咼気
白髭の老人は、隣で汗を流しながら追いつこうとしてきた油ぎった顔をした中年と王城の中を自分の執務室へ戻るべく白い廊下を、精一杯の早さで歩いていた。それもこの廊下の角を超えれば。そう思って、ようやくの思いで部屋へと入った。後に続いて入って、油がにじんだ汗を吹き出した中年が肩で息をしている。
ハルトヴィヒは女官が持ってきたコップに入った水を一息で飲み干すと、まだ、息も絶え絶えにコップを女官に手渡して、「下がれ…」と扉をあごで示した。
女官が出て行ったのを確認すると、自分の書斎机の椅子に腰掛け、まだ復帰してこない第一騎士団の団長を見る。
ヴァルデマールは書斎机に向かい合った、ソファーに腰掛けると手で汗を拭いながら白髭の老人に言った。
「まさかあそこで女ダヌキが出てくるとは思いもしなかったが……」
「アーストだろう、あれが感づいたのかもしれんわ、アノ時死んでいてくれれば我らもこんなに苦労せなんだが」
「今回も失敗ではないか、そろそろ大公閣下や他の貴族どもも…」その言葉にハルトヴィヒは白くなった眉尻を上げて振り上げ机をピシャリと叩いて遮り、小声で言った。
「! 王城で滅多な事を言うものではないわ、馬鹿者が」
ヴァルデマールはそれにハッとして何も言えなくなってしまう。白髭の老人が睨みつけながら言葉を続ける。
「いづれにしても、今回の一件をギルド連合に知られたのはまずかったわ。陛下も今は表立って動けずにおられたが、これで機会を与えてしまったようなものだろう。かなりの時間と金を使ったが…」
白髭の老人は机の上で手に力を込めて握りしめる。
「忌々しきは、日本から来たという冒険者か」
「うちの連中で捕縛してきてやろうか?」
あいた口が塞がらないような顔で白髭が揺らめき、頭をふった。
「どうやってだ。考えてから言わんか、馬鹿者が…。それはこちらで考える。お前は今、陛下に言われた事をやれ、ほとぼりがさめるのを待つしか有るまい」
「バカバカ言うなよ、義兄さん」
「王城でその呼び方をやめろ、馬鹿者。早く行け」
「…わかったよ」
ヴァルデマールは愛おしそうにゆっくりとソファーから立ち上がると、また額の汗を手でぬぐって、鈍牛のように、のそりと部屋から出て行った。
ハルトヴィヒは椅子の背もたれに寄りかかり、頭を天井に向け目を閉じた。義弟の足音が遠ざかり聞こえなくなるのを確認する。
「…それで、その冒険者の素性などはわかったのか?」
「だんな〜。ありゃ、無理だ。ちょいと盗賊の真似事してるBランクの冒険者たちをけしかけてみたが、行方知れずになっちまった」
小柄な黒装束に頭から足の先まで身を包んだ男が、いつのまにか書斎机の前にあるソファーに現れた。その声を確認するとハルトヴィヒは頭を戻し片眉を上げて、その黒装束の男を睨みつける。
「そこを何とかせい。無駄飯食わしてるわけではない。結界の破壊に証拠残しおって」
「そりゃ、相手がわりいさ、わかってんでしょ、アースト殿下にコンスタンツェの女ダヌキを向こうに、そりゃ分がわりいや」
「…クッ、次はない。今度はお前も出向きなんとかせい」
「へいへい。りょーかいですよ。っと」
黒装束の男は座ったままだったが、言い切ったと同時に消え去った。
「どいつもこいつも…」
白髭の老人は、男が居たところをずっと睨みつけていうと、深いため息をつき、次の考えに思い巡らすのだった。
すみません。今回は少し短いです。
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