十七話
それとなくパン屋に行ってから元気がなくなったアイセルを、馬車で待機をしていた侍女、ミネ・エリジュは気分転換をした方がいいと思って「たまには買い物でもしましょうよ」と誘った。
アイセルは気のない返事をする。
馬車は貴族御用達の商店街の前で止った。
下町とは違って人通りは少ない。
馬車から下りた三人は買い物をする為に散策を始める。
「あ、お嬢様、このドレス、可愛いですよ!」
店先の展示ガラスに飾ってあるのは真っ赤なドレス。黒いリボンとフリルがあしらわれた可愛らしい意匠はここ最近の流行だ。
「ドレスは、必要ない」
「勿体ないですよお! お綺麗なのに、いつも地味な服装ばかりで」
「お綺麗?」
「ええ。お嬢様は私が知っている女性の中で一番美しいです!」
「……」
ガラスに映る己の姿は、陰気な雰囲気を持つ女にしか見えない。
その時になって、どうしてこんなに落ち込んでいるのかと気づいた。
「大丈夫ですよ、お嬢さまはパン屋の娘さんにも負けていません!」
「え?」
「えって、好きなんですよね?」
「なにが?」
「パン屋のお兄さんのことが」
「!?」
使用人の少女、フェルハに指摘をされて瞠目する。
その背後でミネが喋りすぎだと口元を塞いだ。
アイセルは金槌で頭を叩かれたような衝撃を受ける。
――自分は、イゼット・セネルに好意を抱いている? と。
信じられない事であったが、そうだと分かれば自身の中で謎だと思っていた様々なことの理由も明らかになる。
パン屋で従姉の女性とイゼットが並んでいる姿を見てもやもやしていたのは、二人の仲に嫉妬をしていたからだと。
「アイセルお嬢様?」
「大丈夫ですか~?」
「!」
声を掛けられたので振り返れば、心配そうな顔をする使用人達の姿があった。
「心配は、無用」
けれど、買い物をする気分にもなれなかったので、そのまま帰宅をすることにした。
◇◇◇
夕食は兄と一緒に食べることを約束していた。
風呂に入ってから服を侍女の手を借りて纏い、化粧を施す。
「お綺麗ですわ」
「……」
全身を写す鏡を前に、アイセルはその姿をじっくり観察する。
金の毛は侍女が毎日丁寧に手入れをしてくれるので輝いている。肌だってその辺の若い娘のような張りがあるように見えた。
薄紫のドレスは地味な意匠だが、年齢を考えるとちょうどいいのか。展示ガラスの中にあった派手な深紅のドレスは花が綻び始めた季節の女性が纏うものだとアイセルは思った。
パン屋で見かけたイゼットの従姉は美しい娘だったことを思い出す。
飾り気のない、男ものの作業服を着ていたのに、はっとするような魅力があった。
結局、本当に惹かれる人はドレスや宝石で飾らなくても美しい。
いくら着飾っても好意を寄せる相手に見染められなかったら意味のないこと。
アイセルは溜め息を吐きながら食堂へ移動する。
今回は食べ物の魔力を吸い取るという指輪を付けて初めての食事。
アイディンと共に、その効果を確認する。
アイセルは注がれた食前酒を手に取り、口に含んだ。
「……」
その様子をアイディンは眺める。
酒が満たされた杯はあっという間に空となった。
二杯目を給仕が注ぐ。
アイセルは無言で飲み干した。
そんな動きが数回と続く。
「あ、あの、アイセルさん?」
「!」
「お酒は、美味しいかい?」
兄から話しかけられて、アイセルは我に返り、ちらりと視線を向ける。
「アイセルさん、大丈夫?」
「――する」
「え?」
「なんだか、ふわふわする」
「う、うん」
顔が火照っているような気がして、冷たい指先を頬に当てる。
「私は、酔っているのか?」
「そう、見えるね」
「なるほど。これが、酩酊」
「……」
アイセルは杯を掲げて給仕に酒を注ぐように命じる。
「食事は、どうする?」
「戴こう」
アイディンは執事に食事の準備をするように言う。
前菜は野菜の取り合わせ。
熱加工がされた葉野菜を口にする。
――美味しい。
アイディンの作った指輪はきちんと効果を示していた。
その事を兄に伝えれば、ほっとしたような安堵の表情を見せる。
豆を潰して家畜の乳と一緒に煮込んだスープは濃厚で滑らかな口当たり。
香辛料を振った白身魚の表面はカリっと焼かれ、中身はふっくら。
口直しの氷菓はさっぱりとした果実の味わい。
メインの肉料理はじっくり煮込まれているもの。ナイフを入れたらさっと裂ける柔らかさだ。口に含めばほろほろと解れる。
並べられたチーズは、木の実の入ったものから香草入りものものまで種類は豊富。小さく切り分けられたそれをいくつか摘んで食べる。
デザートは果物から。瑞々しい果実は口の中を潤してくれた。
クリームたっぷりの焼き菓子は、酔いが醒めてしまうほどにひたすら甘い。苦いコーヒーを飲みながら食べる。
一皿の量が少なかったので食べきることが出来た。
どれも素晴らしく美味しかったという感想を述べる。
「良かった」
「兄上の尽力のお陰よ。苦労を、掛けてしまった」
アイディンはこんなことは苦労の内に入らないと言って笑った。
「なにか、困っていることがあったら何でも言ってくれ」
「ふむ」
アイセルは顎に手を当てて、考える。
「もしかして、なにか、困っていることがあるの?」
「……」
「お兄さんに、言ってごらん?」
「ううむ」
アイセルは兄の顔をまっすぐに見て、問いかける。
――普通の女性にあって、私に足りない魅力は何か、と。
「え、どうしたの? 突然」
「いや、少々、気になって」
突然の思いもしていなかった質問に、アイディンは慌てたが、何とか十分に魅力的である旨を伝えた。
「否。私は、他の女子とは違う、ような、気がしてならない」
「そ、そんなことないよ」
「正直に申してくれ」
「え、いや、うん、まあ、あれだよね、アイセルさん」
「まどろこしい」
「……はい」
アイディンは誰か助けてくれないかと周囲の使用人達に視線を送ったが、すぐにさっと逸らされてしまった。
「喋り方が、ちょっと」
「なぬ?」
「お話の内容が、爺臭い、うちのお祖父さんみたいだな~って」
「!?」
今まで喋り方について家族に指摘をされたことがなかったが、確かに若い隊員たちが何を言っているのか分からない時があると言っていた事を思い出す。
「私は、喋り方が、古い……?」
以前、イゼットにもババア臭いと言われた事があったという記憶も掘り起こす。
言われてみればアイセルのような喋りをする娘に会ったことがなかったことにも気づいてしまった。
「兄上」
「な、なにかな?」
「私に、喋り方を教授してくれないか?」
「え?」
「私は、普通になりたい」
他の者達と同じように、食事を楽しみ、会話を楽しみ、そして、叶うならば家族とも何の障害もなく過ごしたい。心配もさせたくない。
兄に負担を掛け続けることは申し訳ないと思ったが、幸いなことに協力は苦では無いと言ってくれた。ここは甘えるしかないと、アイセルも決意を固める。
「止まっていた時間が動き出した、と言う訳かな?」
「?」
「いや、何でもない」
アイディンは言語の指導をしてくれることを承諾してくれた。もしも、良い教師が居たら紹介して欲しいと言ったが、指導は任せてくれと言う。
こうなったら、協力者である兄に隠し事は良くないと思ったので、今日発覚したことについても報告することにした。
「兄上、実を言えば――」
「はい?」
「お慕いしている人が、居ることを、報告したいと」
「は!? え、なに? お、お慕いって、もしかして、好きな、人!?」
アイディンは手にしていた杯を机の上に落してしまう。中身はすでに飲み干していたので、机の上を濡らしてしまうことはなかった。
なかなかこういった事を口にするのは気恥ずかしいと、アイセルは頬を染める。
勇気を出して言おうとすれば、兄の発言に遮られる。
「――アイセルさんの好きな人って、どこのイゼット・セネルなの!?」
「え?」
「あ」
一瞬にして、気まずい空気が、食堂に流れる。