十一話
イゼットは備品棚を開けてから、ゲッという声を漏らす。
棚の中には執務に使う筆や墨、紙といった事務用品から、怪我をした時に使う薬用魔道品、討伐などに出かける時に携帯する食料が収められている。
ところが、備品棚の中身はほとんど空になっていた。
こういった消耗品の補充は隊の下っ端、若い隊員の担当となっている。
数日前に備品の補充を頼んだのに、この有様はとイゼットは呆れる。
怒る気にもならなかったので、欠品している物を紙に書き写してからそのまま備品保管庫へと向かう。
箱二つ分になった備品を抱えながら帰って来れば、棚の前に顔を顰めたアイセルが居た。
「あ」
「セネル副官、それは」
「……」
箱を抱えた姿を目撃され、何とも言えない気まずい雰囲気となる。
「デニス・オナト隊員に頼んであると、数日前の日報に自身がしたためてあっただろう?」
「本人に、言おうと思って忘れて」
色々と面倒なことになりそうだと思ったイゼットは、自分で泥を被ることにする。だが、相手の方が上手だった。
「奴を、何ゆえに庇う?」
「いや、本当に」
「日報を読んだ翌日に、私もデニス・オナトに頼んだぞと声を掛けた」
「左様で」
嘘を吐くのに失敗をしたイゼットは、アイセルの隣に並んで黙々と棚に備品を詰め始める。
「セネル副官よ」
「なんすか」
「そういう風に申すのは、部下の為ならぬ」
そうは言っても、イゼットは無理矢理副官を押し付けられた身で、模範的な人間として振る舞うつもりは毛頭なかった。アイセルの言う言葉も適当に受け流す。
返事をしないイゼットをアイセルは睨み続けていたが、効果がないと諦めたのか彼女自身も棚に品物を並べ始めた。
「ついて来られよ」
「……了解」
ずんずんと廊下を闊歩するアイセルの後を、イゼットはやる気のない顔でだらだらと歩きながらついて行く。
連れて来られたのは武器の手入れをする広場。
本日はデニス・オナトをはじめとする五人の騎士に、ここで剣や縦などを磨くように指示を出していたのだ。
「――お主らは、一体、何をしておる!?」
輪になって座っていた隊員達は武器を手にしていなければ、ブラシすら持っていないという、楽しく談笑をしていたことが一目で隊長にバレてしまった。
「そこへ直れ!」
アイセルはこちらに来て、膝を地面につけた体勢になって座れと命じるが、上官が怒鳴りつけても隊員たちはびくともしないという。
「耳が遠いと見える」
口の端を釣り上げたアイセルは、女性が言うのには汚い言葉で部下達を罵った。
イゼットはその様子を「あ~あ」と呟きながら眺めている。
侮辱をされた隊員達はアイセルを睨みつけながら立ち上がり、怒りをあらわにする。
「はあ? 何言ってんだよ! 家のコネと魔剣の力で上官をしているだけな癖によ!」
「聞こえておりきとか、すまぬ。独り言であった」
飄々とした態度で文句を聞き入れるアイセル。
隊員の言った「喋り方が古臭過ぎて、時々言っている事の半分も意味が分からねえ時があるんだよ! 一体いつの時代から転移して来たんだ!」という苦情には、イゼットも同意をせざるを得なかった。
「なるほど。こちらに不平不満があると、そう申すとか」
荒ぶった隊員たちを見ながら、アイセルは剣を抜く。
「されば、剣にて語ろうではないか!」
興奮した状態の騎士たちも剣を抜いて睨みつけている。それを同意と見なしたアイセルは、戦いの宣言をする。
「当然、手合わせは一対一。しかして――」
なんだか早い段階で解決しそうだな、と考えていたイゼットは欠伸を噛み殺していた。
だが、アイセルは思いがけない提案をしたのである。
「こちらが戦うは、セネル副官よ」
「はあ!?」
抗議の声を上げたのはイゼット。まさかな展開に自分の耳を疑う。
呆然とした表情をするイゼットの肩を掴み、アイセルは後方の部下に聞こえないような小さな声で話しかけた。
「なに、五人の未熟者の相手など、取るに足らぬことであろう? 無理な話でなきことよ。安心してよい。私はあやつらの実力も、お主の実力も理解しておる」
「……」
「私が勝てども、魔技巧品の力だとか、本当の実力でないと、あやつらはうるさく言うであろう?」
ここまで言われたら断ることも出来ない。イゼットは深いため息を吐きながら剣を抜いた。
「デニス・オナト。まずはお主からよ」
アイセルに指名された若い騎士が前に出て来た。
「おい」
「なんですか?」
「この騒ぎ、お前が備品補充をしてなかったせいで起きた事件だからな」
「あ、すっかり忘れていました。すみません」
「クソ野郎が」
こうなったら普段感じている鬱憤でも晴らそうかと、イゼットは本気を出すことにした。
とはいっても、半ばやけくそになって戦う訳ではない。使う力は必要最低限にさせて貰う。
デニス・オナト。
十七歳、騎士歴四年目。
一撃目を踏み込む際に上から剣を振り下ろすという悪癖がある。素早さはないが体力はある模様。
イゼットは依然アイセルが書いていた隊員の情報を思い出しながら対峙していた。
戦いの開始はアイセルが投げた硬貨が地面に着いた時。
指先で弾かれた硬貨が宙を舞い、地面へと接した瞬間にデニスは突進してくる。
イゼットは一撃目の、上からの攻撃をあっさり避け、ガラ空きとなっていた腹部を狙う。
剣が体に接触しても傷つくことはない。高位魔術が組み込まれた騎士服は刃物で切りつけることが出来ないほど頑丈だからだ。
だが、力強く叩かれたような衝撃が来れば、騎士服の下にある体は悲鳴を上げる。
渾身の一撃を受けたデニスは受けた剣の力に耐えきれずに地面に転がって行った。
騎士同士の戦いでは地面に膝を着いた方が負け。うつ伏せになって倒れているデニスの負けは誰が見ても明確なものであった。
「勝者、イゼット・セネル!」
アイセルが宣言をすれば、二人目の騎士が次は自分だとばかりに剣の切っ先をイゼットへと向けた。
結局、イゼットは五人の騎士と戦い、なんとか勝利を収めることに成功した。
◇◇◇
アイセルと共に、イゼットは執務部屋へと帰る。
さすがに若い騎士を五人も続けて相手にすれば、疲れてしまったので遠慮なく長椅子にどっかりと腰掛けてしまった。
「セネル副官、しばしこの場にて待たれよ」
「?」
部屋から出て行くという上司を視線で見送る。
数分後、アイセルはよく冷えた果実汁と濡れた手巾を手に戻って来た。
「よくやった。これは褒美ぞ」
「……どうも」
手を拭いた後に若干煤だらけとなっていた顔も拭う。
果実汁も栓を開けて口にすれば、思いのほか喉が渇いていたと自覚をした。
「それにしても、大層愉快であった」
アイセルはイゼットの座る長椅子の背に腕を置き、顔を覗き込んで来る。
「負けたら大変な事になっていた」
「だが、お主は勝ったぞ」
「……」
実力主義である騎士隊で負けることはその相手に逆らえなくなるという伝統があった。
もしも第八騎兵隊の序列の最下位である若い騎士たちに負けていたら、隊の中の秩序は大きく乱れていただろうと、イゼットは想像してぞっとした気分となった。
「私は確信に至っておった」
「なにを?」
「お主は、私が察す騎士の中で、誰よりも速い」
長時間を想定している戦闘ならばまだしも、訓練不足で実力もない騎士たち相手なら早い段階で倒すことも可能だろうとアイセルは読んでいたという。
「想定以上に叩きのめしてくれよった」
「……」
アイセルは愉快だとばかりに笑いだす。
そんな上司の姿を不思議そうに眺めていた。
「どうした?」
「いや、そんな風に笑うとは思ってもいなかったから、意外で」
「ふむ、そうであるか?」
十四年間騎士をやってきて、真面目に生きるのも馬鹿を見る時があるのではないかと、疑問に思っていたとアイセルは語る。
「だから、お主のように普段から肩の力を抜くことにした」
「……左様で」
「ご教授頂けたことを、感謝する」
「……」
屈託なく笑うアイセルからイゼットは目を逸らす。
ふと、イゼットは夕刻の焼けるような色をした日に気付き、目を細めながら静かに眺めていら、数日前に地下の魔術研究所で見かけた小鳥と目が合う。
ハッとなったイゼットは立ち上がって窓に近づき、小鳥を掴もうと手を伸ばしたが、ちちち、と鳴き声を上げながら素早く飛び去ってしまう。
不審な行動をする部下に、アイセルは問いかけをした。
「なにをしておる?」
「……」
「セネル副官」
「鳥が、嫌いで」
「?」
アイディンから監視されていることをすっかり忘れていたイゼットは、舌打ちをしてから執務椅子に乱暴な動作で座った。