二十七話
翌日から、またいつもの日常が始まる。
イゼットは遠乗りについて触れることはなかったし、アイセルもまた同じく、話題として持ち出すことも無かった。
娘を酷く心配していたと言うチチウの様子も変わることなく。
依然として、イゼットと共に早朝の訓練をする毎日が続いていた。
そんな中でも、変わったことも多々ある。
アイセルの情熱に、隊員たちも引っ張られるようになってきていた。
真面目に訓練をこなし、討伐に出かければ連携を見せて成果を出す。
それも、騎士の見本となるチチウの存在がそうさせているのかもしれないと、イゼットは考えていた。
彼は、強い。
隊員達は自分が隊の中で一番になろうと、剣術や身のこなしなどを取り入れようと夢中になっている。
訓練でチチウが隊員達と手合わせをする前、必ずアイセルが耳打ちをしに来ていた。
何を言っているのかと聞けば、対戦相手の短所と長所をバラしているのだと言っていた。
そんなことなど知らない騎士たちは全力でチチウと戦って、盛大に負ける。
だが、それだけで終わりではない。
「お主は、集中力がない。毎日三度、素振りを百、致すことから始めるとよい」
チチウは個人の能力が伸びるような助言をしていた。
このように、的確な助言をするのは良かったが、言葉使いが古すぎて何を言っているのか分からずに首を傾げる者も少なくなかった。そういう事態になれば、アイセルが間に入って通訳をする。
イゼットは、まだ一度としてチチウに勝てた試しがない。
助言として、体重を増やせと言われていたが、昔からいくら食べても太らない体質だったのでなかなか難しい話でもあった。
チチウは言う。早さがあっても一撃一撃が軽い、と。
試しに石の装備を腕と足に着けた状態で剣を振るってみたが、刃が風を切る音や得物が対象にぶつかる衝撃が大きく異なっていた。
イゼットの動きを見ていたチチウは、多少体が重たくなっても素早い行動は取れるだろうと推測していた。
食生活は肉や魚、野菜を効率良く摂り、それを脂肪ではなく筋肉に変えていくことが重要という話を聞く。
残念なことに、イゼットの場合はそういった食事を食べても訓練で動けば活力として消費されてしまう。
なんとかならないかと、アイセルの弁当を断って自分で昼食を作って持って来たりもしているが、上手くいかない日々は過ぎて行った。
最近は空腹感を覚えることも多い。弁当の量を増やしたりもしたが、それだけでは解決することもない問題だった。
ある日、昼食時になればアイセルが突然提案をして来る。
「セネル副官」
「なにか?」
「今日は、食事を交換しないか?」
「?」
アイセルは持参していた弁当箱をイゼットに差し出す。
「何故?」
「いいだろう、たまには」
「……」
イゼットは理由がよく分からないと思いつつも、持って来ていた食事をアイセルへ差し出した。
「これは、母君が?」
「いや」
「セネル副官が早起きして作っていると?」
「まあ」
「見事なものだ」
アイセルは弁当を広げて感心している。
店で残ったパンに、鳥の胸肉を蒸してタレに漬けたもの。魚の香草焼きに、軽く茹でた野菜。
「女性の減量食のようだな」
「……」
アイセルも一時期体に肉が付いて来たからと、使用人に頼んで減量食を頼んだ事があった。その時に似たような品目が用意されていたことを思い出していた。
弁当の中のパンを掴み、嬉しそうに頬張る。
最近忙しくて、パン屋に行けていないらしい。
「それは、私が作ったものではないから安心して食べて欲しい」
そんな言葉を聞きながら、弁当を開く。
「――これは?」
弁当の中身を占めているのはパンではなかった。
小さな白い粒を丸めたようなもの。魚を細かく刻んだものが混ぜてある。
「それは米だ」
「コメ?」
「パンよりも栄養が偏り難い物だから、しっかり食べるといい」
他の地方で主食となっている穀物だとアイセルは言った。
手で掴んで持ち上げれば、粘りのある柔らかさで、強く握れば崩れてしまいそうだった。
匂いは少しだけ独特。炊く時はもっと強い香りがするらしい。それを苦手に思う者も多いという。
しばらく手にしたまま眺めていたが、早く食べろと言われたのでその通りにした。
コメと呼ばれた未知の塊を、一口齧る。
もっちりとしていて一粒一粒のしっかりとした食感があった。
塩味の簡単な味付けなのに、よく噛めばほのかな甘みも感じる。
香草焼きにした魚もコメに良く合っていた。脂が乗っているからか、何とも言えない旨味がコメにしみ込んでいる。
薄味だが食べごたえがあり、腹にも貯まりそうな一品であった。
イゼットはぺろりとコメを食べきってしまう。
「コメはパンよりも腹もちが良いらしい」
アイセルはどうにもコメの匂いが苦手で調理に挑むことが出来なかったと話す。
匂いに関して、イゼットはそこまで気にならなかった。その言葉を聞いてアイセルは良かったと安堵の表情を見せる。
彼女の言うとおり、仕事が終わるまで腹が減ることもなかった。
いい情報を得たと思い、帰りがけに穀物店に寄ってみたが、コメの取扱いはなかった。
「コメは東国の主食だわね。ここらでは売れないから仕入れていないよ。――ああ、お貴族様の商店街に行けばあるかもね。あそこには色んなものが売っているから」
「……」
店主の長い話を聞いて、イゼットは帰宅をすることになる。
翌日もアイセルは弁当の交換を申し出てきた。
イゼットは申し訳ないと思いながらも、コメの入った弁当を頂くことにする。
「いいのか?」
「何の話だ?」
「弁当のコメ、高価なものだから」
鈍くないイゼットは気づいている。アイセルが体重を増やそうとしている男の為にわざわざコメの入った弁当を準備しているものだと。
「コメのことは気にする事では無い。とにかく、目的達成のために努力をしろ」
コメの代金の一部だけでもと言い掛けたが、アイセルに言葉で遮られてしまった。
「良いと言っている! ……それはそうと、最近無駄に太るような品目になっていないか? セネル副官の作っている弁当は」
なんとなく、アイセルこそ痩せ過ぎているのでは、と思ったイゼットは、弁当の内容を肉つきがよくなるような品目ばかり詰めるようになっていた。
「いや、どれも美味しいからいいが、このままでは太ってしまう」
「少しは太った方がいい」
「なんだと!?」
腰回りはもう少し肉を付けた方が、と言い掛けて口を閉ざす。
「セネル副官、いつ、私の肉量を確認した。何故、把握している?」
「……」
言えない。
まさか、以前出かけた時に、勝手に無防備な体を抱き寄せて、枕のようにしていて寝ていたなどとは。
イゼットは窓の外に視線を移し、いい天気だと呟いた。
アイセルはそんな話の逸らし方をする部下をジロリと睨みながら、弁当の中の揚げた肉を頬張る。
「あ、美味しい」
今日も作って貰ったイゼットの弁当が美味しかったので、怒りは一瞬で消え去ってしまった。
◇◇◇
帰宅をして、明日の弁当の下ごしらえをしていると、厨房に誰かが入って来る。
「熱心なことね」
「……」
従姉のシェナイがイゼットの作っているものを覗き込んで来る。
「邪魔だ」
「いいでしょう、見ても減らないんだから」
シェナイはそんなことを言いながら、出されていた野菜の皮を剥き出す。
「おい、あっち行けって」
「まあ、手伝ってくれるお姉さまにそんな口を聞くの?」
「……」
アイセルと弁当交換をするようになって、イゼットは手の込んだものを用意していた。
高価なコメの代わりになればという、せめてもの努力であった。
今まで家族は見ない振りをしてくれていたが、その期間が長引けば好奇心を我慢出来ない者も出て来る。
「ねえ、あなた、彼女でも出来たの?」
「!」
手にしていたナイフを落とすというヘマはしなかったが、それでも動揺は顔に出る。
シェナイは追い打ちを掛けるような情報を言って来た。
「粉物屋さんの奥さんが、この前綺麗な女の子と馬に乗ってどこかへ出かけるのを見たって」
「……」
イゼットの強張った横顔を見ながら、シェナイは勝ったと確信する。
そして、止めの一言を発した。
「これ、その子に作っているんでしょう?」