願いと終わり
一行は怪我をしたライオンをいたわりながら、コスモスの花の咲き誇った草原の真ん中に光る、黄色い一本道を進んだ。
やがて視線の先に緑色の大きな建物が見えてきた。
陽光に光り輝くエメラルドでできた城である。
城門まで着くと、相変わらずの白い燕尾服を着た青年が緑色のメガネをかけて待っていた。
「ジョーカーさん!」
シイはジョーカーのところへ走り寄った。
いつものひまわりのごとく笑顔で、けれど以前より無邪気さを控えたちょっぴり大人になった顔で、シイはジョーカーを見上げた。
「お待ちしておりました。シイ様、そしてそのご一行様。中でオズがお待ちです。ご案内します」
エメラルドの巨大な門が澄んだ音を立てて開いた。
「おっと、忘れるところでした。中に入る前にこれをおかけ下さい」
「わー!メガネだぁ」
青年と同じ丸い緑のレンズが入ったメガネを渡され、シイは喜んでかけた。
珍しく男も文句を言わずメガネをかけた。
中に入ると緑色以外のものは徹底して何一つ無かった。
「ねぇね、ジョーカーさん。オズの魔法使いはやっぱり、最初は大きな顔をしていたり、きれいな女の人の姿をしていて、実はおじいさんでした。なの?」
シイの問いに青年は謎めいた笑みを浮かべた。
「シイ様には、神様に叶えてほしいお願いがあるのでしょう?」
「うん」
そしてジョーカーは男の方にも体を向けて言った。
「あなたにもね」
男は黙りこくったまま少し早歩きになった。
「そうなの?おじさん」
シイは目を丸くして言った。
「ああ」
そんな話をしているうちに庭を抜け、廊下を渡ってオズのいる玉間の扉の前に着いた。
「さ、お入り下さい」
ジョーカーに連れられて入った玉間には唯一エメラルド以外の宝石のちりばめられた玉座があった。
その玉座に座っていたオズはやはり、想像通りの老人だった。
しかし、醜い姿の男が見たものは、現実の美しい姿の自分だった。
「オズはその人それぞれの思い描いたかたちをとるのです」
ジョーカーは小声で説明した。
「お前たちの願いを聞こう」
オズが言った。
その声に反応したのは小さな少女だった。
シイはすかさず前に出てスカートの両端をつまんでお辞儀をした。
「オズの魔法使い様。シイにはその必要はありません。シイはこの世界で、願いを叶えることができました。もう思い残すことはありません」
シイのはっきりとした主張にオズは頷いた。
「して、お前は」
男は、自分自身に向かって告げた。
「こいつは・・・シイは、俺の外見ではなく、中身を見てくれた。俺は、シイのおかげで人と同じように笑うことができるようになった。それで十分だ」
男がそう言うと、オズとジョーカーはにっこり微笑んだ。
「思い残すことは無いのですね?」
とても不思議な響きだった。
二人とも、今これから起こるであろう事を想像していなかったのだ。
「はい」
二人がそう答えた瞬間、オズの姿が消えた。
やがてかかし、ブリキのきこり、ライオンと消えていき、とうとう地響きまで起こった。
どうしたことか、シイの体は本格的に透け始め、男の黒い肌には大きなひびが入った。
「もうすぐ夢が終わるんだぁ」
呆然と少女は言った。
「・・・おじさん。シイね、おじさんに言ってないことがあるの。・・・シイね、シイ・・・もうすぐ死んじゃうの」
「え・・・」
男は絶句した。
「生まれつき心臓が悪かったんだよぉ。病院にこもりっきりだったからずっと友達がほしかったんだよ」
シイの笑顔は清らかに変わる。
「お前みたいな子供が、早すぎるだろ・・・」
男はずるずると膝を折って少女と目線を合わせる。シイはえへへ、と笑った。
「ねぇ最後にお願い。おじさんのお名前を教えて?」
(じゃあなんて呼べばいーのぉ?名前教えてよ)
そう聞かれたのが、どこか遠い昔のように感じた。
「誰にも言うなよ。秘密だからな」
「うん!」
男はシイの耳に小さく囁いた。
瞬間割れた皮膚がすべり落ちる。
漆黒の髪、白い肌、切れ長の優しい目をした青年を見た少女はふわりと笑った。
「わぁ、きれい」
涙を流した青年に抱きすくめられてシイの姿は完全な光の粒子に変わった。
男は涙をぬぐいもせずに金糸の髪の青年に向き直った。
空間が割れて、エメラルドの城は跡形もないけれど
「ジョーカー」
男の姿も、大半が透けていた。
「シイと出会わせてくれて感謝すると。お前の主人に伝えろ」
「ええ」
男はきびすを返した。
「あと、死刑囚にいい思い出をプレゼントするのは少し酷だともな」
笑みを浮かべて、男も光の粒子となって消えた。