二十話
祭りも最終日となっていたが、人混みは収まることはなく。
休みなく働く騎士たちの顔色は誰もが土色になっていた。
大きな事件もなく、祭りが終わると言う合図の花火が空に上がれば、涙を浮かべる者さえ居たという。
だが、祭りの撤去をしている間も油断は出来ない。祭りが終わっても、人と人の間で諍いは起きるもの。
騎士たちは目を光らせ、街の秩序を守るために巡回を続けた。
そんな連続勤務を終え、翌日は休日となった幸運なる一部の騎士たちは束の間の休日に羽を伸ばす。
イゼットも部隊も休日となっていた。
家族が疲れているのが分かったので朝から家事をこなし、店番もすることにした。
ある程度店に並べた商品が売り切れたら、厨房で昼に売るパンの仕込みを手伝う。
昼に売るパンの中で一番人気は肉と香草を挟んだパン。特別なソースとぴりっとした香草と肉の相性は抜群。昼食に買いに来る者達で店は毎日のように混雑をする。
使うパンは丸くてもっちりとした、大人の手の平ほどの大きさの白いパン。
それに切り目を入れ、ソースに漬けていた焼いた肉と香草をたっぷり挟む。紙に包めば完成。地味に手間が掛かる一品だ。
イゼットの手伝いにより早く作業が済んだので、今日は別の肉挟みパンを作ろうかとシェナイは言う。
こってりとしたソースは使わず、味付けは香辛料のみ。葉野菜を多めに挟んだ一品。
「なんていうのかしら? 健康志向の強い女性向け?」
「確かにババアは野菜野菜って毎日うるさく言ってるから売れるかもな」
「でしょう?」
作り方はソース肉を挟むパンより簡単なので手早く作ることが出来た。試し売りなので量はそこまで多くはない。
十個ほど作り、店の展示ガラスに並べる。
「へえ、そんなもの作ったの?」
「美味しそうでしょう?」
「ええ、いいわね。でも、よくそんなの作る暇があったわね」
「イゼットが手伝ってくれたから」
「そうだったの」
当の本人は営業終了とばかりに部屋に引っ込んでしまった。十分な働きをしてくれたとシェナイは言う。
お昼前になればパン屋は開店する。
外で並んでいた客たちが、焼きたてのパンを求めて入って来た。
シェナイの新作パンも女性客を中心に売れて行った。
昼の混雑はすぐに引いて行く。皆、休憩時間などを利用して買いに来るからだ。
「――あら?」
イゼットの母は気づく。客の中に知っている顔があったことに。
「アイセルちゃん、いらっしゃい!」
「!」
他の客も居たから声を掛けられるとは思っていなかったアイセルが、はっとした様子で呼ばれた方向を見る。
「珍しい時間に来たのね」
「え、ええ。暇を、持て余していたので」
「今日は一人なの?」
「はい、そういう、気分で」
「あるわよねえ、そんな時が」
付け焼刃の女性言葉を使ってみるアイセル。緊張と驚きと相俟って拙い喋りとなってしまった。
「今日もお昼はうちのパン?」
「……はい」
「お休みの日位良いものを食べなさいよ。ちょっと待っててね」
「え?」
イゼットの母親は店番をシェナイに頼み、奥の部屋に消えて行った。
アイセルはどういう意図で言われたのか分からずに首を傾げた。
外で待っていると、どこからか親子喧嘩が聞こえてきた。
「別にいいじゃない! ケチな子ね! ぐだぐだ言って男らしくないわ!」
「だから、ケチとかそういうことじゃねえって言っているだろうが、クソババア!」
店の隣にある住居出入り口からぺいっと吐き出されるようにイゼットが出てきた。
「お待たせ、アイセルちゃん!」
「セネル副官!?」
「……」
家の中から出て来た不貞腐れた顔のイゼットは、アイセルの顔を見るなり目を細める。
「あの……」
「二人で食事にでも行って来なさいよ。ね?」
「!」
母親に背中を強く叩かれたイゼットは、驚愕と戸惑いを見せている上司の顔をちらりと見てから、溜め息を吐きつつ歩きだす。その背中を、アイセルは追った。
「待て、セネル副官!」
「……」
イゼットの腕を掴んで止まるように言う。
「その」
「休みの日にセネル副官はちょっと」
「分かった、では――」
なにと呼ぼうか迷う。名前を呼ぶのは恥ずかしいので、家名にさん付けにでもしようかと思った。
「では、私のことはアイセルと」
「いや、それは」
「イェシルメンは言い難いだろう?」
「……」
イゼットは返事をしないまま、先へと進む。
辿り着いた先は下町の食堂。お昼時なので店の中は大混雑をしている。
店先で、ここでいいかと聞かれたのでアイセルはこくりと頷く。
「……本気か?」
「良いかと聞いたのは、そちらだろう?」
そんな風に言い合っているうちに、店員が空いた席に座るようにと案内をする。
アイセルは店員の指示に従った。
品目一覧表は乱雑に机の上に置かれていた。アイセルは開いてから文字に視線を走らせる。
後から来たイゼットも、アイセルの目の前の席に座った。同じように品目表を開いて見る。
「料理の名を見ても何が何かよく分からない」
「何が食べたい?」
「肉料理」
家を出た時から気分は肉だった。
イゼットの家の店で肉の挟んだパンを買うつもりだったのに、無残にも争奪戦に負けてしまったのだ。
かなり早く店に着いて列に並んでいたのは良かったが、開店と共に人が店内に雪崩れ込み、順番など関係なしに押し入って店員に手早く注文を終えた者が勝利者となっていた。
アイセルは店の後方で呆然とするばかりだった。
「ワイン煮込みみたいな上品な料理はないが?」
「それは構わない。とにかく肉を食べたい」
せっかくイゼットと食事に来たのに上品な食事の選択が出来ないとは、食欲とは恐ろしいとアイセルは思ってしまう。
「だったら、野菜と肉炒め定食にすればいい」
イゼットは店員を呼び、注文をした。
アイセルは料理を待つ間、店内を見渡した。
店の中は薄汚れていて、品目が書かれた紙も剥がれかけている。
だが、これだけ人が集まっているのだから美味しいのだろうと、周囲の賑わいを見ながら思った。
それから数分と待たないうちに食事が運ばれた。
アイセルの前には肉と野菜を香辛料で炒めたものと真っ赤な豆のスープが置かれる。
イゼットの前には揚げた魚にあんかけを掛けたものとアイセル同じスープが出された。
机の中心にはパンが入った籠がどんと音をたてて置かれる。
「パンとスープは食べ放題だと」
「へえ、面白いな」
「美味くはないが、腹は満たされる」
「なるほど」
混雑していたのはそういう意味だったと納得をする。
再び周囲を見渡した。
客たちの中に食前の祈りを捧げているものはいない。その礼儀に従おうと、何もしないで食事に手を付ける。
用意されたナイフとフォーク、スプーンはくすんだ鉄色。家の磨き抜かれた銀食器とはずいぶんと違ったが、すぐに気にならなくなる。
肉は硬く、野菜は焼き過ぎていて素材の旨みなど台無しの状態、スープは酸っぱいし中の豆は硬い、パンは口の中の水分を吸い取るだけの食べ物であったが、何故か満足出来た。
食後にお茶など出て来る訳もなく、食べたらすぐに追い出されてしまった。
今回も食事代はイゼット持ち。アイセルはなんだか悪いなと思ってしまう。
「なんだか、先日から私ばかり奢って貰っている」
「別に、普通はこんなものだろう」
「普通とは、どういう状況を言う?」
「……」
「女性との付き合いで、という意味か?」
「……」
沈黙は肯定を示す。妙に女性の扱いに慣れているな、とイゼットの顔を疑惑の目で見上げた。
「分かった」
「?」
「酒でも奢ろう」
アイセルは店に案内しろと言う。
昼から酒を飲むなんてとんでもないことだと、意外に真面目な事を言い出したが、早く連れて行けと急かした。
案内された店は、昼から営業をしている唯一の酒場。
酩酊した中年男性達が意味のない盛り上がりを見せている。
「本気か?」
「本気だ!」
アイセルは店の中に入り、店員に二名だと言った。