脱出
シイは目を覚ました。
あたり一面焦げ臭い匂いに包まれている。
部屋はずいぶん暑かった。
「あれぇ?ここ・・・」
シイは目をこすった。
視界がなぜかダブって見えた。
クッキーの壁と、赤いレンガの壁がダブって見える。
チョコレートの家具と、木炭がダブって見える。
その木炭にくすぶる炎が見えた。
シイは恐怖で立ち上がった。
炎の方が本物だと直感でわかったのだ。
「おじさん!おじさんどこ!?」
シイは叫んだ。
二つの扉を見出して、片方を開いた。
ぶわっと熱風が入ってきて、シイは腕で顔を覆った。
奥には暖炉がある。
あれが出火した原因と思われた。
もうひとつの扉を開けて中にいた二人を見る。
いきなり切羽詰った表情で少女が飛び込んできたものだから、二人は目を丸くした。
「おじさん逃げよ!ここにいちゃだめだよ!!」
シイは男のところへ走って腕を引っ張った。
「焼かれちゃうよぉ!!」
男は心底何のことを言っているのかわからない、といった様子だった。
「なぜここが危険だとわかるんだ?どうして焼かれることになるんだ?」
そう言って首を傾ける。
「ぎゃあぁぁあ!?」
少女は老婆の姿を見て悲鳴を上げた。
何しろくたびれた白骨が動いていたのだ。
男はシイの尋常でない様子に、流石におかしいと感じた。
そこでひとつ、男は疑問を口にした。
「なぁ、ヘンゼルとグレーテルの結末を知っているか」
シイは真剣に答えた。
「魔女は、ヘンゼルを助けるためにグレーテルが仕掛けた罠に引っかかって、暖炉の中で燃えて死んじゃうの」
言い終わった瞬間、二人の視界が一変した。
炭と灰、土とレンガの壁以外は何も無い空間に変わった。
男は流石に寒気がした。
老婆の白骨を見て、シイの手を引いて走り出した。
老婆が後ろから追ってくる。
炎が渦巻いた部屋の前でたたらを踏む。
老婆は暖炉で焼け死んだのだから出口は暖炉ということになるだろう。しかしこの火力では・・・。
「大丈夫だよ。おじさんはシイが守ってあげる」
シイは男と一緒に炎の中へ飛び込んだ。
不思議と火は熱くは無かった。
暖炉を抜けて、明るい外の光を浴びた。
暖炉を抜けると原っぱで、黄色い道の続きだった。
二人はへなへなと座り込んだ。
二人とも体中すすだらけで真っ黒だった。
お互いのの顔を見て、二人は吹き出した。
とても愉快な気持ちだった。
「お前は優しいな」
不意にそんなことを言うのでシイは無意識に一滴の涙を落とした。
すすけて黒ずんだ涙が黄色い石畳に落ちた。
「夢をみたの。とても悲しい男の子を見たんよ」
そう言って男の灰色の髪をすいた。
「真っ黒な髪でねぇ」
頬にも触った。
「真っ白なお肌のねぇ」
最後にまっすぐ、くぼんだ瞳を見つめた。
「切ないぐらいきれいな男の子の夢」
当の男は、
「そうか」
とだけ言って、責めるでもなく、怒るでもなく目元を細めた。
「俺が怖くは無いか?」
シイは精一杯首を横に振った。
「それならいい」
シイはもう何も言えなかった。