証左
その老人は黙ったまま一人円卓に腰掛けている。いや、クルトの変声技能を見た後だと、この者が男なのか女なのか老人であるのか見た目や聞いたか限りではないが。
「裏にいる以上、掟は忘れているまいな。さらにはここでもモメルということならば、最後の一人となろうとも、その家族、子孫を挙げても始末する。それはわかっていよう」
「こっちだって、対価を支払いに来たのさ。それなのに殺気を当てた方が悪かないかね、相応の対応だと思うが」
「とにかく、座れ……」
何も言わせぬという意思が込められた老人の静かな声が迷宮のこの一室に響く。その声に若い男は丁寧とは言えないぞんざいな感じで音を立てて椅子に腰掛ける、両手はテーブルに置いた。クルトは老人もテーブルの上に両手を置いているのを見ると自分の近くにある円卓の最後の椅子に腰掛けた。
「裏を抜けようってのに、両手を見せてくれているってのは、うれしいね」
「わしらが束になってもお前に勝てようわけは無いというのが本音ではある。それと…」
老人のローブの奥の目が光った気がした。
「あくまでもお前一人が出て行くということで、良いな?」
「あぁ。俺ひとりさ。手下もなにも、全員残してく、挨拶はすませた」
「助かる。此度の仕事でかなり消耗したからの。 ならば、掟に従い。お前の証を受け取ろう」
老人はそういうと、クルトはコクリと頷いて立ち上がり、テーブルから少し後ろに下がって、左手に直刀をスルッと抜き放つ。老人と若者はそれを黙って見ている。
クルトは右腕を肩から出して右の脇の下に直刀の刃を当てて斜め上方向に一気に引く。
スゥっと、音がするかのように滑らかに、骨と骨の間を刃が通る。ゆっくりと落ちて行く右腕、それが床に落ちた時、ようやく綺麗な断面から勢い良く鮮血が飛ぶように流れ出る。クルトは痛みをこらえるかのように若干、眉間にしわを寄せ、左手に持った直刀を元の鞘に収める。そして静かに腰を下げると床に落ちた右腕を丁寧に拾うと、長年付き合ってきた右腕に感謝するように目を閉じた。
「これが裏を抜ける証だ。釣りはいらん」
右腕をテーブルに乗せると老人の方を向いてそう言った。右腕に残った血が滑らかにテーブルを這っていく。
「あ…兄貴……」若い男は一言、そう言ったまま頭を垂らしフードの奥にある瞳から涙をテーブルに落とす。
クルトは血の気の引いた真っ白い顔をしながら、若い男に向かって紫になった唇を開く。
「まぁ、あれだよ。……お前には迷惑もかけるが、後は…頼む」クルトはそのまま踵を返すと扉の前に進んだ。
「どこへなりと行くと良い、クルト。証は受け取った…。客にはこちらから別の人間を担当につけることにする。今度はお前らが依頼主として金を落とせよ」
クルトは扉を左手で引くと振り返らずに「がめつい爺だ…。また来る、達者でな」そう言って扉をくぐった。扉の前の男たちは先ほどの気当たりでどこかに行ってしまっていた。誰もいない。肩口からちが流れるばかりのクルトは何かに押されるように、弱い足取りで、部屋から遠ざかる。
誰もいない通路に足音だけが響く
カツ… カツ… カツ… ズザ… カッ
しばらく行って誰もいないのを確認すると、立ち止まって、ゆっくりと呼吸をして、振り絞るように声を出す。
「……そろそろ…助けてくれませんか……ね」
ろうそくで照らされた通路の一角の影が膨らんで広がっていき、人の形を形作り、その炎より紅い色のローブを纏った男が立っている。
「わかってたんだ。今度うまい隠れ方教えてよ」
和維はニコリと微笑むとクルトは、より大理石のように白い顔をして呼吸も絶え絶えにうらめしく彼の顔を見るが視点がうまく合わない。その次の瞬間身体から力が抜けて行くのがわかり、自立に必要な関節が曲がっていく。
和維はその瞬間、クルトの周りに大きな手で包み込むように想う。とクルトは柔らかくその場に倒れ込むことなく、立っていた。
和維は次に肩口から流れる血を見て言った。
「腕を再生しても良いけど、どうしようか、証ってことで置いてきたんだよね。血を止めて切断面を塞いだ方が良いかな?」その問いにクルトはコクリと頷くのを確認する。
和維はその通りに想う。血管が閉じていき、収縮した筋肉を少し再生して切断面を覆い、最後に皮膚が広がって切断面を覆いかぶさった。普通の手術でも縫い後など残るだろうが、全く残ってもいない事を見て確認する。うん。大丈夫とクルトの顔を伺うがまだ顔色は戻ってこない。目の焦点は合っていない。むしろ顔色は土気色な感じもしてきた。
これはさすがにまずいと思い、和維は左目でクルトのステータスを確認した。
—状態:瀕死
和維はこめかみに手を当てたまま、ツッコむ。
「いや、これはわかってるから! これじゃなくて症状! 早く」
—……チッ、多少ノってくれても良いんじゃないですかねぇ。最近チャットもしてませんし、こっちだって、多少の笑いってものが欲しいじゃないですか…… —
—いや、死んじゃう、クルトが死んじゃう。わかったような、わからないようなだけど、僕らと違って生身だから、死んじゃうからッ! —
—……。 症状視たいときは、鑑定じゃなく診察でしょーが。さっきまで、もったいぶって、彼の背後から見てただけじゃないですか。何を今更死んじゃうからッ、ですか —
—と、とにかくありがと診察ね —
クルトの身体に手を当てて身体の異常などを『診て』いく。状態を診察するように想った。
—症状:危機的出血
和維がその文字をみて、そりゃそうかと考えると、クルトに手を当てたまま、クルトの血液が増えるように想う。遣り過ぎると大変なので、彼の顔色などを診ながらだ。すぐに唇に朱がさして、顔色も土気色から頬にも色がもどってきたところで手をかざすのを止めた。
「こりゃ、すげぇ。痛みもなくなりましたよ。 途中まで死んじまうかと思いましたが」
「ごめんごめん、傷口塞げばいいのかなとおもってたら、血が足りないのも何とかしなきゃいけないって知らなくってさ」
「旦那、ホントに何者か、興味ありますな、そのうちわかるでしょうが、こりゃまた楽しみだ」
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