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一話

 イゼット・セネルはどこにでもいるような騎士である。


 実家は母親と伯父夫婦が切り盛りするパン屋で、三代前から受け継がれる味は周辺住民に愛されており、そこそこ繁盛している模様。


 幼いころから父親の居ない家庭で苦労をして暮らして来たが、変に曲がったところもなく、かと言って堅物で生真面目かと言えばそうでもなく、性格は下町育ちの男そのもの。

 上からの評価は悪くはないが良くもないという、出世をするようなタイプではない。

 鮮血を思わせる瞳の色は吊り上がった目つきと相まって珍しかったが、この国ではほとんどの人が持つ黒髪と平凡な薄い顔立ちが印象を薄くしていた。


 今年で二十四歳となったイゼットの地位は平騎士。従騎士時代を含めて十年程国に忠誠を捧げる職に就いていたにも関わらず、目立った活躍もしなければ昇進試験などを受けなかったばかりに、同期の人々を下から見上げるばかりの現状となっている。


 イゼットが所属しているのは魔物退治を主とする、第八騎兵・王都警護小隊の露払い、すなわち、戦闘において先頭を切る者を任されていた。ちなみにこの部隊は問題児の集まりとして有名である。


 そんなイゼットは、与えられた仕事を及第点が貰える位までの働きぶりを見せるが、野心がないので言われたことしか行動を起こさないという残念な様子を露出させている。


 毎日の業務内容は王都周辺の見回りに、戦闘訓練、観測部隊からの要請を受けてからの魔物退治など多岐に渡る。


 本日は隊長直々の指導の元、隊員達の訓練が行われる。


「――隊の能力は、個人の熟練程度に左右される。一つの隊とは大きな兵器と思えばいい。どこか、一か所でも欠陥があれば、それは一瞬にして役立たずとなる」


 一列に並べられた隊員達の前で指導を執っているのは、優美な体の線を騎士服で包んだ女性、アイセル・イェシルメン。騎士となって十四年。つい先日、二十八歳となった彼女は一ヵ月前に第八騎兵・王都警護小隊の隊長を任される事となった。

 大貴族であり、魔術使いであるアイセルは、騎士団の中でも十本に指に入る実力者と言われていた。


 そんな彼女が、どうして問題児ばかり集まる第八騎兵隊の隊長を任されたかといえば、アイセル自身にも原因があったのである。


「戦闘において、最も重要とするのは心意気である。冷静さ、自制心、忍耐……」


 イゼットは隊長の熱血指導を聞き流し、欠伸を噛み殺す。


 目を付けられない程度の戦闘訓練をこなし、定時を知らせる鐘が鳴ればそそくさと帰宅をする。


「――イゼット!」


 背後から声をかけられて振り向けば、かつて共に辛い訓練生活を乗り越えた同僚の姿があった。今は小隊を纏める隊長なので、階級にも差があるが昔と変わらない態度で接してくる者の一人である。


「なんだよ」

「イゼットのくせに忙しそうにしやがって、どうせ家に帰るだけだろう?」

「悪いか」


 人懐っこい雰囲気のあるイゼットの同期、エニス・アルカンは全く疲れを感じさせない笑顔を向けていた。


「で?」

「え?」

「用事」

「ああ~、そう、今日の夕食は、イゼットの家のパンでも買って帰ろうかな~と思って」

「今の時間に行っても店にはババアしか居ねえから」

「ババ……ええっ!?」

「シェナイは今夕方に売るパンを焼いている時間だよ」

「あ、そう、なんだ」


 シェナイというのはイゼットの従姉で、一つ年上の二十五歳。近所でも評判の美人で、狙っている男も多い。今まで散々男関係の事件に巻き込まれたことがあって嫌気が差していたので、古くからの友人と言えど適当にあしらってしまう。


「じゃあな」

「おい、待て! ん、あれ?」


 軽く手を振って帰ろうとするイゼットの肩をエニスは引き止めるように掴んだ。


「まだ何か用なのか?」

「いや、お前の耳の石飾り、そんな色だったか?」

「はあ?」


 指摘されて耳に付いてある小さな石の飾りに指先で触れた。つるりとした表面には変わりなく。物心付いた頃から耳に在ったので、今まで気にしたことなどなかったが、少年時代からの友人はその異変に気が付いた。


「十数年ぶりに新しいのを買ったのか?」

「いや、同じやつだが」

「そうか? なんだか、色が薄くなっているような……」


 覗き込んで来るエニスの顔が気持ち悪かったので、イゼットは体を強く押してから大きく距離を取る。


「なあ、それ、魔技巧品なんじゃないか?」

「んなわけあるかよ」

「でも、宝飾品の色が自然に変わるなんて普通じゃねえよ」

「これが魔技巧品だったら実家はパンなんか焼いてねえだろうが」


 魔技巧品とは様々な方法で魔力が封じ込められた工芸品で、世界的に職人も少なく、たくさんの品を作れないために一つの品は大変高価で貴重なものとされている。

 日々の生活を楽にする為の魔道具は世に溢れていたが、魔技巧品は希少な物として国宝扱いをされているものも多い。


「知り合いに魔術師団の奴が居るから紹介してやろうか?」

「どういう意味だ?」

「だって、不具合でそんな風に色が変わっていたら大変だろう」


 イゼットはエニスの制止を振り切り、申し出も断ってから帰宅をする事となる。

 耳飾りのことは付けた本人、母親に聞けばいいと思ったからだ。


 自宅兼店舗となっているパン屋の前に辿り着けば、店内が戦場になっていることが分かる。この時間帯に焼きたてのパンを売る店はないので、客が殺到するのだ。

 イゼットは忙しそうにする母や伯母の姿を確認もせずに裏口から家の中へと入っていく。


 パン屋の仕事を一切手伝わない代わりに、早く帰宅をしたイゼットは食事当番を押し付けられていた。

 着替えるのも面倒なので、騎士服の上着を脱いでシャツ一枚となり、ズボンまで脱ぐ訳にもいかないので、汚れないように前掛けを腰でしっかりと結んでから料理に取り掛かる。


 まずは火入れから。

 棚の中から火の魔石を取り出し、表面に刻まれた呪文を指先で摩ってからかまどの中へと放り込む。少しだけ時間を置けば魔石から火が点り、しだいに大きくなっていく。


 鍋に水を張り、骨付きの燻製肉を入れる。一緒に香草、細かく刻んだ野菜なども入れて、しばらく煮込んだ。沸騰してスープが白濁色になったら燻製肉を取り出して、骨から身を削ぎ落し、角切りにしてから再び中へ投入。灰汁を綺麗に取り除いたら澄んだスープとなる。最後に香辛料で味を調えれば完成。

 保冷庫の中を確認すれば大きな魚があった。それを取り出して、調理台の上に置く。

 鱗を落として頭とワタを取り除いたものを五枚におろした。

 うっすら身の付いた骨は明日のスープの出汁に使うために保冷庫の中へと入れた。おろした身も全部は使わないで半分だけ使用する。

 切り分けた魚に香辛料を振りかけ、しばらく置いておく。魚を放置している間に野菜を刻んだ。皿に下ごしらえをした魚を入れて、その上から細かく刻んだ野菜を載せる。粉末状のチーズを掛けてから、酒を振った後にかまどの中で焼く。


 焼けるのを待っている間に朝から昼の間に売れ残ったパンを籠の中に積んでから食卓の上に。


 以上の品々を、帰宅後一時間ほどで完成させた。


 幼い頃から母親を助ける為に家事の手伝いをしていたので、これ位の作業はイゼットにとってはなんてことのないものだと言える。


 しばらく待てば店じまいをした母親と伯母、厨房の片づけをしていた伯父と従姉がやって来る。


「あら、美味しそうねえ」

「イゼット君、疲れているのにありがとう」


 朝から晩まで働きづめだった二人は配膳の手伝いをしながら、本日の売上を語り合っていた。


「イゼット、お帰りなさい。今日は早かったのね」

「まあな」

「おお、今日はご馳走だな」

「普段何食ってるんだよ」

「いやあ、ここ数日シェナイの料理で」


 ジロリと娘に睨まれたので、言葉を慎むイゼットの伯父。


 家族が揃えば夕食の時間となる。

 このようにイゼットが食事を作るのは週に一回あればいい位だった。勤務時間が終わってすぐに職場を飛び出せることは滅多にない。


 夕食後、皿洗いを買って出た母親の背中に向かって話しかける。


「おい、ババア」

「なによ」

「この耳飾り、いつから付けていた?」

「え?」


 振り返った母親にイゼットは耳にある、かつては深緑色だった石の飾りを指示した。


「知らないわよ?」

「なんだと?」

「はって言われても、自分で格好を付ける為につけたんでしょう?」

「な、違うし! これ、ババアが付けたんだろうが!!」

「知らないったら。なによ、それ。あまり綺麗じゃない石ねえ」


 イゼットの耳飾りを見ようと手を伸ばす母の手を、不機嫌な顔で払いのける。


 手が触れた瞬間にバチン! と音が鳴った。悲鳴を上げながら転倒をする母親。


「は? お、おい、そんなに強く叩いてないだろう!?」


 イゼットは軽く払いのける程度に腕を動かしただけだった。謎の音に首を傾げつつも、大袈裟な様子で倒れ込んだ母親に手を伸ばす。


「……うして!?」

「?」


 イゼットの母の顔色は蒼白となり、ガタガタと震えていた。


「おい、どうしたんだよ。働き過ぎておかしくなったか?」


 問いかけに対して返事をしない母親を起こしてから椅子に座らせる。


「ババア、いい加減にしろよ」

「そ、そうね」

「?」


 熱でもあるのかと思って水に濡らしたタオルを母親の頭の上に置いた。


「ありがとう」

「……」


 風呂でも沸かそうかと厨房兼食堂を出ようとした所、引きとめられてしまう。


「イゼット、待って」

「なんだよ」

「思い出したの」

「なにを?」

「あなたの、お父さんの記憶を」


 イゼットは物心ついた頃から父親の記憶がなかった。今まで疑問にも思ったこともなかったし、母親を問いただしたこともなかった。


「忘れて、いたのか?」

「忘れていた、というよりは、何か術を掛けられていたみたい」


 イゼットの耳飾りを付けたのも父親だと説明をする。


「だったら、これは魔技巧品ということになるのか?」

「さあ、分らないわ。あの人はこの世界の人ではないから」

「意味が分からねえ。俺の父親ジジイは何者なんだよ!!」

「淫魔よ」

「は?」

「悪と魔の世界の者、と言っていたわ」


 かつて、世界が魔術で発展していたいにしえの時代に、異世界人の召喚をさかんに行われていた。

 その中でも最高位の魔力を持つ魔術師だけが行える『悪と魔の世界の者』の召喚は絶大な力をもたらしたと言う。


 現代に至っては、魔術を使える者はごく僅かで、召喚術に至っては禁術の一つとされている。


「そんな話、信じるわけがないだろうが!?」

「でも、あなたの体の中には、淫魔の血が流れているのよ!」

「だから、言っている事の意味が分からない!! そもそも、インマってなんだよ!」

「人の精力を啜って魔力に変換する悪魔。……多分、その耳飾りは力を封印させるもので、石の色が透明になれば、体に流れる淫魔の血が、暴れ出すのよ」


 信じがたい話だが、イゼットの母親の表情は真剣そのもの。冗談を言っているような雰囲気でもなかった。


 イゼットは母親を見下ろしながら、ただただ言葉を失っている。


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