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祝福されぬ者たち ―Ungifted Heretics― 完全版  作者: 七鏡
思い通りにならないなんて諦めたくはないから
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ベレフォールの司祭


遠い昔の記憶。

懐かしく、そして最も幸せを感じることができた、子どものときの記憶。

親の手伝いの合間にだけ会う友達。彼女と俺はよくかくれんぼをして遊んでいた。


『みぃつけた!』


隠れていた私を見つけて、彼女はそう言った。

彼女はくりっとした大きな碧色の瞳に幼い私を映す。

愛らしい顔の少女は、フリルのついた白い上品な服を揺らし、私の手を掴む。


『まったく、ルルーはすごいなあ。俺、今回こそ見つかんない自身あったのに』


私はルルーと言う少女を見て言う。泥だらけで、いつも小汚い農民の子供。そんな子供の私に対して、何の偏見も持たない少女。

身分こそ違えど、私たちは幼なじみであり、大切な親友だった。


『ロイのことなら、なんだってわかるんだから』


ルルーは胸を張ってそう言った。


『だって、ロイと私は運命で結ばれているんだから!』


赤みの差した頬で、私を見て笑う少女。

気恥ずかしさを覚えながらも、その笑顔に私は見惚れた。






そして、私は夢から醒める。

私はゆっくりと寝台から起き上がると、服を着る。

質素な布の服は、華々しさこそないが、丈夫であり、また夏でも冬でも体温の調節を助けてくれる優れものだ。

私はそれに着替えると、自身の部屋を出る。

部屋の外に出ると、長い回廊がまっている。同じように、いくつもの扉があり、何人かの同じ格好の男たちが出てくる。

皆、黒い丸帽子をかぶっている。

これから、私も含めたこの寺院のものは祈りをささげに聖堂へと向かう。

毎朝の日課。修道僧の勤め。もう、かれこれ十年近く私はここにいる。

ここはレス=グラウキエ寺院。

東大陸において広く信仰される、豊穣と繁栄の神、レア女神を信仰するレアレス教の総本山である。



質素な服に身を包んだ集団の中に私も交じると、静かに首を垂れる。

私たちの前には幾分装飾のされた修道服に身を包んだ老人たちが天に向かって手を掲げている。

その中心に、深い皺を刻んだ、だがしっかりと背筋を伸ばした教皇が目を閉じて、両手を広げている。


「豊穣と繁栄の女神、レア様に、祈りを捧げよ」


静かに、だが響き渡る声で教皇は言った。

私たちは胸に片手を当てると、祈りの文句を唱える。


「「清き乙女、豊穣の神、大地の母たるレア女神に、感謝を」」


修道僧の声が、一切の乱れなく、聖堂に響く。


「これからの人族と亜人に、栄光をもたらしたまえ、レア女神よ」


「「清き乙女、母たる女神、慈しみはぐくみ、見守りたまえ」」


「光を、光を、光を」


「「光を光を光を」」


聖堂の中心高くに造られた聖母レア女神に手を合わせ、教皇は唱える。私たちも顔を上げ、聖母の顔を見る。


「祈り、願え、繁栄を、平和を」


修道僧は無言で、目を閉じ祈る。


私の脳裏に浮かぶのは、今はもう遠くに行ってしまった彼女。

神に身を奉げた私にとって、もう、彼女とかかわることは、ない。

そのことに、後悔などあるはずはないのに、

何時までも、その光景は離れることはない。

この十年間、一度として。





「ロイフォル・オーギュナント!」


朝礼を終え、教皇や枢機卿らが辞し、一般修道士も食事のために移動しようと動き出した時、私の名が呼ばれる。

私は聖堂の出口近くにいたのだが、流れに逆らい、祭壇の前まで急ぎ足で駆け寄った。

祭壇の前には、独りだけ残っていた枢機卿のエザヤ卿が腕を組んで立っていた。

豊かな髭と髪、そして巨体のせいで熊のような印象を受けるが、彼は十人いる枢機卿の一人で、退魔局の責任者である。

退魔局とは名の通り、魔を払うことを専門とした部門である。

数世紀前までは「異端審問局」と呼ばれていたが、それでは印象が悪い、と改名させられたのだ。

どうしてその責任者であるエザヤ枢機卿が私を呼んだのだろうか。

私のような一般修道僧は局に所属できないし、そもそも枢機卿と接する機会などない。

疑問に思う私はエザヤ卿に、両手を合わせて礼をする。

エザヤ卿が無用、と言う風に手を振ったので私は顔を上げる。


「オーギュナント、おぬしベレフォールの出身であったな?」


「はい、猊下」


私は肯定する。

ベレフォールとはレス=グラウキエ寺院のあるグラウキエ教国の西方の国。

規模は小さく、公王によって統治される国家である。

ベレフォール出身の僧はここには私くらいであろう。

ベレフォールはつい最近までレアレス教を受け入れていなかったからだ。

幼いころ、グラウキエから移住した両親の影響でレアレス教徒であった私は例外、というわけだ。


「ふん、ならば、貴様が適任であろう」


「猊下・・・・・・・・・?」


話の流れが理解できず、私は納得したように頷くエザヤ卿を見る。

エザヤ卿はその大きな手で私の肩を叩く。


「喜ぶと言い、オーギュナント司祭・・


エザヤ卿の言葉の意味を解するのに、数秒の時間を有した。

司祭、つまりそれは修道僧からの出世、と言うことだ。

修道僧には執り行う権限のない洗礼以外の聖務をすることができる。

また、教区と呼ばれる担当地区を受け持つこととなる。

まだ二十に満たない私が司祭になるなど、異例ともいえることである。

まして、農民出身である私が。


「猊下、どういうことですか?」


「うむ、このたびベレフォールにレアレス教会ができたことは知っていよう?」


「はい」


「総責任者として私がそこを担当するのだが、知っての通り、枢機卿はそうここを開けることはできぬ」


エザヤ卿の言いたいことを、私は理解する。

つまり、そこの実際の責任者として私に白羽の矢が立った、と言うことだろう。


「ですが、私は若すぎますし、経験もありません。もっと、経験を積まれた司祭の方に」


「それができれば、苦労はせぬ」


猊下はため息をつく。


「すでに前準備として何人かの司祭を送ったが、文化の違いに、な。レアレス教を受け入れたのとて、ここ数年のこと。実際、まだまだ民に浸透しているわけではない」


前任者たちは、そのことに苦心し、レア女神の教えを布教できない己に自信を無くしたり、と言った状況らしい。


「そこで、私ですか」


「そうだ。幸い、おぬしはほかの司教からの覚えもいい。なにより、女神の恩恵も大きい。我々もおぬしを司祭に任命することに異論はない」


「・・・・・・・・・・・わかりました」


「引き受けてくれるな?」


それは確認ではなく、命令であった。

気乗りこそしないが、私は頷く。


「ロイフォル・オーギュナント司祭、しっかりな」


そう言うと、枢機卿は聖堂の出口に歩みを進める。

私はその背中を見送ると、重い溜息をついた。





旅立ちは四日後、と言われた私はその間大忙しであった。

僧であるため、私物などは皆無であった。物欲に溺れぬように、質素な生活を送る私たちにとって私物など、服と聖典のみだからだ。

なのに忙しいのはなぜかと言うと、司祭への任命式と、私用の司祭のローブを作るためだ。また、司祭用の聖典、というものもあるらしく、それについての諸注意など、大急ぎでたたき込まれた。

あまりにも余裕のないスケジュール。

なぜ、こうなったのか、という理由について、先輩司祭は苦笑して告げた。


「いや、ベレフォールの公子の結婚式があるんだが、それに何とか間に合わせたいらしい。それで急いでいるのさ」


エザヤ枢機卿や教皇も参加するが、そこにベレフォール担当の司祭がいないのはまずい、と言うことなのだそうだ。

前任者が数週間前に倒れてから、いろいろと対策を練ったが、どうにもならず私に回ってきた、ということか。

私は苦笑すると、先輩司祭が笑う。


「まあ、心配はあまりしなくていいだろう。ロイ、お前は優秀だし、ベレフォール出身だ。大丈夫さ」


「はい」


そう言う先輩に愛想笑いをして、私は目を閉じる。

公子の結婚式。

そうなると、ベレフォールの貴族はほとんどが参加することだろう。

そう思うと、私の心は、重く沈む。





晴天の中、私を乗せた馬車は長年育った寺院を、王都を出てベレフォールへと向かう。

これから数日、馬車の中で過ごし、ベレフォールの都の教会に向かう。

私の出立した二日後に、教皇やエザヤ卿も出立するらしい。

私は一人、生まれ故郷へと戻る。


馬車の中、毛布にくるまりながら、私はあの十年前のことを思い出す。




数日後、私はベレフォールの都についていた。

ベレフォールの片田舎出身の私は都であるザクティンを訪れたことはなかった。

もっと、私のいた王都のような印象を描いていたが、グラウキエ教国ほど、街々は高くなく、公王のいる城も、グラウキエ寺院と比べると若干小さい。

小国であるベレフォールなのだから、絶対的な力を持つグラウキエと比べることの方が間違いなのだ。

とはいえ、自然が溢れている、と言うことではこちらの方が勝っている。

グラウキエは、女神を湛えている割には、自然、と言うものが少なく、野を駆けた農民の子としては若干落ち着かなかった。


教会は、グラウキエ教国風の建築様式であるが、決して華美ではないため、周囲の風景から浮くことはない。

私は教会の鍵を穴に差し込み、大きな扉を開ける。

教会は小さいが、奥にはちゃんとレア女神の像もある。レアレス教の教会としての基本は大丈夫なようだ。

私は膝をつき、レア女神に祈りを掲げる。


「女神よ、光を」


司祭としての責務。何人もの司祭が投げ出さざるを得なかったことをする。

女神に祈りをささげるのも、仕方がないだろう。

腰を上げた私は、ふと教会の扉に立つ人影を認めた。


「ロイ・・・・・・・・・・?」


私の名を呼ぶ声。

私はその声に誘われるように、顔を上げた。

そして、驚愕に目を見開いた。


「やっぱり、ロイ・・・・・・・・・・・・・!」


そう言い、駆け寄ってきた若い女性は、私の胸の中に飛び込み、噛みしめるように顔をうずめる。


「逢いたかったよ、ロイ・・・・・・・・・・・・」


そう言い、抱きしめてくる彼女。

私の手は、空に止まったままであった。


何故、彼女がここにいる?


私は、抱きしめ帰すこともできないまま、ただただ突っ立っていた。


「! っ、離れてくれ、ルルー!」


私は、正気に戻ると、そう叫ぶ。

来て早々、司祭が女と抱き合っているなどと言う醜聞、あってはならない。

そう判断した私は、彼女を突き放す。

彼女は、ルルーは、その大きな瞳で私を見る。


「あ、ご、ごめんなさい、ロイ」


私の言葉にルルーは謝罪の言葉をつぶやき、一歩後ろに下がる。


「私はレアレス教の司祭だ、それに、私たちはもうあの頃とは違うんだ」


奥歯を噛みしめながら言った言葉に、彼女は伏し目がちに頷くと、笑う。


「そうだね、ロイ。ごめん」


でも、と彼女は続けた。


「また会えてうれしいよ」


そう言うと、彼女は踵を返し、去っていった。

彼女の大きな目に、一筋の涙が流れていた、ように見えた。

彼女の最期の言葉を聞いた私は、静かに立っていた。

そして、彼女が遠くまで行った後、言った。


「私は会いたくは、なかった・・・・・・・・・・・・っ」


胸の中のもやもやに、私はもがくように手を添えた。

胸の痛みは、治まりはしなかった。




その後、数日間、彼女と会うことはなかった。

私は教会の準備と、公子の結婚式の準備に、と大忙しであった。

仕事をしている間は、彼女とのことを考える暇もなく、楽であった。

そのうちに、公子の結婚式が近づき、当日になった。


教皇直々の結婚式、ということで、私自身は脇役に徹するわけだが、


(なるほど、これは前任者にはつらいだろう)


そう私は認識した。

国の貴族もレアレス教は十分な知識がないようで、作法や祈りの文句はちぐはぐである。

幼いころからそんな風景を見慣れている私にはどうってことはないが、エザヤ卿を除く司祭は苦虫をつぶした顔で見ている。豪胆なエザヤ卿ほど、ほかの司祭はおおらかではないようだ。

レアレス教こそ絶対、そんな風に育った司祭ならば当然だろう。

私はそう言う意味で私はさぞ都合がよかったのだろう、と改めて思った。

私はそれとは別に、そわそわしていた。

この場にはベレフォール中の貴族が来ている。

妻や子供を連れている。

小国とはいえ、貴族がいないわけではない。

豪華な服に身を包んだ貴族や婦人たち。

そんな中に、彼女もいるのだろう、と思うと気が気ではない。


「オーギュナント司祭」


そんな風に、静かに座り瞑想するように座っていた私に声をかける者がいた。

私は顔を上げる。


「お初に御目にかかります、司祭様。私はモンフォート伯爵です」


そう言い、礼をする伯爵。

五十代ほどの男爵の額は髪が後退しているようだ。金色の髪も、くすんでいる。

紳士的な笑みを浮かべているのだろうが、どこか盗賊じみた外見のため、怪しい笑みにしか見えない。

私はモンフォートの名を聞くと、ずきり、と胸が痛んだ。


「ご丁寧にありがとうございます、伯爵閣下」


私は伯爵に深く頭を下げる。

司祭が絶対的な力を持つグラウキエとは違う。

貴族にはとりあえず、頭を深く下げなければならない。不敬だ、と剣を振り下ろす。そんな野蛮な貴族もベレフォールに入る。

無論、そんなことをすれば教国は黙ってはいない。とはいえ、私も命は惜しい。


「お顔を上げてください、司祭様」


伯爵はそう言い私を制するが、その顔の奥には優越感がありありと浮かんでいる。


「実は、妻がぜひ、あなたに挨拶をしたいと申しておりまして」


そして、後ろに目くばせをする。

彼の後ろからゆっくりと、小柄な桃色のドレスを着た女性が近づいてくる。

私は平静を装って、彼女と伯爵を見る。


「司祭様とは幼なじみであった、と聞いております。私の妻のルルベリアーです」


「お久しぶりでございます、オーギュナント司祭様」


ドレスの端を持って礼をするルルー。美しいルージュを引いた彼女は、昨日とは違い、大人の、貴族の夫人然としていた。

私は軽く頭を下げると、口を開く。


「お久しぶりでございます、モンフォート伯爵夫人」


この間とは違い、他人行事なあいさつ。あたかも久しぶりに会うように挨拶する。

そして、何の感情も浮かばぬ彼女の視線と交差する。

モンフォート伯爵は彼女の肩を抱くと、私に言った。


「司祭様、私たちの子が生まれたら、その時は洗礼をお願いしてよろしいでしょうか?」


「お子様がお腹に?」


私の問いに、モンフォート伯爵は笑う。


「恥ずかしながらまだです」


「そうですか、一日も早く、お子が生まれることを祈っております」


「ありがとうございます。司祭様も、困ったことがあったら行ってください。力になりますぞ」


がはは、と笑い、伯爵は歩いていく。

振り向くことなく、ルルーは隣を歩いている。

その背中を見る私は、自身の目に熱がこもっていないだろうな、と思った。


落ち着け、ロイ。

もう、彼女も俺も、昔とは違うんだ。

俺は司祭で、彼女は伯爵夫人。

分かたれた道は、もう交わらない。


胸の痛みをこらえて、私は窓から覗く空を見る。


(女神よ。これは私への試練なのでしょうか?)


未だ、完全に身を奉げることができない私への試練なのか。

私は心の中でつぶやくと、私を呼ぶエザヤ枢機卿の方へと向かっていった。

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