二十三話
アイセルより向かい合う二人に手渡されたのは長くてしっかりとした木の棒。これが、今回の試合の得物となる。
試合形式は相手に膝を地面に付けさせるか、得物が手から離れたら負け、という至極単純なもの。
イゼットはちらりと仮面の男を盗み見る。
一撃目はどこに切りつけようかと考えていたが、どの部位も一切隙がない。流石は騎士団の頂点に居る者と言ったところかと、冷静に分析をしていた。
「――では、この硬貨が地面に落ちた瞬間を試合開始とする」
アイセルの説明が聞こえたので、決められた位置まで下がって木の棒を構えた。
少し離れた場所に居るアイセルの父――チチウはだらりと木の棒を腕から下げた姿で居る。
キンという金属を指先で弾く音が聞こえた。クルクルと宙を舞う一枚の硬貨は、瞬く間に落下をして地面を跳ねる。
最初に動いたのはイゼット。
微動だにしないチチウの利き手の甲に狙いをつけて木の棒を水平に振る。
だが、そのひと振りは簡単に受け止められ、弾かれてしまった。
そんなチチウの動きは想定内であったので、イゼットは次の攻撃態勢に移る。
くるりと身を翻し、得物を大きく振って狙った場所を叩かずに、寸前で軌道を変えて無防備となった場所を強く打った。
胴攻撃をすると見せかけて別の部位に斬りかかる技は手数の多いイゼットの特技である。
屈強な体を持つチチウはイゼットの攻撃に怯んだ様子もなく、今度は猛烈な攻めを始めた。
振り下ろされる剣の一撃一撃が必殺技を受けているように重く、手先から腕にかけて痺れを覚えるような力強い攻撃を仕掛けて来る。
まともに受けていたら得物を持つ力を削がれてしまうと思い、イゼットはチチウの剣戟に対して同じように剣を振って攻撃を回避させる為に突き払う。
実力は間違いなくチチウが上。
イゼットの軽い一撃は相手をふらつかせることでさえ困難なように思えた。
膝をつかせることは不可能なことだが、隙もないので得物を手から弾かせるというのも無謀な話のように考える。
唯一優っている点は素早さだが、それも技術面が追い付いていないので、上手く生かせないまま。
だが、それでもイゼットはなげやりになっていなかった。
相手は本気になって戦っている。イゼットも手を抜いた状態で負けるわけにはいかない。
戦いながら、イゼットは従騎士時代を思い出す。
配属された先の部隊長は大変厳しい人物であったが、基本的な剣術や騎士としての振る舞いをきちんと叩きこんでくれた。
その人物は平民の生まれで、騎士隊は実力さえあれば家柄の力など関係なく上に登り詰めることが出来ると、身を以て教えてくれるような騎士でもあった。
一人前の騎士になれば、他の部隊へ移動となる。
新たに配属された部隊長は平民出のイゼットにとって最悪な相手だった。
その部隊を取り纏めていたのは、貴族の名を持つ騎士。
大貴族出身の隊長は、隊での序列は実力ではなく、血統を重んじることを主張していた。
当然、下町出身のイゼットは軽んじられ、数年ですっかり腐ってしまった。
母親に騎士になると言って家業を継がずに家を飛び出して来た手前、辞めることも許されず、首になっては困ってしまうので、それなりの働きを見せていたが、我慢も限界となって反抗的な態度を取ってしまい、厄介払いとばかりに数年前に第八騎兵隊に配属されたという訳だった。
アイセルの前の隊長も貴族の名を持っていた。
イゼットは前の隊での失敗を反省しながら、目立たぬようにと騎士生活を送って来た。
彼にも、民の模範となる人物となって、従騎士時代の上官のような立派な騎士になりたいと夢見る時期もあった。
剣を交えながら、そんな記憶を蘇らせる。
チチウの戦い方は、従騎士時代の上官だった男の剣筋を彷彿とさせていた。
訓練であっても全力でぶつかり、相手が誰であれ本気で戦うという姿勢。
イゼットは泥だらけになりながらも、チチウに勝つ為に奮闘していた。
想定外の戦いを見せていたイゼットとチチウに、面白半分に眺めていた騎士たちは次第に身を乗り出して応援を始める。
しかしながら、精鋭軍の長を務め、毎日訓練をしているチチウと、それなりの訓練しかしていないイゼットの間には天と地ほどの実力の差があった。
イゼットの握る剣は弾かれ、それと同時に地面に膝をつく。
負けたと察した瞬間は、頬を伝う汗を拭う気力さえ残っていなかった。
全力を出して負けたので仕方がないことだったが、悔しいものは悔しいと、奥歯を噛みしめる。
そんな様子を見せているイゼットに、チチウは声を掛けた。
「お主、名は?」
まだ息が整っていないので、まともな返答が出来ずにいた。
「名を、名乗れ」
「……イゼット・セネル」
チチウも膝をつき、イゼットと向き合う。
「お主は、何もかもが、なっておらぬ」
「!」
騎士になってからはまともな技術を習っていなかった。基礎を叩きこむような訓練を受けたのはアイセルが来てからである。指摘された内容は分かり切っている話であったが、言い返すことも恥ずかしいので黙って受け入れた。
「――だが」
「?」
「勝とう、という気概だけは認める」
それだけ言ってから、チチウは立ち上がる。
「また、どこかで会おうぞ、イゼット・セネル」
そんな事を言ってから、チチウは応援席に戻って行った。
「……」
地面に膝をついたまま、呆気に取られているイゼットの元にアイセルが駆けて来る。
「おい、大丈夫か」
アイセルは手を差し出したが、イゼットは助けを借りずに立ち上がる。
平気だと手を振りながら、泥で汚れたので顔を洗いに行って来ると言ってその場を去った。
◇◇◇
賞金と酒を賭けた試合は大いに盛り上がっていた。
参加者の誰もがイゼットの試合を見て何らかの影響を受けたからか、本気の戦いを見せている。
太陽の位置が真上になれば、休憩時間とする。
昼食はアイセルが差し入れを頼んでいた。
それを広げて外で食べる。
チチウの周辺には隊員達が集まっていた。
皆、突如として現れた謎の新人騎士から技術を盗もうと、昼食を摘まみながら質問責めをしている。
その様子を遠巻きで眺めるイゼットの隣には、呆れ顔のアイセルが居た。
「いいのか、あれ?」
「好きにすればいい。父上は気にしていない」
アイセルは食事にしようと言ってその場に敷物を広げた。
「準備がいいな」
「争奪戦に参加をしない私には、こんなことしか楽しみがないからな」
「左様で」
そう言って去ろうとするイゼットをアイセルは引き止めた。
「待て、どこに行く?」
「チチウの所に」
「駄目だ。ここに座れ」
「……」
イゼットはアイセルの誘いに嫌な顔をする。
隊員達の目がない場所で共に行動をするのは問題なかったが、今は日々他人をからかう事を生き甲斐にしている者達が大勢いた。そのような状況で個人的なお付き合いはご免だと、お断りの言葉を口にする。
「自意識過剰な奴だ」
「そうしないとこの部隊で生きていけない」
「大げさな」
アイセルは、皆、チチウに夢中で他に目は向いてないと言ってイゼットの手を引いて敷物の上に座らせた。
ついでにその辺に居た父親の従者も二・三人座らせれば、別に不自然な所はないと主張する。
「ほら、食べろ」
「……」
差し出されたパンの入った包みをイゼットは受け取る。
包みの中に入っていたのは肉と野菜が挟んであるパン。それを齧りつけば、イゼットの家のパンだということが分かった。
「美味しいか?」
「……まあ」
しっかりと噛めば、挟んである肉が上質な品であることに気づく。
てっきり店で売っている品だと思っていたが、店で出している肉よりも遥かにいいものだったので、アイセルの家から作って来た食べ物だということに気が付いた。
アイセルはイゼットが食べきるのは確認すると、二個目のパンを押し付け、父親にも持って行って来ると言ってパンの包みを掴み、広場の中心で飲み食いをする部下の元へ走って行った。
イゼットが残された従者の方を見れば、びくりと肩を震わせている。手の中のパンは開封すらしていない。
「それ、食べないのか?」
「お、恐れ多い」
「姫様の、手作りパンだなんて」
「……」
普通に美味しかったと言っても、ふるふると震えるばかりだった。
王族に対して信仰心が高いとこうなってしまうのだな、とイゼットは珍しい生き物を眺めるような気持ちでいた。
午後からの試合も熱戦の連続だった。
そして、優勝賞品である賞金と酒は謎の大型新人、チチウが勝ち取った。
「父上、ちょっとは空気を読んで欲しかったが?」
「多少、大人げなかったと、反省はしておる」
こそこそと交わされる親子の会話を余所に、背後に居た隊員達は「優勝者には隊長から祝福のキスを!」と騒いでいた。
「では、口付けでも戴こうぞ」
「何を言っている、するわけないだろうが!!」
アイセルは賞品である賞金と酒を持っているイゼットを振り返った。
「しないんすか?」
「……」
副官からのまさかの抗議に、アイセルは裏切られたような気分となる。
結局、周囲の空気を読まざるを得なかったアイセルは勝者の額に口付けを贈った。
アイセルの父も、娘からの口付けを受けて仮面の下でにっこりとほほ笑む。
しかしながら、簡単にしてやられるアイセルではない。
仕返しだとばかりに、優勝賞品である酒を掴んで掲げながら叫んだ。
「――チチウが酒を皆に振る舞いたいと言っている」
「な、なぬ!?」
隊員達は上物の酒を前に、この日一番の盛り上がりを見せる。
折角娘から取り返した酒であったが、手の平からすり抜けて行く事となった。
このようにして、賞金争奪戦は終わりを告げた。