十二話
イゼットは上司の居ない平和な執務室を満喫していた。
アイセルは魔術師団の者に呼ばれたからと言って出掛けている。
書類の山を適当に冷やかしながら、のんびりとした時間を過ごす。
しかしながら、そのような気楽な時間は長くは続かなかった。
突然叩かれる戸口にイゼットは溜め息を吐く。
隊の人間は勝手に入って来るので、外部からの訪問者だということは明確であった。
一度返事をして、どうぞと言えば、控え目な動きで扉は開かれた。
顔を覗かせたのは若い魔術師の女性。
とりあえず長椅子を勧めてから、座って貰う。
どうやらアイセルに会うために訪問をして来たようだが、あいにくの本人不在。
「どうやら入れ違いになってしまったようですね」
「……そう、でしたか」
魔術師の名はメルテム・バジェオウル。
数日前にアイセルと話がしたいと面会の約束をしていたが、場所を決めていなかったことを思い出して慌てて手紙を送ったという。
「お忙しくて気付かなかったのでしょうね」
「あ~……」
駄目騎士の寄せ集め部隊の隊長が忙しい訳がない。だが、その辺はアイセルの名誉の為に黙っておいた。
「あの、こちらで待たせて頂いても?」
「どうぞ、ご自由に」
そんな話をしている折に、突然執務部屋の扉が開かれた。
「あ、すんませ~ん、この手紙、隊長宛です。一昨日届いていたんですが、忘れていました! それじゃ!」
「……」
「……」
手紙を運んできた騎士は、イゼットが反応する前に部屋から去って行った。
念の為に差出人を見てみればメルテム・バジェオウルとしっかりと記されていた。
「こちらの、不手際があったようで」
「み、みたいですね」
この瞬間に持って来なくても、と恨むような気分になった。
メルテムと二人っきりの空間が気まずくなったイゼットは、お茶を用意する為に食堂へ向かった。
じっくりと準備に時間を掛けてから戻る。
期待を抱きながら部屋に帰って来たが、アイセルはまだ戻ってきていない。
落ち込んだ気分になりながらも、後は飲むだけとなった紅茶をカップに注ぎ入れ、メルテムへと差し出した。
「あ、すみません、ありがとうございます」
慇懃な魔術師は頭を下げてから、紅茶を口に含んでほっとしたような表情を見せていた。
「あの、騎士様は普段からこのようなことを?」
「それは、どういう意味で?」
「いえ、騎士の方にお茶の準備をして頂いたのは初めてなので」
「……」
通常、給仕などは食堂で待機している女中に言えば世話をしてくれるらしい。
そんなことなど全く知らなかったイゼットは、いつものように自分で湯を沸かしに行って、勝手に騎士隊の共用台所にある茶葉と茶器を使って紅茶を淹れていた。
これ以上、何かを指摘されたくなかったイゼットは、メルテムの視界に入らない場所で待機をする。
それから数分後に、アイセルは戻って来た。
「申し訳ありませんでした、姫様。どうやら情報の行き違いがあったようで」
「よい。気にするな」
イゼットはやっと気まずい空間から退室出来ると、扉の方へ歩いて行ったが、アイセルに引きとめられてしまった。
「セネル副官よ、ここな座られよ」
「……はい」
イゼットはアイセルの隣に座らずに、斜め後ろに立って待機の姿勢を取った。
「して、メルテム・バジェオウル、話とは?」
「あ、はい」
彼女は魔術師団の情報局に勤めていると名乗った。国の中に散り散りになっている貴重な存在である魔術師の卵を探すことも彼女らの仕事だという。
「それで、魔術師は世界的にも貴重な存在だということはご存知ですよね」
「まあ、一応、存じてはいるが」
メルテムはアイセルに魔術師団に移籍をするつもりはないかという話を持ちかけた。
「残念ながら、それは出来ぬ」
「ど、どうしてですか?」
「私は、魔術を使うよりも、剣を振るう方が性に合っている、というのは事の由にならぬか?」
「そんな!」
剣術は努力をすれば実を結ぶこともあるかもしれないが、魔術は誰しもが使える訳では無いとメルテムは主張する。
「それに、異性だらけの職場では働きにくいでしょう?」
世界規模で、魔術師は圧倒的に女性が多い。魔術師団に所属しているのも、ほとんどが女性である。
魔術師団はアイセルにとっても働きやすい場だと、必死になって移籍を促す。
「それでも、出来ぬ」
断られることは想定していなかったのか、メルテムは信じられないと言うような顔つきになっていた。
「姫さまは、勿体ない存在だと、日々、思っています」
莫大な魔力を持ちながら、それを発揮する機会のないアイセルは、国も騎士団も持て余している。
だが、その力は魔術研究の進歩を助けることも可能では、と考える者も多いという。
「それは、私の魔力を己勝手に利用したいとも聞こえる」
「いえ、そんなことは!!」
「話は終わりだ。奉公に戻れ」
「姫様!」
メルテムは簡単には引き下がらなかった。
椅子から立ち上がったかと思えば、アイセルの元へ行って傍に地面に膝をついた体勢となる。
「私は、我慢なりません! 姫様が、こんな場所でお過ごしになっているなんて」
「こんな、場所だと?」
「ご存じでしょう? ここは、騎士隊の中でも劣った人間が集まる場所だと!」
「それは違う」
はっきりと言い放った言葉に、メルテムは違わないと言葉を重ねたが、アイセルに睨まれたのでそれ以上の言葉は慎んだ。
「この世に、劣っている人間などおらぬ」
「……」
「能力の使い方を、知らぬだけよ」
アイセルは言う。
個人の能力を勝手に決め付けて、駄目だと決めつけるのは見当違いのことだと。
隊員一人一人の器量を見定めることも、隊を束ねる者の仕事のうち。自分の部下を他よりも劣っていると言うのは、いい所を見つけることが出来なかったということになり、仕事が出来ないと自ら主張しているようなものだと語った。
「そう、です、かね。私が、間違っていたのでしょうか?」
「……」
ここで話は終わりと思いきや、メルテムはただでは帰らなかった。
「最後に、姫様の力を測定させて頂けないでしょうか!?」
「なぬ?」
「早く済みますから!」
メルテム・バジェオウルは測定魔術を使う魔術師である。
測定魔術とは体内にある魔力や個人の特性などを調べるもので、主に魔術師発掘の場で使われると説明していた。
「だが、私の体に触れ……」
「すごく、簡単なものなんです! ちょっと見ていて下さいね」
魔術衣のポケットの中から専用の指輪を取り出して嵌めると、おもむろに立ち上がる。
「おい、何をすると」
アイセルは自身に触れられると思ったので警戒をしていたが、メルテムの手が届くことはなかった。
その代りに、伸ばした手は後方に向かい、他人のようにしていたイゼットの手首を掴む。
「!?」
イゼットは咄嗟のことで反応が遅れてしまった。
メルテムは指輪に刻まれた呪文を親指の腹でなぞり、術式を起動させて発光した文字を掴んだ腕に擦り付けた。
「――熱ッ!」
「大丈夫です。跡は残りませんから」
「な、なにをしている!?」
「測定魔術が危険なものでないと、姫様に――え?」
頭の中に流れ込んできた情報に、メルテムは戸惑いを覚えた。
その隙にイゼットは手を振り払って距離を取る。
「な、なん、で、これ、は?」
「どうした?」
「ひ、姫様!!」
震える手でイゼットを指さすメルテム。
アイセルはそんな魔術師に不審な目を向けていた。
「この男は、人ならざる者です!」
「お主は、何を言っている?」
「待って下さい、詳しい情報を解析して……」
イゼットは舌打ちをする。気を抜いていたばかりに自分が淫魔だという情報が流れてしまった。
「――淫魔です!」
「なんだ、それは?」
「人の精力を奪って魔力に変換する、悪魔ですよ!!」
アイセルは、一度もイゼットの方を見ない。
冷静に、メルテムの言葉を聞き入れていた。
「この男は、きっと姫様の魔力を知らない間に奪っていたのです! なにか、不思議に思う出来事などがあったでしょう?」
「セネル副官はそういう男ではない」
「たった二ヶ月の付き合いしかしていない人物を、信用なさっているのですか?」
「お主よりは、彼を理解しているつもりだ」
「姫様、相手は得体の知れぬ化け物です!」
「落ち着かぬか」
「無理です、だって、あの赤い目だって、呪いの眼ですよ、魅了の魔眼です!」
「口を慎むがよい」
「こればかりは、見て見ぬ振りなど出来ません!」
メルテムが悲痛な叫び声を上げたのと同時に、窓が突然開いて一羽の鳥が入って来る。
鳥はまっすぐにメルテムの元に向かい、何かの術を掛けて意識を失わせていた。
次にアイセルにも同様の術を掛けようとしていたが、その小さな体をイゼットは掴み取る。
「――仕事が遅いんだよ、クソが」
文句を言いつつ、鳥を胸ポケットに押し込んだ。
アイセルに視線を戻せば、青い目が静かにイゼットを見ていた。




