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二十六話

 イゼットの顔を見たとたん、アイセルは花が咲いたような笑みを浮かべながら傍に寄った。


「いつ来た?」

「今」

「遅刻だ」


 このように低い声色で問い詰めながらも、表情は柔らかい。


 人混みの中を通り過ぎ、森の中の街道へ入れば馬の腹を蹴って駆け出す。


 先を行くのはイゼットの馬。

 余程、休日のお出かけが嬉しかったのか、飛び跳ねるように走っている。

 アイセルの鹿毛の馬もつかず離れずの距離で走り、緊張感のない空気の中、のびのびとしている様子を見せていた。


 しばらく走り、湖が見えれば馬に休憩をさせる。


 イゼットはどっかりと湖の畔の草むらに座るので、アイセルも隣に腰を下ろした。

 貴族令嬢の思い切った行動を横目で見ながら、質問をする。


「敷物は持って来ていないのか?」

「忘れた」


 今になって自らの支度が十分でなかったことにアイセルは気づく。使用人に準備はするなと言って、何から何まで自分で用意していたので、思わぬ不備が生じていた。


「こう言う時、紳士はどうするか、知っているか?」

「さあ?」

「ちょっとは考える努力をしろ」

「……」


 アイセルの父は稽古を付けた後、力尽きたアイセルがその場にしゃがみ込みそうになれば上着を脱いでここに座れと言ってくれたことを思い出しながら問いかける。

 たいてい、彼女の父は上に服を一枚しか着ておらず、上半身裸になったまま家に帰り、母親に「筋肉自慢でもしているのですか!?」と怒られていた様子を思い出していた。


「――答えは出たか?」

「自信はないが」

「いいから言ってみろ」


 今度は真剣になって考えたからか、神妙な顔つきで答えを言った。


「……膝を、貸す?」


 イゼットの真面目な顔で言う答えの内容に、アイセルは笑い出してしまう。


「ふふ、なんだ、それは、新しいな」

「正解は何だ?」

「いや、それが、正解でいい」

「嘘だろうが」


 散々笑われて腑に落ちない様子のイゼットだったが、それ以上追及して来ることもなかった。


 馬の水分補給と軽い食事が終わったら、再び駆け出すことになる。


 日の位置も高くなって来れば、森の中は少しだけ明るくなる。

 木々を覆う葉と葉の間からの木漏れ日が心地よいと、アイセルは思った。


 生えそろったばかりの若い色の緑は美しく、頬を撫でる風も、心地良い。


 日々、魔力と魔技巧品に蝕まれている体ではあったが、こういう場所に来れば少しだけ負担も軽減されるように感じていた。


 これが、祖父の言っていた森と風の精霊の加護の力なのかと考える。

 精霊との契約は長い間祖父も勧めていたが、なんとなく怖い存在ものと思っていたのだ。

 馬と共に駆け、自然の風を全身に受けながら、少しだけ勉強をしてみようかと、頭の隅に予定を立てておく。


 目指していた草原は以前胸飾りを無くした王女が訪れていた場所である。

 王宮魔術小隊の管理の元、魔物などを寄せ付けない効果がある魔術が期間限定で展開されるような特別な管理地区だ。


「魔術が掛かっていなくとも、魔物避けの支柱を立ててあるので、奴らは近づけないだろうな」


 広い草原にぽつぽつと建っている白い柱は、いにしえの時代の魔術師が大掛かりな魔術を展開させる際、魔物が接近出来ないように造られたものだと、アイセルは語って聞かせた。


 イゼットは馬の鞍を外してやり、自由に遊ぶようにと尻を叩く。

 空気が読める馬は、アイセルの馬が自由になるのをその場でとび跳ねながら待っていた。


「なんだ、まだ元気だな」


 アイセルはイゼットの馬に話しかけながら、荷鞍より荷物を地面に下ろす。


「鞍はどうする?」

「いや、外して自由にさせてやりたいのはやまやまだが――今まで馬に逃げられたことはないのか?」

「ない」


 いつも、馬は木に繋げたりして、イゼットの馬のように自由な行動を許すことは一度もなかった。

 愛馬にはアイセルが跨がれるように魔技巧品を装着しているし、負担も掛けているから自由に遊ばせてやりたい気持ちもあったが、逃げられたら敵わないと思っていた。


「放しても、大丈夫だと思うか?」

「ああ、呼べば帰って来るんじゃないか?」

「そういう躾はしていない」

「俺もしてない」

「……」


 イゼットがそう言うならと、アイセルは馬の鞍を取り去り、遊んで来るように言って聞かせる。


「いいか、少し自由にするだけだ。私が呼べば帰って来い」


 馬は短く鳴いて、先を走っていた栗毛の馬を追い掛けて行った。


「不安だ」

「もしも帰って来なかったら捕まえてやるよ」

「そうだな。そうなった場合は責任を取って貰おうか」


 アイセルの馬は国王より賜った由緒正しい血統だと言えば、「まあ、なんとかなるだろう」と、暢気な様子で言う。


 イゼットは湖の畔でしたように、その場にしゃがみ込んで胡坐を組んだ。

 アイセルには、地面に直接座るのが気になるのなら、鞍を椅子代わりにして座ればいいと勧めたが、お断りをして隣に腰を下ろす。


 時刻はちょうどお昼時。

 アイセル家から作って来ていた食事を広げる。小皿にパンと揚げた子魚、香辛料を擦り込んで炙った肉に、串に刺した木の実の焼きものを装ってイゼットに手渡す。


「これは、うちのパン?」

「よく分かったな。朝から買いに行った」

「そこまでして作ったのか」

「折角の遠出だから、美味しいものを食べたかった」

「左様で」


 イゼットが食べている様子をしばらく眺め、満足したらアイセルも食事を始める。


「今日は、特別に気分がいい。従妹達が遠乗りに出かけたいと我儘を言う理由が分かった気がする」


 アイセルの話を、イゼットは静かに聞き入れる。


「急に誘ってしまってすまなかった。誰かと遊ぶ予定は無かったのか?」

「いや、別に」

「あ、あの、パン屋に居た従姉の娘とは……」

「シェナイ?」

「……」


 イゼットの口から女性の名前が出てきたので、アイセルの胸はドクリと大きな鼓動を打つ。自分から聞いたのに、予想以上の衝撃を受けてしまった。


「普段、か、彼女とは、出かけたり」

「しない」

「え?」

「姉弟で出かけるのも恥ずかしい」

「姉弟って、シェナイ・セネルは従姉だろう?」

「生まれた時から姉弟のように育ったから、本当の姉のように思っている」

「そ、そうだったのか」


 ずっと気にかけていたことが杞憂だったと分かり、アイセルは心底ホッとしたような気分となる。手にしたままだった果実汁の入った杯の中身を一気に飲み干して、自らを落ち着かせた。


 ぽつぽつと会話を続けていたが、草原を撫でる風の音が激しくなって会話を遮るようになった。


 イゼットはその場に寝そべり、目を閉じる。


「おい、こんな所で寝るな」

「風が強いから、草が飛んできて鬱陶しい」

「……」


 確かに、風に乗って草やら土埃やらを正面から迎え入れる形となっていた。アイセルは前方より強風に煽られて飛んで来た草の葉を、さっと手で払う。


「それに、腹いっぱいになって、眠い」

「食事の後すぐ横になると、体に良くないと医者が」


 色々と物申してくるのが面倒に思ったのか、イゼットはアイセルに背を向けて眠り出す。

 そんな様子を見せている背中を睨みつけたが、手の平ほどの大きな葉が顔に飛んできたので、やけくそになったアイセルも帽子を脱いでから地面に転がることにした。


 何かよこしまなものが近づけば魔剣が知らせてくれるだろうと考えながら目を閉じる。帽子は吹き飛んでしまわないように、つばの上に短剣を置いた。


 昨晩は良く眠れなかったので、目を閉じた瞬間に意識は無くなってしまった。


 ◇◇◇


 後頭部をぐいぐいと押されるような圧力でイゼットは目を覚ます。

 誰だと問いかければ、ヒンと短く鳴く声が聞こえた。


「お前か」


 馬が昼寝から起こしてくれていたのかと、ぼんやりとした頭の中で考えていた。

 いつの間にか太陽の位置は低くなり、色合いは赤く染まりつつある。


 もう少しだけ、気持ちよく微睡まどろみの中にいたいと思っていたが、時間がそれを許さない。


 仕方がないなと諦めて、腕の中にあった柔らかくて良い香りがする女性ひとの背中をぽんぽんと叩いて起こす。


「早く帰らないと、日が沈――」


 そこまで言ってイゼットは我に返る。

 慌ててガバリを置きあがり、立ち上がって横たわる人物から距離を取った。


「……ん?」


 イゼットに続いて目を覚ましたのはアイセル。ゆっくりと起き上り、背延びをしてから周囲の確認をする。


「こんな所で、深く寝入ってしまうとは」

「……」


 一見して、アイセルは抱かれた状態で眠っていたことは知らないようだ。

 その様子を見て、安堵するイゼット。


「あまり、眠るのは得意ではなかったのだが、不思議なものだな」

「……」

「セネル副官、どうした?」

「いや、なんでも」


 先ほどから不審な動きをするイゼットが気になっては居たが、それよりも気持ちの良い睡眠が取れた事が嬉しかったアイセルは深く追及しなかった。


 街に辿り着いたのはすっかり辺りも暗くなってしまうような時間帯。

 正門の前では、見知った顔が待ち構えていた。


「兄上?」

「ああ、良かった!」

「何か問題でも?」

「いや、父上が、日が暮れてもアイセルさんが帰ってこないものだから、家でソワソワし出して」

「……」

「……」

「それで、我慢が限界になって騎士隊に捜索願を出そうとしていたから」


 イゼットは「最悪だ」と呟く。


「あ、でも、私が探してくるからって言って、落ち着かせたから」

「父上は大げさだな」

「アイセルさんが心配なんだよ。誰と出掛けたとかも知らないから、余計に」

「……そういう、ものなのか?」

「そういうものだよ」


 アイセルはイゼットに今日のお礼を言い、兄と共に去っていく。


 その後ろ姿をイゼットは黙って見つめていたが、最後まで見届けることなく自らも帰宅をする事にした。


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