霧の山脈
霧の山脈は中央大陸の北東に広がる大山脈である。
人は寄り付かず、広大で過酷な環境が広がる。
気候は非常に不安定であり、熱帯地帯や豪雪地帯と、場所によりちぐはぐである。
生態系も狂っており、そこに棲む魔物の種類も多種多様である。
そして、最も厄介なのは、迷い込んだものを永遠に山脈に引き留めるという、魔の霧。
立ち込める霧のせいで自分のいる場所すらよくわからない。
人間たちが不用意に近づかないのは、当然と思える。
朝方であるはずなのに、立ち込める暗雲と山の雰囲気はまるで夜のようであり、木々の間から覗く闇が永遠の夜へと誘っている感覚さえ覚える。
夢の中のタムズと彼女は、ここのどこかで逢瀬を交わし、そして、この山の手前でともに死んだ。
山々を進むごとに、タムズの中にはあの夢の内容が鮮明に思い出された。
神の手駒と反逆者。愛し合う二人はそれゆえにその前の人生でともに添い遂げられなかった。
タムズは思い出す。狂おしいほどのこの激情を。
彼女を見つける。たとえ、彼女が忘れていようとも、必ず。あの別れより、何千年が経ったことか。何千年、彼女を探し、そのたびに死と再生を繰り返したことか。
やっと見つけた、思い出した。そうだ、彼女はここのどこかにいる。いつかのあの場所で待っているのだ。
「タムズ、大丈夫か?」
浮かれているような印象さえ受けるタムズにネフェリエは心配して問う。タムズは熱のこもった瞳で霧の中に人影を探しながら、ネフェリエに応える。
「ええ、大丈夫です。・・・・・・大丈夫です」
大きな鎌をその手に持ちながら、彼は足を進める。
木々を切り倒し襲いくるオオカマキリを倒し、二人は息をつく。
山に入ってかれこれ数日。一向に手掛かりも何もない。世界最高峰の山、オリュン山もこの霧では見ることすらかなわない。この霧そのものが結界のようなものであり、視覚を妨害し、そのほかのあらゆる感覚を麻痺させている、とネフェリエはみていた。
タムズとネフェリエは魔物どもに手間は取っていたが、両者ともに少し疲労している程度であり、怪我もなければ異常もなかった。
この日も探索に終わるかと思った夜、ついにタムズは一つの物を見つける。
暗い谷の底。月の光を吸収するユグラドの木々は淡く、不気味に輝く。
闇の力が充満する其処は、タムズにとって心地いい場所であった。魂がこの場所を憶えている。ここはかつて、彼が、ゲシュトゥがいた場所。
谷を進むと、その先に一つの像があった。錆びつき、鈍い輝きを放つそれは巨大な狼の像であった。
「知っている。ここは・・・・・・」
かつて、彼が死んだ場所。月日がたち、森に囲まれ、山の一部に取り込まれた場所。
そして、彼女が死んだ場所。
タムズが呆然とつぶやくのを、ネフェリエは後ろで見ている。その時、彼女はタムズの横から何か強い波動を感じ、タムズに叫びながらその身体を押し倒す。タムズのいた場所に、鋭い斬撃が放たれ、彼の後ろの木々が切り倒された。
轟音。身を起こしたタムズは、相手を見る。
月の光に輝く、漆黒の体毛。鋭い牙、憎悪の瞳。狼の顔の魔神は、タムズの持つ鎌と全く同じものを構え、彼を殺さんとばかりに見ている。
「ついにここまで来たか・・・・・・・・・」
「魔神ダウク・・・・・・・」
タムズは魔神の名を呟き、鎌をその手に構えた。ネフェリエも槍を構え、その魔神を見る。
長躯の魔神は少年を見て言った。
「ここまで来た、ということは思い出しているということか」
「ああ、俺が誰だったのか、まだはっきりとは思いだせないけれどな」
そう言い、タムズは自身の胸に手を置いた。
「俺の名はゲシュトゥ。英雄、反逆者、将軍と呼ばれた男だった」
そう言い、タムズは顔を上げる。その目は不思議と落ち着いていた。
「・・・・・・お前は、誰だ?」
タムズはそう呟いた。目の前の魔神。この魔神の存在は、おかしかった。自分の名を騙る魔神がいるのだから、当然であろう。
ゲシュトゥとはもちろん、タムズの前世の名である。だが、その名は正確なものではない。
ゲシュトゥとは勝利と再生の神の名前である。12人いる神の一人である。ゲシュトゥのいた部族では代々、最も部に優れ、信頼に値する者にその名が与えられていた。ゲシュトゥとして知られているが、彼の本名はまた別に存在する。
彼の本名とは、ダウクと言った。闇黒を意味するその名を知る者は、一族の者以外は知りようがないものである。あのアテンシャですら、彼の真名は知りえなかった。
にも関わらず、この魔神はよりにもよってその名前で現れた。
ゲシュトゥの象徴である黒い狼の姿。二つで一組である大鎌の片割れを持ち、まるでタムズを邪魔するように前に立ちはだかる。これが偶然であるはずはない。
「もう一度聞く。お前は誰だ」
タムズの声に、狼は笑った。
「俺は貴様だ、ゲシュトゥ」
ダウクはそう答え、その目を爛々と輝かせている。
「いや、正確には『だった』、と答えるべきか」
「だった、だと?」
「そうだ。かつて将軍ゲシュトゥは死の淵に瀕していた。愛する女とともに死ぬ運命であり、その運命を激しく呪った。いずれ再びめぐり合えることを祈った彼と彼女は転生の流れの中、長い時を生き続けた。二人の魂が一時消滅した後、彼らの死体はどうなったであろうか。アテンシャの死体は神により回収された。死した肉体は、新たな命、新たな天使の肉体に作り替えられるからだ。では、ゲシュトゥの死体はどうなったか?」
ダウクはそう言い、自身の胸を叩いた。
タムズはまさか、と魔神を見る。
「その通りだ、ゲシュトゥの魂を持つ者よ。私こそがその肉体だ。肉体と魂は分かたれた。以降8000年もの間、貴様と私は別々の存在として何度も邂逅し、そのたびに貴様は死んできた」
「なぜ、俺を殺す?」
「簡単なこと。我がアテンシャのため。そして、私自身のため。貴様は不必要なのだよ、ゲシュトゥ」
肉体と魂はもはや別の存在に変質しており、それが再び一つのものになるわけではない。けれど、二つは本質的には同じものである。二つが求めるものはほぼ同じものである。
すなわち、愛する女性である。
しかし、愛する女性は一人。ならば、答えはわかっている。
ダウクはゲシュトゥの魂を持つものを、記憶が完全に元通りになり、そして彼女に会う前に殺してきた。
魂を持つものが鮮明な夢を見始め、その力を取り戻し始めるころになれば、ダウクにも存在が感知できるようになる。そうやって彼は8000年もの長きにわたってそれを続けた。
その心の中にあるのは焦りである。
彼女が常に惹かれるのは、肉体ではなく、その魂であった。故に、どれほどダウクが献身しようとも彼女がこちらを見ることはない。
それでも別にかまわない。だが、自分自身に奪われることだけは我慢できなかった。
ぽっと出の、ただ魂だけを持つ者に、常に傍で守り続けていた自分が負ける。そんな理不尽なことがあっていいはずはない。
だから、魔神は彼の魂を持つものを殺す。強い怨念のようなそれと、彼女への思い。それが彼を強力な魔神にまで変質させた。
「彼女を、アテンシャを貴様は知っているのか?」
「ああ、私が彼女を守り続けてきた。何度もの転生を経てこの世に生まれ出る彼女を見守り続けてきた。貴様とは違い、気の遠くなる時を共に過ごしてきた。今までも、これからも。だから、貴様には消えてもらう」
タムズはその言葉に武器を構える。強い視線で魔神を見る目に、怯えも恐怖も何もない。
タムズから少し離れた場所で話を聞いていたネフェリエもその槍を魔神に向ける。
「いまいち話は分からないが、ようはお前を倒せばいい、ってことだろう」
エルフの女戦士をちら、とみてダウクは呟く。
「ふん。たとえ二人であろうとも、魔神である我に敵うはずはない。ましてや、本来の力の半分も出せぬ貴様ではな」
「だとしても、押し通すまでだ」
肉体と魂はにらみ合うと、地を蹴り互いに向かってその大鎌を振りかざした。宙でその刃が大きな音とともに交わり、火花を散らす。
霧と雲が空から消え、満月の光が二人を照らす。
「殺してやるぞ、ゲシュトゥ・・・・・・・・!!」
「そうは、させない・・・・・・ダウク!!」
斬撃が闇を切り払い、木々を切り倒す。
月の光が魔神を祝福するかのごとく降り注ぐ。月の魔力は魔神を強化する。
魔神ダウクのスキル『月光』は、月の光によって自身を強化するものである。その強化具合は月の光の多さに比例して強くなる。僅かな光でさえも魔神を強化するには十分なのに、それが満月なのだからその力は計り知れない。状況次第では他の一桁魔神を圧倒することもできる、とさえ言われている。
そんなダウクの攻撃にタムズとネフェリエは十分な反撃を与えることができない。
一撃一撃が重く、俊敏であり、体力の衰えも見せない。二対一もこの状況では全くハンデにはならなかった。
ネフェリエが魔術で月の光を遮ろうともしたが、魔神はその強力な魔力で彼女の魔術を打ち破った。
「くそ、化け物め!」
ネフェリエとて、戦争や魔神との戦いは経験しているが、これほどの相手と戦ったことはない。
タムズとの息の合った連携も、魔神の前には意味がなかった。
「ッ!!」
タムズが放った斬撃を、見もせずに受け止めるダウク。まるで動きが読まれているかのようであった。それも当然と言ったら当然である。かつて同じ肉体に宿っていた魂の行動など、魔神には手に取るようにわかることであるからだ。なまじ過去の記憶に頼って戦わなければならないタムズでは、相手が悪い。
攻撃のパターンを知られていないネフェリエの攻撃も、大した致命傷は与えられてはいない。そもそも、月の力でその肉体は頑強になっており、倒せるとは思えないものであった。
意気の上がってきた二人を見て、魔神は嗤う。
「どうした、貴様ら。これで終わりか」
圧倒的な力の前に、二人はぜいぜいと息を吐き出し、地に片膝をついた。
圧倒的な速さ、力、強さ。魔神のホームグラウンドということもあり、全てが魔神に味方をしている。
「はぁはぁ、タムズ、行けるか・・・・・・・・・・・・」
「・・・・・・・・・・正直、きついですね。けど、ここであきらめたくはない・・・・・・・・・・」
タムズの言葉にネフェリエは頷く。その思いは、彼女には痛いほどに理解できるからだ。
「ならば、付き合おう」
「ありがとうございます」
二人は憑かれた肉体に鞭を打ち、再び駆けだした。無駄だ、と魔神は笑い、その希望を断ち切るためにその大鎌を振るう。




