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二十九話

 イゼットは今日も早起きをして弁当の支度をする。


 昨晩から確保をしていた売れ残りの丸いパンを二つに切り分け、中にとろとろの半熟に仕上げたオムレツと葉野菜を挟む。味付けは卵の中に混ぜてある香辛料だけ。形が崩れないように紙で綺麗に包んでから籠の中に詰めた。

 次に、昨日作っていた根菜と豆の煮込みの汁気をよく切ってから小さなカップに盛り付ける。香草入りの肉団子は串刺しに。茹でていた卵は二つに割って入れ、焼き目を付けた腸詰で隙間を埋めるように詰めたらアイセルの昼食は完成となる。


 弁当の残り物で朝食を済ませ、身支度を整えるような時間帯になれば、イゼットの家族もパンを作る為の活動を始めていた。


 あとは家を出るだけの状態となれば、再び台所に足を運ぶ。

 多めに作っていた肉団子を大鍋の中へ投入。他に野菜や香辛料などを入れて雑にかき混ぜる。

 以上の工程で家族の朝食となるスープの完成だ。

 最近は店の手伝いも出来ないので、このように材料と時間に余裕があれば食事を用意することもあった。

 配膳などしている暇はないので、鍋を竈の上に放置して、火の始末だけして出掛けることとなる。


 仕事場に辿り着けば、鞄を個人物置の中に入れて施錠。

 チチウがまだ来ていない事を確認してほっと息を吐く。


 休憩所の清掃は隊員達が交代で行うように決めた。

 イゼットは早めに来て綺麗に掃除がされているか確認をする。

 以前、担当騎士がうっかり清掃を忘れて帰り、その翌日にチチウが朝も早くから拭き掃除に励んでいた、ということがあったからだ。


 太陽が地平線から顔を出す頃になればチチウがやって来る。


「おお、今日も早いな。感心なことよ」


 大げさに褒めるので、イゼットは滅相もないことだと返した。続けて、「お早くから、ご苦労さまでございます」と言った。そんな畏まった言葉をチチウは笑い飛ばす。


「夜明けから笑わしめるな」

「……」


 笑いうけを狙ったわけでは無かったが、皮肉を含んだ丁寧な態度は貴人に面白く映ったようだ。良く分からない人だと、前を歩く背中を見ながらイゼットは思う。


 朝の訓練は体を解すために素振りを軽く行い、その後は手合わせをするようになっていた。


「此処数日は剣の一撃も重たくなっておる」


 だからと言って素早さが下がった訳では無いからよく努力をしていると、チチウはイゼットを褒めた。


「どれ、褒美をやろう」

「?」


 手招きをされて行けば、そこに座れと言われる。

 目の前に差し出されたのは、布に包まれた片手に収まるほどの小さな塊。


「これは?」

「おにぎりだ。存分に食すが良い」


 包みを開けば、葉を巻いている握った状態のコメが出てきた。


 これは何かと聞けば、チチウの娘が米という珍しい食材を買って来るようになり、気になって食べてみたら美味しかったのでイゼットにもと思って持って来たという。


 娘がどこぞの騎士の為に米を買って来ているとは夢にも思わないチチウは、これは米という食べ物で握ったものはおにぎりだという丁寧な説明もしてくれた。


 中から出てきたのは何も混ぜていない真っ白なおにぎり。チチウ曰く、コメの中に何かを混ぜて食べるのは邪道だと熱い様子で語っていた。


 自らの分も作って来ていたようで、両膝を地面につける形で座り、食材への祈りを捧げた後に食べ始める。それを横から見届けた後に、イゼットもおにぎりを口にした。


「どうだ?」

「非常に美味で」

「そうであろう!」


 最初に出されたコメがこれなら戸惑いを覚えていたかもしれないが、既に食べ慣れている味だったので、何の疑問も持たずに食べることが出来た。

 だが、何も具が混ざっていないとコメ独特の香りも強いものだな、という感想を頭の中に思い浮かべる。


「自らの拳一つで作らるると言う、至極愉快な食材よ」


 最近は暇を持て余し気味で、様々な場所へ赴くこともあり、その中でコメとの出会いを果たしたと語るチチウ。

 調理人は火傷しそうなほど熱いコメを、必死な形相で握っていたという。


「それを拝見し、手の皮の厚い我ならば火傷をすることなく握れるのではと」

「……」


 話を聞きながら嫌な予感しかしないイゼットは、口に水分を含まないようにと、気をつけていた。


「して、数日の間の訓練の後に、完成したのが今日こんにちのそれよ」

「やっぱりか!」


 イゼットの予想通り、すでに食べ終えてしまった二つのおにぎりはチチウのお手製だった。


まことに綺麗な三角であっただろう?」

「……結構な、お手前で」

「早起きをした甲斐があったものよ」

「……」


 知らずにチチウ握りを食べてしまったイゼット。複雑な心境となる。

 だが、普段食べているおにぎりも、見ず知らずの調理人の作ったものだ。その二つに大差はないように思える。が、やはり、知っている人が作るのとそうでないのとでは事情も違うのではとも考えてしまった。


「今は、樽型のおにぎりの訓練をしておる」

「左様で」

「これが、なかなか困難極まることにて」


 最近ではコメを主食とする地方の料理人を公爵家の厨房に招き、指導を受けながらおにぎり作りに勤しんでいるという。


 上手く、かつ、美味く作れたら持ってくるとチチウは宣言した。


 イゼットはその発言に対して、何とか「すごく、嬉しい」の一言を絞り出した。


「しばし、待たれよ」

「……」


 腹は満たされたが、何かを失ってしまった気がするイゼットだった。


 ◇◇◇


「おはよう」


 アイセルは微笑みを浮かべながら、朝の挨拶をする。

 その柔らかな表情に目を奪われていたイゼットだったが、何か反応を示せと怒られてしまった。


 チチウお手製のおにぎりを食べてしまった弊害か、朝から呆けていた。

 腹が満たされるというのも、いいことだけではないらしいと自覚する。


 本日の予定は王都周辺の巡回。

 アイセルは会議に呼ばれているので別行動だ。昼食は別となるので、勤務時間が始まらないうちに弁当の交換を行った。


「今日は何を作った?」

「何って、別に特別なものは入っていない。根菜と豆の煮込みとか、香草肉団子とか」

「そうか。楽しみにしておこう」


 アイセルは公爵家で高級食材を使った品々を食べていたが、個人的に好むのはイゼットの作った素朴な家庭料理の数々。良く分からない味覚をしていると、弁当を差し出しながら考えていた。


 上司の見送りを受けてから、イゼットはしばし任務へ赴くこととなる。


 周辺巡回任務は滞りなく進んだ。

 イゼットを先頭にして進む陣列は、以前まで崩れがちだったが、道から逸れる者が出れば殿しんがりを務めるチチウが大声で指摘をするので、真面目に歩くようになった。


「どうしてかチチウの言葉には従ってしまう」と口々にしていたものの、幸いな事に隊員たちは深く考えようとはしなかった。


 昼食は森の中の湖畔で。馬の休憩も兼ねていた。

 イゼットは鞍から鞄を取ってから馬を放し、近くにあった木に登る。

 昼食をチチウに見られたらアイセルのお手製弁当であることがバレてしまうので、隠れるようにして食べるのだ。


 木の幹を背もたれにして、食事を始める。

 弁当の中身は角切りにした燻製肉のおにぎりに、色取り取りの料理が詰められている。


 食事を終え、水の入った瓶を取り出そうとすれば、昨日購入した腕輪の入った箱を発見してしまった。

 朝からアイセルと話をしている間に、何度となく腕輪をどうにかしなくてはと考えていたが、どういう話題の運びをしながら渡せばいいのか全く見当もつかなかった。


 思えば、今まで女性に贈り物をしたことすらなかったことに気づく。母親や従姉にすら、何かを贈ったという記憶は存在しない。


 綺麗に包装された箱を前に、深いため息を吐いた。

 中身は『森の星』と呼ばれている、六片の尖った純白の花びらが特徴の花を模った細工がぶら下がっている腕輪。

 華美なものでなく、控え目な意匠だった為に選んだ品だった。


 ――これは、日頃の感謝の気持ちを込めて、買ったものだ。

 ――いつも、美味しい食事に作ってくれて感謝をしている。


「……」


 思いつく言葉はどこか気障ったらしいものばかり。とても口に出来るものではないと、背筋をぞっとさせる。


 結局、イゼットは贈り物が入った箱を懐紙で軽く包み込んでから弁当箱の中に入れてアイセルへと返した。


 別に、気付かなかったらそれでいいと、そんな風に考えていた。


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