十六話
イゼットは警戒していた。
だいたい五日に一度位の頻度で暗闇に紛れて現れる黒尽くめの変態、ではなくてアイディン・イェシルメンの存在を。
そろそろ現れる時期だと思いながら夜道を歩いていれば案の定、遭遇してしまう。
「やあ、こんばんは」
「……」
イゼットは慣れたもので、アイディンの姿を確認するとそのまま酒場へとまっすぐに向かう。
流行っている下町の酒場は酔っ払いが賑やかにしていた。
この時間帯は店員と顔を見合わせる細長い机しか空いていない。イゼットは端の席に座り、後からついて来ていたアイディンは隣に座る。
「いらっしゃい!」
注文を聞きに来た店員にイゼットは軽食と酒を頼む。アイディンも同じものと言って注文を済ませた。
店内はがやがやと誰が何を話しているかも分からないほどに騒々しい。
イゼットとアイディンが話をしても気にする者も居なければ、会話の内容も周囲の笑い声にかき消されてしまう。
開き直ったイゼットは、アイディンが現れたら酒場で話を聞くことにしている。当然、お代は相手持ちだ。相談料として破格の待遇だと思っていた。
というのも、ここ最近の用事といえばアイディンの妹、アイセルとの関係についての相談が主となっているからだ。
アイディンは困っていた。妹とどう接して良いのか分からないということに。
長年の暗躍がバレて、妹が可愛くて仕方がないという気持ちも伝わってしまった。
アイセルも本来の兄妹のように接する事が出来るようにと関係の修復に当たっていたが、当の本人であるアイディンが挙動不審になってしまってまともに会話にもならないという。
兄が家に帰らなくなればアイセルは魔術研究所へ差し入れを持ってやって来るし、食事にも誘って来る。
嬉しさが爆発をして、毎回言葉に詰まってしまうという。
そんな内容をイゼットは酒を飲みながら適当に聞き流す。
「お待たせ!」
頼んでいた酒と軽食が運ばれる。
イゼットは小さな魚に香辛料を振ってカリッとなるまで揚げたものを摘んで口に放り込み、キンと冷えた麦酒を飲んだ。
アイディンはフォークがないのかと机の上を探すが、無かったので仕方なく手づかみで揚げた小魚を摘み、尻尾から半分を口の中へ入れる。イゼットに魚は頭まで食べるものだと指摘され、渋々とした様子で残っていた半身も食べることになった。
「それで、本題なのだけれど」
一時間ほど、延々と妹の話を聞いた後でのこの発言。
今までの話は本来話そうとしていたことではなかったらしい。もう家に帰れると思っていたイゼットはがっかりしてしまう。
「実は、食材から魔力を吸収する魔道具の作成に成功して」
イゼットの実家にあった魔方陣を解析して、アイディンは魔力吸収の魔道具を作る。だが、まだ試作品であり、数回使ったら壊れてしまう代物だと言う。
「これが、実物で」
「……」
アイディンが緊張の面持ちで出して来たのは小さな箱。
その箱を、二人でしばらく無言のまま眺める。
いつまで経っても箱を開こうとしないので、イゼットは箱を雑に掴んで中身を確認する。
箱を開けば、銀の指輪が出てきた。
「これを指に嵌めて食事をすれば、食材などの微量な魔力を除けるという仕組みで」
「へえ」
研究はまだ初期段階だが、応用をすればアイセルの体内にある魔力も除外出来る効果は期待できる魔術だと説明をする。
「さらに、連動させて魔力の供給も、上手くいけば可能かもしれない」
「!」
研究が進めば半淫魔のイゼットもごく普通の生活が送れるかもしれないという。
「そんな夢の欠片のような指輪なのだけどね。まだ、アイセルが装着をして魔力が無くなるという保証はないから、普通の指輪として贈ろうかと思っていて」
実験は繰り返したが、アイセルが身につけた場合の結果は未知数なので、本人に期待をさせたくはないと語るアイディン。
「それで、お願いがあるんだけれど」
「?」
「イゼット君からアイセルに渡してくれないかって」
「はあ!?」
訳の分からない事を言うとアイディンを睨みつけた。
「だって、明日は、休みか。明後日、仕事場で会うだろう?」
「会うけど、俺が渡さなければいけない理由が分からない」
「だって、指輪を贈るとか恥ずかしいでしょう!?」
「俺だって恥ずかしいわ!!」
指輪の入った箱を互いに押しては返しを繰り返す。
「兄が妹に、何と言って指輪を贈ればいい」
「知るか!」
「常に身につけてくれと言って渡して、気持ち悪いとか言われたら私は立ち直れない!」
「だから、知るかよ!」
切羽詰まったアイディンはイゼットの手の甲を掴み、神に頼むように懇願をする。
気持ち悪いと思ったイゼットは手を放すように言ったが、なかなか放さない。
「頼むよ。なんとか、普段のお礼の気持ちとか言って渡してくれたら」
「どこの世界に、上司に労いの言葉と共に指輪を渡す部下が居るってんだ」
「新しいかもしれない!」
「新しくない!」
アイディンが何かに気が付き、イゼットの手の甲からぱっと手を放す。
少し離れた場所にいる女の店員が、こちらに熱い視線を向けていた。
「どうした?」
「なんか、勘違いされているみたいで」
「……」
指輪を前に揉める、普通の関係には見えない二人。
「最悪だ」
もうこの店には来られなくなったと、イゼットは頭を抱える。
結局指輪は持ち帰るように言った。
アイセルも子供では無いのだから、事情は正直に話せと言えば本人も納得をする。
◇◇◇
休日。
イゼットは惰眠を貪ろうと、二度目のまどろみの中へ向かおうとしていたのに、母親に扉を叩かれて妨害されてしまう。
「なんだよ、クソババア」
「お店の番を手つだってちょうだい」
「……」
伯母の腰の具合が良くないからと言われたらイゼットも従うしかない。
身支度を整えて店先へと向かう。
朝の混雑は目が回るような忙しさだった。
ガヤガヤと騒がしい中で注文を聞き、手早くパンを袋詰めにする。
そんな状況では愛想も必要なくなるのでイゼットもありがたいと思っていた。
混雑する時間が過ぎれば、客が居なくなった合間に売れ残りのパンを朝食代わりに摘む。
欠伸を噛み殺しながら、残り一時間の店番を務めていれば任務は完了だとぼんやり考えながら暇を潰す。
そうこうしていれば、客が店の中へと入って来た。
「いらっしゃ――」
「邪魔をする」
「……」
客はイゼットのよく見知った人物。
金の長い髪を外套の頭巾に隠し、お忍び姿でやってきたのは騎士隊の上司、アイセル・イェシルメンである。
前に連れていた若い娘を従えて現れた。
「昨晩は、兄が迷惑をかけたようで」
「ああ」
そんな話をするアイセルの手には、昨日の指輪が嵌められていた。
「これは、詫びの品で」
差し出された包みをイゼットは一度遠慮をするが、受け取ってくれと言うのでありがたくちょうだいすることにした。細長い箱の中身は酒だということが見た目とずっしりとした重みで分かる。
こういう時、どういう対応をしていいのか分からないイゼットは、とりあえず残っているパンを勧めることにした。
「ならば、すべて頂こう」
アイセルは売れ残っていた数個のパンを買い占める。
袋詰めをしている間、背後から声を掛けられた。
「あの、セネル副官。この後も、店番を致すのか?」
「いや、昼からは、別に」
「だったら――」
「ねえ、イゼット」
アイセルの言葉を遮るように現れたのは二十代前半位の若くて美しい娘。
「あら、お客さんが居たのね」
「いや、職場の」
「あら、そうなの?」
白い上下の服を纏ったパン職人のような姿の女性はアイセルに笑い掛ける。
「イゼットがお世話になっています」
「あ、ああ。お主は、セネル副官の姉君なのか?」
「いえ、従姉です。シェナイ・セネルと言います」
「……」
アイセルも名前を名乗ろうとしたが、イゼットがシェナイにこれ以上余計な事を言うなと喧嘩を始めてしまったので時機を逃してしまう。
パンのお代の銅貨を差し出せば、シェナイが可憐な笑顔でお礼を言いながら受け取った。
アイセルはパンを籠の中に入れて、店を出る。
一度だけパン屋を振り返れば、シェナイがイゼットに寄り添って店の奥へと帰って行く様子が見えた。
もやもやとした気持ちを引き摺りながら帰宅をすることになる。