探究者と孤高の王
玉座に坐して、彼は自身の王国を眺めた。
かつて、円卓に集った総勢百人の騎士と魔術師たち。彼らが王である自分に頭を垂れ、その向こうには輝かしき彼の王国があった。
長きにわたる大陸の戦乱を終わらせ、統一した。その途中で、数度の戦いもあったが、王国は繁栄を極めた。
多くの騎士を従え、理想を掲げた彼は円卓騎士団の長として有名を馳せたものであった。
美しき妃と、多くの子宝に囲まれ、民が豊かに暮らせる平和な国を作り上げよう。
そう親友と亡き父、臣下、そして国民に彼は誓った。
人々は王を認め、王に従った。カリスマのある、若き指導者を、彼の理想を誰もが共感し、ついてきた。
南のラカークン大陸のセウス王の国は、世界でも名だたる国として知られた。
多くの哲学者たちは、この国こそ、国のあるべき姿ともてはやした。
偉大な王と、彼の作り上げた王国は、どれほどの時が経とうとも、平和であり、存続し続けるであろう。
当時の人々は、王も含めて皆そう思っていただろう。
しかし、千年王国、とまで言われたセウス王の国は、わずか数十年もせずに崩壊の兆しを見せた。
王は確かに、偉大な人物であった。
およそ悪という言葉を知らず、人の善意を信じ、理想に準じた人物であった。
高潔で、常に自身の限界に挑み続けた。
だが、王は知らなかった。
人と言うものはあまりにも流動的で、彼ほどに高潔でもなければ、己を律することのできるものばかりではないことを。
そして、王は純粋であり過ぎたがゆえに、疑うことを知らなかったのだ。
セウス王の最大の親友であるバルバドス・ブラッケスト。彼はあろうことかセウス王の妻であるセラーナと姦通していた。うすうすセウス王もそれを感じてはいたが、見て見ぬふりをしてきた。
親友と妻がまさか、そのようなことを、と彼は思っていたのだ。
だが、セウス王の臣下であり、息子であるエオス卿がバルドバラスとセラーナの背信の証拠を持ち出した。
これにより、セウス王はバルドバラスを問い詰めねばならなくなった。追い詰められたバルドバラスは、セラーナ王妃を連れ都を脱出。自身に従う将兵を集め、反乱を起こしたのだった。
反乱を治めるため、セウス王は円卓騎士団を招集した。だが、固い結束で結ばれた騎士団も、この出来事で二つに割れていた。
セウス王とバルドバラスの戦いは続いた。
セウス王の軍はバルドバラスを追い詰め、彼の居城ダクエス城を残すのみとなった。
しかし、そこでエオス卿がこれに乗じて都を占拠し、王を名乗ったのだ。
エオスの裏切りに、セウスは親友と妻を目前にしながら引き返さざるを得なくなった。
エオス率いる軍とセウス王の戦闘は、王国の機能を麻痺させた。その間にバルドバラスの精力が盛り返し、王国は三つに分裂した。
セウス王は都トローアで息子エオスとその背後にいた魔術師を倒したが、その時に受けた呪いのせいで、自由が利かなかった。
バルドバラス軍はついにセウス王率いる軍を打ち破った。
セウス王のスキルは「不死身の肉体」。老衰以外のあらゆる死因を無効化する、というものであった。首が落とされぬ限り、その身体は無限に再生を続ける。呪いを受けていたものの、セウス王の力はいまだ健在であった。
「バルドバラス、セリーヌ・・・・・・・・・・・・・・」
玉座の前で膝をついた砂色の髪の青年。傷こそないが、その服や鎧はボロボロであり、自分と他者の血で汚れている。宝剣セアリエルはバルドバラスの魔剣により叩き折られており、もはやセウス王には武器も仲間もなかった。
黒髪の騎士、バルドバラスはオレンジ色の髪の美女であり、セウスの妻であるセラーナの肩を抱きながら、セウスを見た。
「惨めだな、セウス」
「・・・・・・・・・・・」
王妃は何も言わずにセウスを見た。
セウスはその時悟った。セリーヌの目には、自分への愛がもうない、ということを。なるほど、自分は王であるために、夫であり、父であることを怠ったのか、と。
エオスの顔が浮かぶ。認められたかった、ただそれだけだった。そう言った息子を、手にかけた。
これが、報いなのか。
「バルドバラス、殺すならば殺せ。いかに私と言えども、首を断てば死ぬだろう」
「そうだな、セウス。だが、それでは俺は満足できない」
バルドバラスはそう言い、笑った。ひどく邪悪な笑み。一体いつから、親友はこうなってしまったのだろうか。それを思い出せない。
「お前の愛したこのトローアとともに、お前は無限の時を生きるんだ。その呪いとともに。そして、永遠の孤独と苦しみの中、俺に対し赦しを請い続けろ」
バルドバラスはそう言うと、セリーヌに頷いた。セリーヌが手を前に差し伸べると、地面から黒い、まるで鉄の如き硬さの蔦が伸び、それがセウスの四肢を貫いた。
痛みにセウスは叫び声を上げそうになるが、我慢した。強い眼差しでセウスは二人を見る。
「これから、どうするつもりだ?」
「さぁな。とりあえず、この国を破壊する。もとより、夢物語だったんだよ、セウス」
まあ、安心しろよ、と彼は嗤う。
「セリーヌは俺が大事にしてやるからよぉ」
「バルドバラス、セリーヌ・・・・・・・・・・・!!」
ズルズルと蔦に引きずられるセウス王。体中に絶えず、毒が注入される。麻痺し、意識は朦朧としてくる。
バルドバラスはトローアの都を出ると、その周囲一帯に強力な魔力結界を展開した。
およそ普通の生物が生存できないほどの、闇の魔力が立ち込める。トローアに棲む何千、何万の民はその魔力に抵抗する術はなく、死亡した。
セウス王を失った王国は、崩壊した。各地で彼の後継者を名乗る者たちが現れ、再びラカークン大陸は戦乱の時代に突入したのだ。
それを、荒廃した王都から、ただ呆然とセウス王は見ているしかなかった。
やがて、活力を失くした大地は埋もれ、海に侵食され、絶海の孤島になった。
人で溢れかえったトローアの都。伝説の千年宮に独り、彼は残された。
セウス王は何千もの昼と夜を迎えたかすら知らない。ただ、途方もない時間だけが過ぎたことを知っている。おそらく、千年以上の時を。
正気を失いかけながらも、どうにか保った。未だにその身は呪いが蝕み、自由はきかない。茨はセウスを縛り付け、結界はこの都ごと彼を閉じ込めていた。
その後、バルドバラスやセリーヌ、それに彼の子どもたちや円卓騎士の生き残りがどうなったかは、結局わからなかった。
ただ、一つだけわかることがある。それは、未だ世界は変わらなかった。セウス王の目指した世界は訪れていない。いまだに人は戦いを止めない。迫害、戦争。人の業はとどまることを知らない。
哀しみが哀しみを生み出し、憎しみは負の連鎖を招く。
孤高の王は、在りし日の王国と輝かしき過去の記憶を思い出しながら、地獄のような年月をひたすらに過ごした。
そんな彼に転機が訪れたのは、彼が封印されて優に2500年近くの年月を経たときであった。
パキン、と音がした。
セウス王は眠りから覚め、王宮の窓から外を見た。灰色の雲は変わらないが、闇の結界が消えていた。
「・・・・・・・・・・・・・・」
セウスはすべてを見通す玉座から孤島に足を踏み入れたものの存在を認めた。
セウスが封印されてから、ここを訪れたものは皆無だった。結界と、悪しきトローアの結末を知り、ここに来たいと思うものはいないであろうから。
だが、どうでもいい。セウスはそう思った。
彼が願うのは、己の死であった。悠久の孤独。それは、彼から王であった頃のすべてを奪った。
理想に敗れた王は、ただただ死を望んでいた。
死を望む王のもとに、来訪者が姿を現したのはそれから半日後のことであった。
セウス王の城の中に入って来た来訪者を見て、セウス王はその目を信じられないとばかりに見開いた。
来訪者は少女であった。まだ十代後半であろう。あどけなさと、大人へと変わりつつある、微妙なバランスを備える、美しい少女。だが、驚くべき点はそこではなかった。その容姿は極めて彼女に似ていたのだ。
オレンジ色の長い髪の毛、瑞々しい唇。強い意志を秘めたその瞳。そう、自身の妻にして、去っていったセリーヌに瓜二つであったのだ。
セウスは驚きにしばし、言葉を失っていたが、気を落ち着かせ、玉座に入ってきた娘を見た。
「娘よ、何用でここに来た?」
セウスの問いに、娘はビクリ、と反応した。茨に拘束されたセウスが、まさか喋るとは思っていなかったようだ。何か彫刻か何かだと思っていたのだろうな、とセウスは思う。
「あなたは、誰?」
少女のか細い声が響いた。鈴を鳴らすような、可憐な声である、とセウスは感じた。
「我が名はセウス。トローアの王である」
「トローアの、千年王・・・・・・・?あの、・・・・・・・・・?」
娘は驚きの目でセウスを見る。
無理もないだろう。セウス王はとっくの昔に死んでいる思われていたであろうから。
「『沈黙』のセウス」
娘はそう言い、セウスを見る。どこか、熱を帯びているその瞳を、セウスは引き込まれるように覗いた。
「娘よ、今一度問う。何用でここに来たか?」
娘はは、と我に返りセウスを見た。娘はたたずまいを正し、セウスに挨拶をした。
「私の名前はセラーナ・シャイアと申します、古の王」
「セラーナ・・・・・・・・・・・・・・」
どこか名前の響きも彼女に似ている。セウスはそう思った。
「よい名だな」
「ありがとうございます、陛下」
セラーナはそう言い、セウスを見る。緊張した様子の少女だったが結審した様子で、ス、とその口が開かれる。
「私がここに来たのは、夢を見たからです」
「ほう、夢、か」
セウスは続きを促した。少女は頷き、口を再び開く。
「私には、父母がいませんでした。捨てられたか、それとも両親は魔物に襲われたか、それはわかりません。ですが私は森の魔女によって育てられました。そこで私は魔術を学びました」
しかし、その魔女もつい先日老衰で死亡したという。唯一の家族である魔女の死に、少女は涙を流した。だが、魔女は死の間際、こういったという。
『ラカークンのはるか南にある、孤島。かつて大いなる王が治めたトローアの都。その地に向かいなさい。お前が自身が何者であるかを知りたいのならば』
少女は魔女の言葉に従い、絶海の孤島を目指した。
自分が何者なのか。それは少女がずっと考えてきたことであった。魔女曰く、彼女はこのような場所でくすぶっていていい存在ではない、と言うのだ。
おのれを知り、世界を知りなさい。それが、魔女の遺言であり、願いであった。
セラーナはそのために、ここを訪れた。
「だが、どうやって結界を解いた?たとえ、おぬしが熟練した魔術師であろうとも、封印は強固なものだ」
セウスの言葉に、確かにその通りです、と娘は返す。
「私のスキルによるものです、陛下」
あらゆる契約を打ち破る、という少女のスキル。魔術的な封印も結界も、彼女のスキルにかかれば、どうと言うものではないらしい。一見地味な能力であるが、魔術師にとってはこれ以上厄介な能力はあるまい。彼女にかかれば、どのような魔術も怖れる必要はないのだから。
「なるほどな。それで娘よ、望む真実は見つけたのか?」
「いいえ、王よ」
少女は首を振る。
「まだ、何も」
しかし、少女は諦めてはいなかった。彼女はセウスを捉えて離さなかった。
「セウス王、あなたはそこで何を望むのですか?」
「望むこと、か。それは死だ」
セウスは重々しい声で言った。
「何千、何万の夜と朝を過ごしたことか。孤独と絶望の淵で、どれほど狂いそうになったことか。愛する者たちは皆いなくなった。王妃も友も、息子もな」
まるで、永遠に続く地獄のように、それは永かった。一筋の光さえなかった。
そんなセウスだったが、その目に絶望も何もなかった。
「だが、そんな私の前におぬしが現れた。そう、おぬしの顔には、とても懐かしい気がする。遠い昔、どこかで見たような気さえする」
「・・・・・・・・・・・あなたが、私の真実を知るための鍵、なのですね」
セラーナは静かに呟いた。セウスはそれはわからない、と言った。
それでも、少女は構わなかった。セウス王と出会ったのは、偶然ではない、と確信めいた何かを彼女は抱いていた。凛々しい顔のセウス王に、セラーナは心惹かれた。
セウス王がセラーナに感じているように、少女もまたセウスに何か強い感情を感じていたのだ。
セラーナはゆっくりと、玉座の前に進む。茨に拘束され、自由のない王のもとへ。
砂色の髪の青年は、少女の挙動を見守った。少女の手が、セウスの頬を撫でた。
「偉大な王よ、すぐに開放して差し上げます」
そう言うと、少女のオレンジ色の髪が、ぽう、と発光したように見えた。
その瞬間、セウスを何千年も縛り続けた茨が、燃えた。セウスの四肢を貫き、毒を送り続けてきた呪いが。魔女の解き放った、あの呪いとともに消えたのだ。
セウスは床に倒れ込んだ。それをセラーナが助け起こす。
傷はすぐに再生した。セウス王は数秒で立ち上がれるようになった。
「ああ、自分の足で立つことを、どれほど夢見たことか」
「あなたはもう、何者にも縛られてはいません、王」
「王、か。すべてを失い、国を結果として滅ぼした私に、王たり得る資格などなかろう」
セウスはそう言い、娘を見る。まるで、騎士がそうするように床に片膝をつき、少女の手を取った。
「我が名はセウス。我は汝の剣となり、ともに歩むことを誓おう」
どうしてそう言ったのかは、セウス自身もよくはわからなかった。
けれど、こうしなければいけないような気がした。
少女は驚きながらも、セウスの手にもう片方の手を重ねた。
「あなたのことはなんとお呼びすれば?」
「セウス、と。この身はもはや王でもなく、ただの騎士。セラーナ・シャイア。あなたの探求の旅に、私も同行しよう」
少女はその言葉を受け入れた。
騎士セウスは静かに首を垂れた。
孤高の騎士と魔女はこうして出会った。
後に古代魔術の研究者として名を馳せる魔女セラーナと、生涯彼女のそばを離れなかった魔神セウス。
二人の物語は、ここから始まるのだった。