1、夏に大冒険が待ち受けていないことを、ぼくは知っている。
これはフィクションであり、作中のぼくは現実の筆者ではなく、モデルも存在しません。架空のぼくであり、架空の荻野です。名前だけは友人から拝借しました。許可は、とっていません。
『九月0日大冒険』、『宇宙人のいる教室』。
この二つの本は、ぼくが中学校を受験したときに塾の先生に読めと勧められたものだ。たしかそうだった。違うかもしれない。とにかく、ぼくはこの二冊から「夏休みにはドキドキするような不思議な体験が待っている」ということを学んだ。だからぼくは毎年初夏から梅雨明けにかけて歯が生え変わる時のような疼きを感じ、終業式の終わりとともに天にも昇るような気持ちになった。
そして恐らくこれはぼくだけではないと(信じたい)思うのだけれど、だいたい夏休みは何も起きない。家族で旅行に行って、母さんの実家にお墓参りに行って、宿題に追われてお終い。せいぜい始業式の日に――どこか修行を終えたようなすまし顔で――教室のドアを開ける瞬間が一番ドキドキするくらいだ。
ぼくの小中学時代の夏は、そうやって終わった。
「ねえ荻野君」
なにかに耐えかねたように、センパイが口を開いた。それほど大きな声ではなかったけれど、六畳間では聞こえなかったフリができない、そんな声量だった。ぼくはケータイから顔を上げて、目線だけで応じる。
「今年の夏もどこにも行かないつもり?」
その一言で、目線をケータイに戻す。分かってはいる。センパイだって相当な決意をもってぼくに聞いたはずだ。ぼくはセンパイに対して、同時にぼく自身に対して、真摯に向き合わねばならない。
蛍光灯の調子が悪いのか、不快な音とともにちかちかと明滅した。
「どこに行けって言うんですか」
できるだけ、苛立ちを押さえたつもりでぼくは言った。
「行って、どうするんですか」
「どうするとかじゃあないのよ。こういうのは」
慎重に言葉を選びながら、それでも少し得意げにセンパイ。
「どこか遠くに行きましょう? 旅っていうのはね、行くことも帰ることも目的そのものではないの」
衣擦れの音を立てて、立ち上がる。長い黒髪、膝下丈のどこまでも深い黒のセーラー服、鮮やかな赤いタイ。見なくても分かる。見飽きるほど見慣れた、ぼくのセンパイ。
「そこで何を得るかなのよ」
つまりセンパイも特に目的意識を見出せていないのだ。
ぼくはため息まじりに立ち上がり、キッチンの冷蔵庫から冷えた麦茶を取り出してマグカップに注いだ。カップに口をつけると、少しだけ体温が下がったような錯覚を覚える。
「仮に、ですよ」
麦茶で口が湿ったせいか、ぼくは口に出す必要もないことを口に出した。
「仮に何も得られなかったらどうするんですか。そんな自分探しみたいなこと馬鹿げてますよ。旅先で自分なんて見付かるわけがないじゃないですか。自分は、ぼくはここにいるんだから。探しに行くってのは逃げの口実なんですよ。いまここにいる自分から目を背けてるだけなんだ」
小さく甲高い音がして、蛍光灯の明滅が止んだ。静かに、明るく、白々と部屋を照らす。
センパイは何も言わない。違う。ぼくが何も考えていないのだ。鼻の奥がじんとして、思ったより大きな声を出していたことに気付いた。
「すみません、なんか」
謝罪に意味はない。あえて言うなら、テンポだ。会話にはテンポとかリズムが必要なのだ。
「荻野君」
「はい」
宣告するような、高みから見下ろすような声音に、ぼくはただ返事をする。
「今月のバイト代は」
「振込日が日曜だったんで、前倒しの前倒しで昨日振り込まれました」
「土日のシフトは」
「入ってないです。あの」
「旅に出ましょう」
会話はテンポだ。会話を崩すために必要なのもまた、テンポなのだ。
「いまのぼくの話からどうしてそうなるんですか?」
「違うの荻野君。旅に出るのは私。だからついてきて」
これは会話ではなかった。
センパイには敵わない。ぼくはそれを知っている。だから荷造りをしろだの買出しに行けだのというセンパイの言葉を聞き流して、しばらくはベッドに大の字になろうと思う。荷造りも買出しも、どうせぼくはやる。




