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二十四話

 イゼットはいつもより早く家を出る。

 鞄もいつもより大きいものに着替えを詰めた。

 日も昇らないような時間帯は店の厨房の明かりはついているが、家の中は静まり返っている。

 売れ残りのパンは僅かで、朝食として摘んでしまえば無くなってしまう。昼食は食堂にでも行けばいいかと考えながら、薄暗い道を走りながら進む。


 家を早く出たのは個人的な訓練を行うため。

 先日の戦いでアイセルの父親に負けたことに対し、相当の悔しさを感じていたからだった。


 騎士隊の駐屯地も灯りがともされている場所は最低限となっている。

 そんな中で、イゼットは違和感を覚えた。第八騎兵隊の休憩室の灯りが点っていたからだ。


 掃除は勤務が始まってから係の者が行うようになっていた。

 一体誰が、と思いながら扉の取っ手を引く。


「――うわ!?」


 何を見ても驚かないようにと決心を固めて扉を開いたのに、悲鳴を上げてしまうイゼット。


「……ぬ、誰ぞ?」

「……」


 思わず後退ってしまうイゼット。

 休憩所の床に這い蹲って拭き掃除をしていたのは、昨日の争奪戦に突如として現れた大型新人であり謎の仮面騎士でもある上司の父チチウだった。


「おお、イゼット・セネルではないか」

「……どうも」


 昨日、「また、どこかで会おうぞ」と言って別れたはずなのに、翌日このような姿で再会を果たすとは思ってもいなかったという。


「ここで、なにを?」


 イゼットの姿を確認してから再び拭き掃除を始めてしまったチチウに指摘をした。


早朝つとめての掃除は新人騎士の奉仕活動の基本よ」

「……」


 意味の分からない古臭い言い回しをするチチウの物言いを聞いていると、懐かしく思ってしまう。アイセルの言葉使いは分かりやすくなったものだな、と感慨深くなっていた。


 だが、そんな現実逃避をしている場合ではない。チチウは自分が新人騎士だと言った。何も追及しないでこのまま休憩所を出て行きたかったが、訓練も集中出来なくなるだろうと思って聞き返してみる。


「新人騎士?」

「うむ」


 チチウは立ち上がって制服のポケットの中から封筒に入った紙を取り出して見せる。


 そこに書かれてあったのは、人事部からの異動命令。


 ――チチウ・カルカヴァンは、第八騎兵・王都警護小隊に異動することを命じる。


「――!?」

「前職は一カ月程前に若い者に譲ったばかりであった。公式発表もじきにあるだろう」


 チチウは言う。

 仕事を辞した後、毎日暇を持て余していたと。


「ならば、再就職するしかないと」

「……」


 もう六十も過ぎているのだから、ゆっくり過ごせばいいのにと思ったが、本人的には家で何もしない平穏な一日を送るということが出来なかったらしい。


「お主は、掃除をする為に此処に参ったとか?」

「いや」

「ならば、訓練か?」

「まあ」


 チチウは布巾をバケツの中の水に浸し、よく絞ってから開いた窓枠に掛けて干す。汚れた水は窓から外に捨てていた。


「我も共に」


 チチウはイゼットの訓練について来ると言った。その申し出に嫌な顔をしながら、個人の棚に鞄を詰めて部屋を出る。


 ◇◇◇


 個人の訓練で出来ることは多くはない。素振りをしたり、騎士隊の建物の周辺を走ったり。

 イゼットは外で素振りをする。使う剣はいつも持ち歩いている物よりも重たい長剣。縦に、横にと様々な型を振って行く。


 その隣でチチウも剣を振り上げた。


 風を切る重たい音が静かな空間に響き渡る。


 イゼットは驚いて隣を見た。


 チチウは驚愕の表情を浮かべる若者を見て、仮面の下で笑みを浮かべる。


「――今、なにを?」

「ただの素振りよ」


 チチウは語って聞かせた。剣の振り方にも方法があると。


「お主のやり方は基本的な振りに過ぎない」


 その基本的な素振りにも数種類あり、イゼットはどの型も正しく出来ているとチチウは評した。


 素振りの意味は正しい型を忘れないようにする目的と、上半身の鍛練、武器に慣れるという意味がある。


 だが、それだけを長く続けていても意味はないとチチウは語った。


 チチウは独特な動きの素振りを見せる。


「これは、下肢を鍛える効果もある素振りだ」


 いくつかの型をイゼットに示し、真似をしてみるように言った。

 チチウの言う通りに剣を振るえば、いつもとは違う場所に力が入っていることが分かる。


 太陽が地平線から昇るような時間帯になると、チチウは湯を浴びて来いとイゼットに言った。

 たった一時間の訓練であったが、全身が汗にまみれていた。

 イゼットは去りゆく仮面男の背中に一礼をする。


 湯を浴びている時間などなかったので、薬草を溶いた湯に浸して絞ったタオルで体を拭き、執務室へと向かった。


 部屋の中に入れば、チチウを前に頭を抱えるアイセルの姿があった。


「――というわけで、しばらくの間、世話になる」

「だから、何を言っているんだ!」

「人事部の異動通知には逆らえぬゆえ」

「全く訳が分からない!!」


 朝から親子喧嘩を目撃してしまい、イゼットはそのまま部屋を出たくなる。

 だが、ちょうど話が一区切りついたアイセルとチチウの視線を浴びてしまい、逃げる機会を逃してしまった。


 ゆっくりと部屋に入り、自分は関係ない人間ですと主張するように滑らかな動きで執務机に座りたかったが、チチウがずんずんと迫って来たので、体か警戒の為に動きを止めてしまった。


 何をするのかと思いきや、チチウはイゼットの体を盾にするかのように隠れたのだ。


「隠れても無駄だ! というか、体はほとんどはみ出している!」


 アイセルの指摘に身を屈めてイゼットの背中を縦にして隠れていたチチウは「ぬう」と悔しそうに呻く。


「セネル副官からも何か言ってくれ! 父上はこの隊に居座ると言っている!」

「……」


 果たして、この場で、この状況で、堂々と発言が出来る者が存在するのかと首を捻る。


「イゼット・セネル、どうか、助力を頼む!」

「……」


 両方の肩に置かれたチチウの手の力がぎりっと音をたてる。


 背後の圧力に耐え切れなくなったイゼットは、入隊を認めるようにアイセルに言っていしまった。


 チチウが去った後の部屋は、冷え切った空気となる。


「――まさか裏切られるとは思いもしなかった」

「……」


 二人きりとなった執務室で、イゼットは静かに責められていた。


「親子で同じ隊に居るなど、前代未聞だろうな。身分を偽っているとはいえ、このようなことが果たして許されるのか、と」

「……」


 執務とは関係のないことを喋りながらも、アイセルはすらすらと書面にペンを走らせている。集中しないと書類の一枚も書き切ることが出来ないイゼットとは大違いだと、上司の机の上を眺めながら感心していた。


「私の心労も増えることだろう」

「出来るだけ、補助はする」

「だったら、今度の休みは一日私に付き合ってくれ」

「は?」

「補助をしてくれるのだろう?」


 アイセルの顔を見れば、してやったりと言わんばかりの表情で居た。先ほどの深く落ち込んだような空気は欠片もない。


「一体、なにを?」

「そうだな、何をしようか。考えておこう」


 以降、アイセルは父親を受け入れ、他の部下と同じような扱いをするようになった。


 ◇◇◇


 チチウが来てから数日が経った。イゼットは早朝の訓練を共に行うという時間を過ごす。

 時間がある時は、終業後も手合わせなどをする日もあった。


 実戦となれば、日々の訓練の手応えも感じることとなる。


 お昼時になれば、イゼットは食堂へと向かう。

 だが、今日はアイセルに呼びとめられてしまった。


「セネル副官」

「なんすか」

「昼食を」

「?」


 食事に行く前に何か仕事を頼みたいのかと聞けば、違うと答える。


「今日は、昼食を、作って来た」


 手作りの昼食自満かと思ってイゼットはアイセルの差し出した四角い籠を見つめる。


「早く受け取れ」


 それが自分に充てた物だと気がつくと、目をぱちぱちと瞬かせてから、アイセルに視線を戻す。


「最近、食事を持って来ていないだろう?」

「……まあ。朝、早いから」


 ここ数日の間、食堂に行って食べていることに気づいたので作って来たとアイセルは言う。


「これを、食べるといい」

「……どうも」


 イゼットはありがたく食事を頂くことにした。

 中身はパンに肉と野菜を挟んだものと、串に刺さった魚、ひき肉と香辛料を包んだパイが入っていた。


 どれも美味しいと言えば、アイセルは嬉しそうにしていた。 


 就業後、訓練と共にしたチチウが真剣な眼差しで相談があると言って来る。

 二人並んで草むらに座り、水筒に入れた水を飲みながらイゼットは話を聞くことにした。


 相談とは一体何かと思いきや、それは娘についてだと言う。


「娘が、弁当を二つ作っていて、一体、誰に作っていたのかと……」


 その相談を聞いた途端、イゼットは口に含んでいた水を全て噴き出し、咳き込んでしまった。


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