十九話
祭りも六日目となれば、王都の街中はどこもかしこも人で溢れ返る。
アイセルは人に接触しても大丈夫な様に魔技巧品を通常の倍の数を付けて任務に参加をする。
「ねえ、アイセルさん、そこまでして任務に参加をしなくてもいいのでは?」
「……」
朝食の席で兄に指摘されるアイセル。
通常、上官は騎士隊の本部で待機をしている。巡回している者はごく僅かだという。
「今日は国王が城の露台から国民に顔を見せる日でもあるし、人も一番多い日だから――」
「街中は混乱に陥りやすいだろう?」
「うん。だけど、アイセルさんが頑張る必要は――」
「別に、仕事を頑張っている訳では無い。私は、職権濫用をしているだけ」
「なにそれ?」
今日の巡回の相方はイゼット。
一日中二人きりで過ごせるというわけだ。それを聞いたアイディンは「あ~、なるほど!」と納得の反応を示した。
「私も驚いている」
魔技巧品の着用は魔力を消費するが、それ以上に体に負担が掛かる。
アイセルは長生きする為に身に付けるようにと国王より贈られた品を宝石箱の中に長い間しまっていたが、それを引っ張り出して装着していた。
「今まで、仕事と私事の分別はきちんと付けろと何度も同僚や部下を叱って来たのに、この私が色ボケに成り下がるとはな」
「いや、いいんじゃない? 色ボケでも」
「そうだろうか?」
「だって、今まで十四年間も真面目に騎士をして来たし、アイセルさんは騎士として生きることしか知らなかったから」
別に普段から好意が分かりやすく態度に出ている訳では無いし、と言い掛けてから口を紡ぐ。
「……兄上」
「な、なにかな?」
「まだ、私の近くに監視の使い魔を放っているのか?」
「あ、いや、監視っていうか、あはは、まあ、うん」
アイディンはイゼットより小鳥の使い魔を使ってアイセルを監視していたことを暴露されていた。そのことで怒られ、数日の間口を聞いてもらえなくなっていた。もうしないと反省をしていたのに、たまに様子を伺いに行っていたことがバレてしまったという。
「ご、ごめんなさい」
「……」
「二度と、しません」
怒鳴られると思いきや、アイセルはすっかり小さくなった兄の様子を見ながら笑い出してしまう。
「アイセルさん?」
「いや、兄上は心配をしてくれているのだろう? この前は、あのように激しく怒ることでもなかったと、私も反省をしていた」
寛大な態度を見せるアイセルに、アイディンは下げた頭が上がらなくなっていた。
とりあえず、機嫌を損ねるような展開にならなかったのでほっと安堵の息を吐く。
「そういえば、母上が驚いていたよ」
「母上が、なにを?」
「喋り方が柔らかくなってって」
「そうか」
急に口調を改めることは出来なかったので、年寄りしか使わない古い言葉を使う事を止めることから始めたアイセル。その成果は少しずつではあったが出て来ていた。
執事が手入れを終えた時計をアイセルへと手渡す。時刻を確認して、そろそろ出発の時間だと分かったので兄とは別れることになった。
◇◇◇
祭り六日目。
人混みはアイセルの想像を大きく超えていた。
そして、人と人の間に起こる諍いも、数多く勃発する。
一つの問題が解決したかと思えば、また別も場所で騒ぎが起こる。
人を掻きわけて前に進み、殴り合いは間に入って止めた。
イゼットと共にゆっくりと並んで歩くことだけを楽しみにしていたアイセルだったが、それ所ではない大騒ぎを民衆は起こし続けていた。
昼を知らせる鐘が鳴り響いた。地面が振動するような重たい音を聞きながら、もうそんな時間になっていたのかと、アイセルは驚く。
「隊長」
「なんだ?」
「そろそろ、食事にしましょう」
「え、何と言った?」
少し前を歩くイゼットが振り返って何かを言ったが、周囲の喧噪に声がかき消されて何を言ったのか分からなかった。
それに気が付いたイゼットはアイセルに近づき、用件を簡潔に耳打ちする。
「――あ、ああ。食事か」
急に接近して来て、耳元で囁いて行くのでアイセルは身を引こうとしたが、人混みがそれを許さない。
「一体、どこで食事を――!?」
昨日まではなんとか細い通路に入り込んで携帯食料を齧ることも出来たが、今日ばかりはそれも無理なように思える。どこもかしこも隙間なく人だらけだった。
イゼットは「ちょっと失礼」と言ってからアイセルの手を掴む。ぐいぐいと人を掻き分けながらどんどんと先に進んだ。
たどり着いた先は、露天の裏にあるちょっとした休憩の場。
ここは、イゼットのパン屋が店を開いている場所だった。
ぱっと放された手を胸に当ててぎゅっと握り、照れを隠すように質問をする。
「セネル副官はいつもここに食事に来ていたのか?」
「いや、来たのは今日が初めて」
今日ばかりはどうにもならないと、周囲を見渡しながら言う。
油が入っていた缶をひっくり返しただけの椅子を勧められて座る。忙しくて気に留める暇もなかったが、疲労がどっと押し寄せていた。
突然目の前に差し出される瓶。それは、冷えた果実汁が入っているもの。
「これは?」
「そこの店で買って来た」
「ああ、ありがとう」
ぐったりと項垂れているうちに買って来てくれたようだと気付く。
受け取ってから、懐の財布を探ったが、代金は必要ないとイゼットは言う。
こういう時はお言葉に甘えて後日違う形でお礼をするものだと、先日兄から習ったばかりだったことを思い出し、もう一度お礼を言ってから栓を抜いて飲むことにした。イゼットも隣に座り、同じものを飲んでいる。
冷たい飲み物が体の疲労を癒してくれる気がした。腕に着けている魔技巧品の位置を動かし、体の調子を整えるために軽く息を吐き出す。
食事はなにか持って来ているかと聞こうとすれば、店と休憩所の境界線にあった布が開く。
「あら、あんた、来てたの?」
顔を出したのはイゼットの母親。その姿を確認したアイセルはぱっと立ち上がって一礼をする。
「あの、勝手にお邪魔を」
「あら、アイセルちゃんじゃない。あらやだ、あなたたち、一緒の職場だったの?」
母親の言葉を聞いたイゼットは眉を潜める。どうしてこのように、二人は親しい間柄なのだと。
アイセルはパン屋の常連となっていた。しかも、人の少ない時間ばかり通うので、顔も名前も覚えられてしまっていたという。店に通ううちにイゼットの母親と仲良くなり、仕事のある日もパンを買いに行くようになっていたので、職業もバレてしまったのだ。
「あなたたち、一緒の職場だって言わないから知らなかったわ。イゼット、あなたもどうしてアイセルちゃんが最初に来てくれた時に他人のフリをしていたのよ? まったく冷たい子ね!」
「……」
「……」
今度はアイセルの顔を、座ったまま見上げるイゼット。
そんな疑惑の視線を受けながら、食い意地が張っていることがバレてしまったようで、アイセルは恥ずかしくなる。
イゼットの母親はちょっと待っていてね、と言ってから店に並んでいたパンを持ってくる。
「はい! 見回りご苦労さま。これを食べてお昼からも頑張ってね」
「ありがとう、ございます」
「お代は出世払いでいただくわ」
「ババア、何言ってんだよ」
息子の冷たい突っ込みに、母は明るく笑う。
渡されたパンは香草と炙った肉が挟んであるパン。お昼時なので飛ぶように売れる品だが、特別に持って来てくれた。いつもお店で品切れになっている人気商品で、どういうものなのか気になっていたパンでもあった。
イゼットの母は再び店先へと戻って行き、元気良く客に挨拶をしている。
アイセルは膝の上にパンを置き、祈りを捧げてからパンを口にした。
パンは想像以上の美味しさだった。今度、昼の混雑する時間に行って買って食べたいと思うほどに。
すっかり気力が回復したアイセルは午後からの巡回も頑張ろうと、気合いを入れた。