捕縛
間氷期とはいえ、この頃の日本は大気圏上層の障害で秋だというのに暑い日もあった、そんな秋なのに暑い朝、眠そうな眼をこすりつつ、坂の上の児童養護施設から制服を着て出てきたのは、千石 和維、本編の主人公。179cmどちらかと言えば線は細いがなかなか締まった筋肉をもつ高校二年生。顔は十人前、クラスの同級生の女子からは1番、2番になれないが、5番くらいには入るだろう顔立ちをしている。
彼は施設の職員にバイトがあって帰りが遅くなると伝え、よしッと施設を飛びだした。
施設から高校へは徒歩で30分程度かかる、バイト代で自転車を買えば良いのだが、もったいないのでもっぱら徒歩か、軽いジョギングをしながら通うのが常だ。
施設から出て10分くらいの住宅街を入って少ししたところで、和維は周りの静かさに気がついた。施設を出てから誰ともすれ違う事がないのだ。
車も、自転車も、人も、雀や鳩ですら、動物は視界に入ってきていない。
そんな2013年10月朝、高い空のもと、光輪を持つ天使が目の前に舞い降りた。
「お迎えにあがりました。主様」
「……は?」
唐突にそれも前置きなく……。和維の目の前にスゥっと降り立った。
目の前の人物は、頭の辺りにまじないの書かれた光の輪が浮かび、両手を広げたより大きな白い翼を2枚どころではなく、左右6対、合計12枚も広げている。宝塚だろうか。顔は日本人ではなさそうであり、どちらかといえば西洋人に分類されるだろう、さながら施設の図書コーナーで読んだ聖書に中にある大天使の様相そのものだった。
ただ、彼はこれで飛べないだろうな。と内心苦笑いしつつ、夢かもわからないこの状況。
その声の主を見つめる。
夢ならば自分から、ああ、こうなんだな。と納得するか。または、受け入れてしまうはず。
目の前に現れて納得も受け入れてもいないということは現実である可能性もある。ということだろうかと考えている。
その時、その大天使はそのような思案をしている彼を見つめて、ため息をつくと、面倒そうに口を開いた。
「そのご様子ですと、記憶などの本体データの引き継ぎがなかったようにお見受けいたします。とても面倒ですが、解除権限をお預かりしておりますので、ご説明からさせていただきます」
「えっ、いや、何を……」
彼は大天使との邂逅を受け入れるすべもなく、逃げようと軸足に力を込めた、が、その瞬間に足底が地面に括り付けられたかのように動けなくなる。
「えっ……?」
そう言った時にもう無理なんだろうなとか思って足下をみてみる。
すると、彼の頭の中にすぅっと言葉が入ってくる。天使(と言った不審者が)口を開けた訳でもなく、その口は閉じたままだった。
—とりあえず、逃げる事はできませんし、助けも来ません。結界を張っています。ご安心ください。それと、この声のようなものは私の思念波です。—
大天使ミカエルは和維へ、ラファエロの絵画に出てくるような慈愛に満ちた微笑みを向る。
だが、助けがこないと言われて慌てぬ人間もいないものだと和維は思い、動くはずのない足首を手で払う仕草をしてみる。
すると、枷を失ったかのように足が動くようになり、重力によりそのまま転んでしまった。
彼はもんどり打って地面と激突し、とっさに出した肘をしたたかに打ち付けた。
「……いたい、痛いじゃないですか。夢じゃないですよ。そして、あなたは天使を名乗る新手の宗教団体の方ですか? すみませんが、間に合っています」
彼はそう言うと足が動くようになった事を目の前の人に悟られないよう力を入れて確認する、
と、次の瞬間、一気に目の前の自称天使から猛ダッシュで逃げ始めた。
その行動に一瞬戸惑いを見せたミカエルだが。
「リミッターを少し解除したら、すぐに逃げるなんて、どれだけ機を見るに敏なのですか。とりあえず、全制限解除しなくて良かったですが」
ミカエルは右手を上げ人差し指でクルリと虚空に輪を描くとそのまま彼にその輪を投げた。カウボーイが投げ縄のようにそのまま彼に引っ掛けると、右手をクイッと手前にひねる。
「いたっ」
見えない縄に捕われた彼は両手と胴体を縛られたかのように、そのまま、頭から地面に激突した。
「非常手段です。とにかく話をお聞き下さい。主様」
ミカエルは和維を見下ろす位置に瞬間移動して身体に触れ、自分の意識を押し込む。
−自分は創造神に仕える大天使ミカエル。
−全次元・全時間軸で異変が起きた事。
−それを止めるため、創造神は全ての次元と時間軸に溶け込んでいる事。
−現在異変は根本原因となっている次元・時空・惑星に封じられている事。
−根本原因の対処は分身体が行う事。
−最後に和維が全次元・時間軸上の全ての世界の創造神である事。
これらの情報を一気に流し込んだ。
ミカエルの恍惚の表情に比べて、和維は半眼になりながら身体は時折引きつけを起こしている。
十分ほど経った後、ミカエルが和維から手と見えない縄を離すと、その身体は力なく地面に横たえた。
それから、しばらくして、和維はノソッと上半身を起こしあぐらをかき、ミカエルをジッと見た。
「常人なら、発狂してる事実なんでしょうね。厨二小説読むのは好きだったけど、この為の免疫造ってたようなもんじゃないかと思いますね。……」
和維はだんだんと声が小さくなっていきボソボソと独り言を言い続けた。
……勝手に分身体がやるって言っちゃダメだろうに。そこは調和を考えなくても良いだろう。いや、分身体が限界なくやれる環境を造ったってことにしとくか……。よし。……
「ミカエル!とりあえず、僕は納得した。他に大天使とか三次元神とか、お供はいないの?」
「お供というならば、ここには私一人です」
「お前一人分で、僕を次元と時間軸移動可能なの? そもそもここが魔神が封じられた惑星? そもそも魔神が出現した世界の情報がなかったな。というか、情報隠蔽している部分があったよね」
「全てを転送することはできませんでした。プロテクトされています。主様」
「情報のプロテクトだと。大天使にプロテクトかけられるのは……。自分か。まったく。それ以外にも抜け落ちているデータがありそうだ。経験としての転送ではなく後で口述か、天使たちには意識へのダウンロードしてもらうよ」
「マスター?ですが、口述でもアクセス制御されているのではないですか?」
「インタラクティブモードで僕の権限で確認すればいいよ。時間掛かるけどね。さてと、一旦、施設に戻るよ」
和維は少し天を見つめると
「うーん。僕は周りを巻き込みたくないし、その……、仲間を集めて、その魔神を討てってこととか。いやだなぁ……」
「あなたなんて、そんな言い方、マスターらしくありません。ミカエルとおよび下さい……。(ぽっ)」
ミカエルが若干頬を染めて和維に告げるが、天使の表情など見えていない。そもそも突然、そんなネタフリされても頭が追いていない。
「えっと、み、ミかエル……?」
「はい! マスター!」
「とりあえず、えっと、神界の天使たちと自由に会話できるモノが欲しいんだけど。何かないかな」
ミカエルは豊かな胸の谷間の奥に手を突っ込むと、和維の前に、白い玉を取り出してきた。
(たたららったた〜と聞こえてきそうな右手の上げっぷりだ。)
和維はその白い玉を間近で観察をし始めた。すぐに手を取らないところが、まだミカエルを疑っているのだろう。
「ん? 玉ですか……。白いですが、ちょっと赤い筋が入ってて毛細血管? 黒い瞳? 長くて白い糸の束がうっすら赤いや。 !!!! コレは目玉じゃないですか! ナニ出してるんですか。ちょっと目が合っちゃいましたよ」
「天使たちと自由に会話できるモノということで、お出ししましたが、球体ディスプレイの目玉バージョンです」
和維がうわーっと眼を見開いて見ていると、ミカエルがさらに続ける。
「マスターはリミッターを外したとしても、所詮、生身の人間ですので、よりリアルタイムに天使たちと情報共有するモノとして、こちらをご用意いたしました。換装後、こめかみか瞼に手を置いて思い、念を入力頂ければ天使への命令も可能です。」
「でも、グロいよ。ミカエルさんグロいよ……。その神経繊維の感じも、よく見たら血が流れてるように……」
和維はあぐらをかきつつちょっとミカエルから遠ざかる感じで引いている。
ミカエルはそれを見て、
「はいはい。痛くないですよ〜」
と言って、その目玉を和維の左目の上に押しつけた。
「ちょ、ちょっと、痛い。。。いたい? 痛くない。。」
ミカエルが離れると、とっさに左目を押さえる和維だったが、普通は痛いと感じるところに、痛みが伴っていない事に違和感を持つ、ちらっとミカエルを上目遣いに見て言った。
「痛くないですね。痛くないですよ……。生身でしたよ。麻酔なしで目玉交換されましたよね。僕」
「あー、今、リミッター外したので、マスターはもはや人間とは呼べません。不死、不滅となられていますので、生きている事の証明の一つ痛覚がなくなりました」
和維は不意に頭が痛くなるような感覚を覚え、こめかみに手をやり頭を振った。
「ご心配なく、それは幻肢痛のようなものです。痛くなくなりますよ」
「違う、お前の一方的な感じに痛さを覚えているだけだよ……」
和維はミカエルの対応にその頭痛を感じながら、一旦施設へと歩きを戻すのだった。とりあえず、旅行の準備しよう…。と