定です。著作のすべてはお城の貯蔵図書に保管されています」

「はあ?」

「いにしえの時代の悪しき存在、ということで、閲覧制限が掛かっているみたいですよ」

「……」


 本を見るには役職者の許可証がいるという。しかも、種類によっては認可書類があっても読めない場合があると言っていた。


 自らが持っている情報を全て提供した司書は、呆けた表情を見せているイゼットに黙礼をして、その場を去った。


 イゼットは『淫魔』という悪魔がどのような生き物であるかという情報を知りたかったが、気軽に提示されているものではないと知って愕然とする。


 それに、悪魔という生き物が邪悪なる存在であることも知ってしまった。

 時として、自分の体の中を支配する血は人を害する事もあるものなのかと思い、背筋がぞっとするような感覚に陥ってしまう。


 とりあえず、今出来る事といえば、己を知ること。


 だが、禁書の中の悪魔についての本を読みたいなどと上司に申告をすれば怪しまれるに決まっている。イゼット自身が淫魔だとバレてしまえば、害ある生き物として拘束される可能性だってあった。


 禁書については諦めようとイゼットは考えを固める。


 終業後に向かったのは陽気な友人、エニスの元。昨日言っていた魔術師についての話を聞こうと思っていた。


「どうした?」

「いや、魔術師のことを聞こうと思って」

「ああ、アイディン・イェシメンのことだな」

「イェシルメン? 聞いたことのなる家名だな」

「聞いたことのあるって、イェシルメン公爵家は王弟一家だろうが」

「ああ、言われてみればそうだったな」

「それに」

「なんだよ」


 不思議そうな顔でイゼットを見るエニス。その態度にイラつきながらも、早く言えと続きを急かした。


「早く言えって、イェシルメンさんはお前の所の隊長の家名だよ」

「!」


 イゼットの隊長の名はアイセル・イェシルメン。

 エニスの知り合いの魔術師の名はアイディン・イェシルメン。

 どうして気がつかなかったのかと頭を抱え込む。


「なんでも異界生物の研究をしていて、魔物との関わりとか、色々調べている人なんだか、ちょっと変わり者みたいで……」


 知り合いを言っていた魔術師が上司の兄だったことも大変な事実なのに、その魔術師の研究内容を知ってしまった為に一瞬にして額に大粒の汗を掻く。


「それで、紹介すればいいのか?」

「いや、いい」

「え?」

「必要ない」


 イゼットは邪魔をしたと言って立ち上がる。


「おい、遠慮するなよ。兄の知り合いで、頼めば紹介して貰えるから、って、待てよ!」


 エニスが言葉を言い終えないうちに部屋を去って行った。


 このようにして、どうにかなるかもしれないという道は閉ざされた。

 王族なんかに契約を持ち出せば、そのまま牢獄行きになることは分かり切っていることで、一生薄暗い中で暮すのはごめんだと考える。

 それに、知り合いだと言っていた魔術師であり、アイセルの兄でもある男は異界生物の研究をしていると言っていた。正体がバレてしまえば、一生研究素材として体を切り刻まれるかもしれないと想像する。


 力なく、その辺にあった長椅子に腰掛ければ、ぐらりと景色が歪む。このまま人目のある場所で呆ける訳にもいかないので、隊の休憩所まで戻ることにした。


 隊の部屋に到着をすれば、今度はどっかりと勢いよく椅子に座る。

 就業時間から一時間半程経っていたからか、他の隊員達は綺麗に姿を消していた。

 額に手を当てながら盛大な溜息を吐く。睡魔と空腹と倦怠感が一気に襲って来て、くらくらと視界が歪んでいる。


 ここ一年くらい、このような症状が訪れることは珍しいことではなかった。

 どれだけ寝ても、食べても、回復しないという、医師にも原因が分からないという体調不良。


 それは、女性を抱けば不思議と治るという、謎の症状でもあった。


 数日間は体の不調に苛み、どうしてこのようなことが起きるのだと悩むが、性交をしたあとはどうでも良くなって、周期的に体がおかしくなることも忘れてしまう。


 このような生活を繰り返して来た。


 その理由の全てはイゼット・セネルが『淫魔』だから、の一言で説明が出来たのだ。


 イゼットは考える。

 いつものように極限まで我慢をして、我を失った状態でその辺の女性を引っ掛けるわけにはいかない。

 これは、しかるべき場所で処理をしなければならないものだと。


 ふらつきながらも立ち上がり、戸棚に入れていた私服に着替える。


 本日何度目か分からない溜め息を吐きながら休憩所の扉を開けば、拳を上げて戸を叩こうかとしている姿のアイセルの姿があった。


「ぬう」

「うわ!!」


 互いにびっくりして、その後にイゼットは気まずくなる。終業後の訓練をサボって友人の元に向かったからだ。


「イゼット・セネルよ」

「……なんすか」


 アイセルはイゼットの脇をすり抜けて、下っ端達の休憩所の中へと入った。


「そこに座られよ」

「いや、これから出かける所があって」


 上司の命令をイゼットはやんわりとお断りした。その前に、散らかった男臭い部屋で話すものどうかとも思っていた。


 アイセルは立ち上がってイゼットと面を向かい合う。じっと顔を見つめられたイゼットは、居心地の悪さに顔を顰めていた。


 不愉快な表情を浮かべるイゼットを、彼の上司は問いただす。


「以前より、気になっていたことだが」

「……!」


 話しかけられた瞬間にぐらぐらと血が沸騰するような、体中からの熱をイゼットは感じていた。


「お主のその目は」


 頭の中で誰かの声が聞こえる。


 ――目ノ前ノ女ヲ抱ケ!


 それは、悪魔としての本能の声なのか。頭を激しく振って声をかき消す。


「む? 大丈夫よきか?」


 イゼットの異変に気が付いたアイセルは部下に手を伸ばし掛けてハッとなり、動きを止めた。


 顔に汗が噴き出し、涙目になったイゼットの様子は普通ではない。


「ま、待たれよ。今、医師を呼んで――!?」


 出入り口の前に立っていたイゼットの横をすり抜けようと一歩を踏み出した途端に手首を掴まれるアイセル。


「――な!?」


 咄嗟に離せと叫んだが、イゼットは反応を示さない。

 潤んでいた目は空ろなものとなり、一目で正気を失っていることが分かった。


「やはり、お主のそれは魔眼か!?」


 必死に動揺を押し隠しながら問いかけたが、勿論返答なんて無かった。


 掴まれた手が異常に熱い。


 なによりも、家族以外で触れることのできない体質であるアイセルに触れることが出来る人間が居たという現状に、愕然としていた。


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