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二十五話

 アイセルは思いがけずイゼットと出掛ける約束が出来たので、年甲斐もなく無邪気に喜んでいた。

 だが、家に帰ってから我に返る。一体どこに行けばいいのかと。


 この前のような酒場は絶対に駄目だと考える。酔っ払って記憶を失ってしまったことは本当に惜しかったと、後悔していた。

 買い物も相手に気を使わせてしまうし、特に欲しい品もない。食事も店で食べたいとは思わなかった。兄と行くような店は常に給仕が居るし、下町の食堂は賑やかを通り越してうるさい。相手の話を聞き取れずに何度も聞き返す始末となる。そこまで考えて、頭の中が空っぽになってしまった。


 一体どこに行けばいいのか。

 一人ではどうにも思いつきそうにないので、兄に相談をしてみることにした。


「だったら、遠乗りにでも出かけたら?」

「ああ、それがあったか!」


 食事の時は両親が居たので、居間に兄・アイディンを誘って食後の紅茶を啜りながらの話し合いとなる。


「お弁当でも作ってさ」

「それもいい考えだ」


 こうしてあっさり予定は決まったが、問題は別にあった。


 翌日、昼食の時間に遠乗りについて話をしようと考えていたのに、本人を目の前にしてしまうとなかなか休日の話題を持ち出す事が出来なくなっていた。


「セネル副官」

「なんすか」

「あ、その」

「?」

「い、いい天気、だな」


 イゼットは窓の外を見て、適当な返事をしてからアイセルの作った燻製サンドを齧る。


 目が合えば、美味しいと言ってくれたが、聞きたい言葉はそれではないとアイセルは肩を落としてしまう。


 結局、その日は休みについて話す事が出来なかった。


 その日の晩の相談会は、反省会へと変わってしまった。


「誘った時と同じような感じで言えばいいのに」

「……あの時は、父上のことで怒っていたから、勢いで誘えた」

「う~ん、どうしたものか」


 ちらりとアイディンはアイセルの様子を窺う。


 頬を染めて俯く様は十代後半の少女にしか見えない。

 早くしないと妹はこのまま三十の大台に突入してしまうと危機的に思ったアイディンは、的確な助言をする。


「手紙を書いて机の上に置いておけばいい」

「そ、それだ!」


 アイセルも名案だと言うので、アイディンは机の上にあった鐘で使用人を呼び、便せんと筆を持ってくるように命じた。


 数分後、用意されたものを前に、アイディンは言う。


「口で言うのが恥ずかしくても、紙面なら大丈夫だろう?」

「多分」


 アイセルは筆を握りしめ、便せんに文字を刻む。


 じっくりと時間を掛けて完成した手紙を、念のためにとアイディンに確認をして貰うことにした。


 手紙を受け取ったアイディンは微笑ましい気持ちで文字を目で追っていたが、その柔らかな表情も文面を全て読みきる頃には崩れつつあった。


「ア、アイセルさん、これって……」

「?」


 アイセルの書いた手紙では、イゼットはとても残念な気持ちになるとアイディンは言った。


「兄上、それはどういう――」

「だって、これ、果たし状だし」

「は、果たし状、だと!?」


 手紙に書かれてあったのは――


 ――イゼット・セネルへ

 貴殿に遠乗りを申し込む。

 明日の早朝、日の出後に街の正門前で待たれよ。

 予定がなければ受けて立つべし。

 アイセル・イェシルメン


「なんだか、とても楽しい遠乗りに行くようには思えないし、あと朝も早すぎる」

「……」


 手紙の書き直しを余儀なくされたアイセル。

 十枚ほどの書き直しを経て、なんとか女性らしさのある手紙を書くことが出来た。


「これで、朝早く行って机の上にでも置いていればいいさ」

「でも、目の前で広げられたら恥ずかしくてどうにかなりそうだ」

「大丈夫、空気は読める子だから、きっと家で開封してくれるさ」


 アイディンの言うとおり、翌日机の上に置かれていた不審な手紙を、イゼットは見た瞬間上着のポケットにしまい、その日は話題に出すことはなかった。

 逆に、何も反応をしてこなかったので、明日は本当に来てくれるのか不安になったが、なるようにしかならないと考えながら家路に着く。


 家に帰れば食事よりも気になることがあったので私室へ向かった。

 部屋に辿り着けば、侍女が頼んでいた品は届いておりますと報告してきた。


 机の上に積み上がっているのは大きな箱。中身は乗馬用のドレスに靴、手袋、帽子、他。

 仕事で使っているような飾り気のないものではなく、華やかで優雅な意匠がほどこされたものだ。


「こちらのドレスであれば、馬に跨っても問題ありません」


 大きく全円に広がるドレスは、既製品ではあったが乗馬をする為に作られたもの。帽子も風で飛ばないような仕掛けがある。履き口にレースの施された真っ白な手袋は、一見布のように見えて、実は革製品だ。このように、貴婦人が優美に乗馬を楽しめるような品々が用意される。


「明日の準備はわたくしたちにお任せ下さい。どんな風にも負けない美しい髪型に結ってみせますわ」

「あ、ありがとう。苦労を、掛けさせる」

「苦労だなんて」


 侍女は今までアイセルを美しく着飾る機会がなくて皆で嘆いていたと笑いながら言う。


「もう、勇ましい服のご用意をするのはこりごりですよ」

「それは、すまなかった」


 幼少時から傍に居てくれる侍女に謝罪する。

 これから先は、こういう機会が増えればいいなと、アイセルは思った。


 ◇◇◇


 朝、早起きをしたアイセルは下町出身の使用人、フェルハを連れてある場所へと出掛ける。

 そこは、戦場となった朝のパン屋。イゼットの実家だ。


 アイセルは人混みを押しのけ、人と接触をしても問題ないように過剰に付けた魔技巧品の酔いに耐えながらも、パンを勝ち取った。


 今日は頭巾を深く被っていたし、店員も若い娘だったので知り合いだと気付かれる事もなく帰宅をした。


 買い物が終われば、厨房に移動をする。

 そこはアイセルが自由に使えるように改装した所で、周囲の邪魔もなく自由に使える自分だけの空間でもある。


 フェルハに手伝ってもらいながら、昼食作りに勤しんだ。


 弁当が仕上がれば、身支度の時間となった。

 本日は乗馬なので腰回りを細く見せる矯正下着は着用しない。

 詰襟のドレスの色は濃緑。アイセルの金髪に良く映えていた。

 体力を削ぎ落す魔技巧品は必要最低限とする。跨る馬に影響が出ないような装備も用意された。


 長い髪は三つ編みにして頭にくるりと巻かれるように編み込まれる。

 帽子はピンでしっかりと固定されていた。

 身支度が整ったので全身を写す鏡を用意され、姿の確認をしていれば、「世界で一番美しい姫君です」と侍女が耳元でそっと囁く。その発言にアイセルは苦笑をした。


 時計を見ればそろそろ集合時間になりそうだったので、弁当を持ったフェルハを引き連れて早足で廊下を歩く。


 あと少しで玄関に到着しようという所に、父親と鉢合わせてしまった。


「ぬ、アイセルよ、いずこに参るとか?」

「……」


 また、弁当を作ったのかという追及の言葉に、顔を背ける。


「もしや、我に、言えぬような相手なのか?」

「それは、違う!」


 とりあえず、急いでいるので報告は後日、と言って大きな壁のような父親をすり抜けて行った。


 荷鞍に昼食の入った籠と、小さな鞄を吊るしてから馬に乗る。父親に絡まれたお陰で集合時間ぎりぎりとなってしまい、焦ってしまう。


 なんとか集合時間には間に合ったが、人の多い門の前には栗毛色の馬を引き連れた黒髪の男はたくさん居た。


 アイセルは馬に跨った姿でキョロキョロと辺りを見渡すが、発見出来ずにいる。

 時間がたつほどに不安になっていた。果たして、イゼットは本当にここに来ているのかと。


「お嬢さん、道にでも迷っているのですか?」

「!」


 突然馬同士で隣に並び、声を掛けてきた男にビクリと肩を震わせる。

 騎士服を纏っているのは、見目の良い軽薄そうな雰囲気のある男。帽子のつばで顔を隠しながら、どこの部隊だと腕の隊章に視線を走らせれば、王族の親衛隊に所属していることが分かった。


「それとも、お伴の方と逸れたのですか?」

「いや、人を、探して」

「宜しかったら部下に探させましょうか? その間にお茶でも」


 手助けは必要ないと言っても、放っておけないと言ってついて来る騎士。

 正体を明かせば引いてくれるかと考えながら馬を歩かせていると、その進行を邪魔するかのように一頭の馬が行く手を阻んだ。


「おい、お前!」

「セネル副官!」


 騎士の注意する声よりも大きく弾むような声で、アイセルは目の前に現れた馬に跨る人物に声を掛ける。


「お嬢さん、彼が、探し人で?」

「ああ、すまなかった、ありがとう」


 アイセルは晴れやかな笑顔を見せながら、騎士に礼を言って去っていく。


 仲良く並んで去っていく後姿を、騎士の男は忌々しいとばかりに睨みつけていた。


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