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十八話

 年に一度の国王生誕祭の季節が近づけば、騎士たちにも忙しい日々が訪れる。

 王都周辺の警戒体制は厚くなり、町の中を巡回する騎士たちも増員されていた。人が集まればそれだけ問題も増えるからだ。


 休日も返上して、各々の部隊に与えられた任務を遂行する。


 王都周辺には特別な魔物避けの魔術が敷かれる。

 国王の誕生を祝う祭りの期間に限定して展開される魔術だ。魔術師団の魔術師達は血走った目になりながら、交代で術式の維持に努める。


 よって、王都周囲は盗賊などの人災にのみ警戒をすることになっていた。騎士団の人員のほとんどは街中の巡回員に投入されるのだ。


 そんな中で第八次兵隊の祭り期間の任務は街中の巡回業務が振り分けられる。

 アイセルは真面目に努めるように隊員達に懇々と諭した。


「休憩は一日に一度、鐘の数で各々確認を」


 任務中の買い食いは禁止。だらだらと背中を丸めて歩かない。行動は二人一組だが関係のない私語は禁じる。何か問題が起きればすぐに本部に連絡を。


 小さな子供に言い聞かせるように、アイセルは心配でしかない部下達に注意をする。

 祭りの期間は十日ほど。最初の方は真面目にやっているかもしれないが、慣れたら勝手な事をしでかさないかという心配をしていた。


 任務を始めろと号令を出せば、だらだら散り散りに歩いて行く。その様子を見て、アイセルは盛大なため息を吐いた。


 背後の副官を振り返り、頼んだぞと声を掛ければ、了解と言って締まりのない敬礼を返してくれた。副官の男も相変わらずだった。


 アイセルも日替わりの相方を引き連れて街に向かった。


 ◇◇◇


 イゼットは普段より人通りが多い街中をきびきびとした足取りで進んでいく。


「おい、イゼット、待てよ!」


 その後に続くのは勤続十八年というスレイマン・サヤンという騎士。


 若者の歩行速度について行けずに中年騎士は息を切らす。振り返って歩みを止めたイゼットの肩を、文句を言いながら拳で叩いた。


 街中は祭りの準備で賑わっている。露台を組み立てる商人に、興味津々とばかりに露台を覗きこむ子供たち。祭りに合わせて王都にやって来た観光客は宿屋の名前と道のりが書かれた紙切れを手に周囲をキョロキョロと見ている。


 賑やかで愉快な雰囲気となった街を前に、イゼットは眉を潜めていた。


「おい」

「……」

「なんて湿気た面をしてんだよ」

「元からこんな顔だよ」

「何言ってんだ。一年に一度の祭りだぜ? 楽しくないのか?」

「楽しくねえよ」


 祭りの季節となれば王都に店を出す商店は繁忙期となる。

 下町でパン屋を営んでいるイゼットの実家も例外ではなく。


 祭りの期間中は知り合いの伝手があって大通りに露台を出し、パンを売っていた。


 猫の手でも借りたいという忙しさの中で、イゼットも手伝いを強制されていたという苦々しいを記憶を思い出す。


 生地を捏ねる手が悲鳴を上げているが竈は待ってはくれない。手が動かないと言えば洗い物を命じられるが、鉄板や調理道具を擦り続ける手は、洗剤の成分で荒れ果てることになる。

 来る日も来る日もパンを作り続け、祭りが終わった時には満身創痍となる。だが、その翌日も通常営業をする訳で、パン屋にゆっくりと過ごす日は一日たりともなかった。


 イゼットの子供時代の祭りと言えば、一年の中で忌むべき季節でもある。

 十四歳の時に騎士隊の見習いとなり、パン地獄から解放されたのに、祭りのそわそわとした雰囲気や賑やかな空気を感じれば、子供の時に味わった焦燥感を思い出してしまうのだ。


 そんな子ども時代のことを思い出していたが、至近距離からの焦るような声にハッとなる。


「あ、おい、イゼット、見てくれ!」

「!?」


 本日の相方騎士であるスレイマンが何かを発見したようで、イゼットも指先が示した方向を見た。


 そこに居たのは、褐色の肌を持つ珍しい容姿をした女性。商人のようで、身を屈めて商品を並べていた。


「すげえ美人だ」

「……」

「見てみろよ、あの胸、布の中から零れてしまいそうだ。あの腰回りもたまらんな」


 体の線をぴったりと沿うような露出度の高い服は、複雑で繊細な刺繍が施されている。どこかの地方の民族衣装のように見えた。


 イゼットは興奮状態のスレイマンを無視して先に進む。


「お、おい!」


 走ってイゼットに追いついたスレイマンは文句を垂れる。


「少しくらい鑑賞してもいいだろう!?」

「うるせえ」

「お前さあ、女に興味無いわけ? 前に遠征に行った村でも一人だけ娼婦を買ってなかっただろう? 驚きの安さだったのに。……まあ、やって来た娘も驚きの値段相当だったが」

「……」


 朝から上品では無い話をする男を無視してイゼットは人込みの隙間を縫うように進んでいく。


「もしかして、お前、女抱いたことがないとか!?」


 無言を肯定だと受け取ったスレイマンはにやけ顔で接して来る。

 イゼットは肩に掛けたれた腕を乱暴な手つきで振り払った。


「なあ、隊長と二人きりで執務室に居るけど何も思わないわけ? まあ、行き遅れの年増だが、俺たちが手を伸ばしても届かない、お綺麗で高貴な姫君だ。顔も実年齢よりも随分と若く見える。どうにかしたいとか、そういうこと考えない?」


 イゼットは建物と建物の間の細い通路に曲がり、スレイマンを振り返った。


「おっと!」


 急に歩みを止めたイゼットにぶつかりそうになり、スレイマンは両手を上げて立ち止まる。

 話の続きをしようとすれば、それ所ではないことに気づいた。


「……」

「あ、え~っと」


 今まで見たこともないような不機嫌な表情となっているイゼットに、スレイマンはたじろいでしまう。


「あ、いや、隊長のことは冗談、だ」

「……」


 普段はやる気も実力もないように見えるイゼットだが、長い付き合いをしているスレイマンはその器量を把握していた。


 近接戦なら実力は部隊一。仮に、追いかけられたら逃げきることは不可能。


 今まで数年に渡って散々可愛がる、ではなくてからかってきたが、このように不快感を表すことはなかった。


「なんだよ、お前、堅物隊長に飼いならされてしまっ――痛ッ!!」


 足先を思いっきり踏まれたスレイマンは悲鳴を上げる。

 何をするんだよ、とは言えなかった。

 普段はぼんやりとした色彩しか放っていない赤い目が、燃えるような深い怒りを訴えていたからだ。


「あ、その、ごめん」

「……騎士の服を着ている時位は真面目に務めろ。あとは知らん」

「は、はい」


 とりあえず、これ以上怒らせたくなかったので、大人しく言う事を聞くことにした。


 ◇◇◇


 家に帰って来れば、イゼットは母親に引きとめられる。


「ごめん、イゼット、ちょっと助けて!」

「……」


 祭りに備えて従業員を増やし、パン屋も早めに閉店して朝から晩までパンを焼いているが、それでも人手不足だという。祭りの特別体制の時は終業時間もきっちり定時で終わる。なので、早めの帰宅となっていた。


 仕方がないと渋々引き受ければ、背後から「あ!」という声が聞こえた。

 振り返れば、騎士服を纏ったままのアイセルの姿があった。


「隊長?」

「もう、閉店だったか」

「ああ、祭り期間中はこんな感じで」

「左様であったか」


 がっくりと肩を落とすアイセル。


「どうして、うちのパンを?」


 アイセルはアイディンの作った指輪のおかげでここのパン以外の物も美味しく感じられるようになっている。敢えて買いに来る理由が分からないと首を傾げた。


「何故かと? 美味しいからに決まっておる」


 アイセルは語る。

 この店のパンはどこのパン職人が作ったものようも美味しいと。


「なにより、生地が良い」


 表面の皮はパリッと。中の生地はふんわり。噛めば麦本来の優しい甘さが分かる。

 人工甘味は一切使っておらず、素材の味を楽しめるパンばかりだという。


「家の職人が作るものはクリームがたいそう入っていたり、バター臭かったりと私には合わぬ」


 仕事も終わったので買いに来ればパン屋は閉店している。その事実にアイセルは気落ちしたような表情を見せていた。


 その様子を眺めていたイゼットは店の中を覗き、パンが残っていることが分かると、アイセルにその場で待つように言ってから店の中へ入る。


 店から出てきたイゼットの手には売れ残りのパンを詰めた袋があった。それを差し出す。


「これ、売れ残り」

「あ、ありがとう」


 アイセルは受け取ってから、服の中から財布を取り出して幾らか訊ねた。


「いや、お代はいい」

「だが――」

「売れ残りのパンに値段は付かない」

「……そうか」


 イゼットはアイセルに一礼をすると、騎士服の上着を脱いで店の立て看板に掛けた。

 腕を捲り、店の前に並んでいた麦の袋を持ち上げる。


「セネル副官」

「なんすか」

「これ、全て運ぶのか?」

「まあ」


 パッと見て、麦の入った大袋は二十は積まれているように見えた。


「ならば、パンの代金の代わりに手伝おう」

「!?」


 アイセルも上着を脱ぎ、イゼットに習って看板に掛ける。

 分厚い騎士服の下から女性らしい体の線が露わになった。袖を巻くって出てきたのは騎士らしからぬ、白くて細い腕。だが、そこに刻まれていた呪文にぎょっとなってイゼットは我に返る。


 アイセルの体に視線が行っていたことに気が付いたイゼットは、スレイマンのことは馬鹿に出来ないと、心の中で自らを嘲り笑っていた。


 ある部位に目を奪われているうちに、アイセルは大きな麦袋を持ち上げる。


「どこに運べばいい?」

「……」


 断っても聞きそうにないと思ったので、麦を小屋に運ぶ作業を手伝って貰うことにした。


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