革命者
「クソ」
鏡の前で一人の少年が頬にできた痣を撫でる。
先ほど客に殴られたそれは青痣になってしまっている。
クソッタレ。こっちは体が資本だっていうのに。
そう心の中でぼやき、少年は自分の顔を見る。
顔は痩せすぎてはいるが、まぁまぁ見ることができると自分でも思っている。もっとも、それがよかったかと言うとそうでもない。
もう少し不細工に生まれていたら、こんなクソッタレな仕事をせずに済んだだろうし。だが、そうであったならば、穢い路地裏でのたれ死ぬか、鉱山奴隷としてこき使われるか。どちらにせよ、クソッタレだ。
まあ、結局のところ、彼に選択の自由なんてなかったのだ。
物心ついた時には、彼にはたくさんの客がいて、自由なんてなかった。
名前すらろくにつけられてはいない。戦災孤児であった彼は、たまたまこの街の裏路地にいたらしく、それをこの店の主に拾われたのだ。
彼は便宜上ナンバー7と呼ばれていた。
それは、店の売り上げの上位七位だからだ。
彼の職場は娼館である。娼館だから当然娼婦もいるが、なにも女だけではない。つまり、男娼もいる、と言うことだ。
男娼の中でトップの売り上げを誇るのが、彼ナンバー7なのだ。
緑色の髪、金色の瞳、と稀有な容貌である彼は、貴族の女性、または少年趣味の中年男から絶大な支持を受けている。女に飽きた貴族様は、男にすら手を出すのだ。
故に、男娼でありながら娼館でも上位に入っているのだ。
とはいえ、彼は現状に満足をしてはいない。
化粧の濃いおばさんや、脂ぎった禿げ男、それに娼館の主や年上の娼婦たち。これらに気を遣わなくてはならないし、なにより自由がないのだから。
別に、好き勝手生きれるとは思っていない。それでもまったく自由のない現状を脱したかった。
とはいえ、奴隷は所有物であり、自由なんてないのだ。稀に、多額の金で解放に至る者もいるが、本当にまれで、期待できようはずもない。
「はぁ」
ナンバー7はため息をつく。
「おい、客だぞ、ナンバー7」
「ああ、わかっているよ」
部屋の外から呼ぶ声に、彼は答えると、苦り切った顔で立ち上がる。
部屋の外には少年の悲鳴が響き渡る。
中での行為は何が行われているのかは、大体の想像はつく。
とはいえ、部屋の外の人間たちは別段気にしてはいない。
娼婦や男娼には、どんなことをされても拒むことはできない。死んだとしても、その分の賠償を店に払って終わり。
だから多少の無茶は許される。
それに、悲鳴を上げていると言っても、それが本物とは限らない。客の望むものを演出する。それが、娼館にいる者の役目。演技も大事なものなのだ。
ナンバー7はその点では大変な役者である。
彼は他人の考えを「読む」ことができる。だから相手の望むことがわかる。
そうやって相手に合わせ、機嫌を取ることで、彼は今まで生き残ってきた。
いつか自由になるその日を夢見て。
しかし、そんなナンバー7を悲劇が襲った。
その日は、なぜか彼の能力である読心ができなかった。それもそのはずであった。魔力を介して心を読む彼であったが、その日の相手は魔女であったから、それは不可能だった。
ゼレフェン王国の支配者である魔女であった。
魔女はこの娼館で一番魔力の高いものを要求した。老若男女問わず、ということであった。
店はナンバー7を女に紹介した。すると、女は満足した様子であった。
どういった行為を強制されるのか、と身構えるナンバー7。今日は心が読めないために、心の準備も何もできないからだ。
そんな少年を見て、魔女は笑った。
「身構えず、リラックスしなさい。すぐに終わるから」
そう言って、裸の少年に近づく、ローブ姿の魔女。年齢不詳の、魔性の美女に少年はギクリとした。
そして、次の瞬間訪れた、言いようもない痛みに、少年は絶叫した。
「あ、が・・・・・・・・・・・・・」
ウフフ、と笑う魔女は、少年の血に染まった股間を見て愉悦を漏らす。
若い魔力は最高ね、と呟いた女は少年の生殖器を握りつぶし、その血肉を体内に取り込んだ。
少年は信じられない、と言う目で魔女を見る。
少年は股間の酷い痛みとショックで気を失った。
ナンバー7、と呼ばれた少年は、その日死んだ。いい商品であったナンバー7だが、男娼としての役目も務められなくなれば、ただのゴミでしかなかった。障害を持つ者は、淘汰されるのみだ。
娼館は惜しげもなく少年を捨てた。物好きな貴族にでも売りさばこうかとも思ったが、後で文句でもいわれても堪らないし、需要もなかろうと、スラム街に捨てた。
雨の中を、少年を運んだ馬車はすごすごと引き上げていく。
気を失った少年は、周りにいた浮浪者に身に着けていた服をはぎ取られ、荒くれたちに犯された。
悪夢にうなされた。
目覚めた時、少年は自分がすべてを失ったことを悟った。
あの、読心の力も、男としての誇りも、何もかも。
だが、同時に得たものがあった。
自由と、そして復讐心。
雨の降り続く中で、暗闇に身を寄せて少年は虚空を睨む。
いつか、俺をこんな目に遭わせたこの街の連中に復讐してやろう。あの魔女に、復讐をしてやろう。
そして、思い知らせてやろう。
世界を壊してやるんだ。こんな世界、滅ぼしてしまえ。
数年後。
商業の町である内陸の自治都市バーティマ。
自治委員会と呼ばれる十二人の委員からなる、一国ほどの規模の街であり、西大陸では名の知れた都市だ。
北のイヴリス大陸、南のラカークン大陸、中央大陸と各地ともパイプがあるこの街は、西大陸の王侯貴族のリゾート地としても知られる。
それゆえ、華やかに見えるが、実際は犯罪が横行し、その陰では多くの貧民や奴隷がいる。
多くのモノの不幸の上に、一部の者たちが鎮座する。
別に、それはいい。
緑色の長髪の人物は闇の中から、人ごみを見つめながら考える。
この世は弱肉強食。だから仕方がない。だが。
「もう、あんたらが強者の時代は終わった」
この街を支配してきた商人たちは、あまりに長くこの街に君臨し、好き勝手し続けた。
揚句、多くの者の生活を踏みにじってきた。自治都市を治める立場にありながら、犯罪に手を染め、自分だけが潤ってきた。
そして何より、自分からすべてを奪った。
到底許せることではない。
思い出すのは、この数年の出来事。
ギリ、と噛んだ唇から一筋の血が流れる。
「まあいい。じっくりと殺してやる。自治委員会も何もかも、な」
そうしたら、次は彼の男としての機能を破壊した魔女をこの手で殺してやる。
かつて、ナンバー7と呼ばれた、女性のような青年はそう誓うと、闇の中に消えた。
男娼でなくなった彼は、その後貧民に混じって生きてきた。
しかし、彼はそうそう簡単に生活などできるわけもない。
金を得るために盗みをしようにも、能力のない、ただの子どもにできることはたかが知れた。
それに、性欲のはけ口として捕まったこともあり、決して楽ではなかった。
生命の危機も何度も経験した。
いつか彼は憎しみを覚え、殺しを覚え、人を利用することを覚えた。
心を読む力はなくとも、彼には巧みに人を操るだけの演技と知恵があった。
また、生殖器をなくしたためか、身体のホルモンバランスが崩れたのか、彼の外見はとても中世的なものになっていた。同時に魔力のバランスも崩れていた。
胸はないものの、腰つきやパッと見では女に見えないこともない。整った顔や長髪もあって、相手は勝手に勘違いしてくれる。
声帯とて、時と場合によっては使い分けることで、見事に相手を騙すことができた。
馬鹿な貴族の妻や、妻に内緒で娼婦を買っていた商人などを見事にたぶらかし、情報を得て、破滅に陥れる。犯罪の街では、いくらでも学ぶことができた。欺く方法も何もかも。
そして、それによって得た金で彼は生きてきた。
だが、そんなことで満足はしない。
金など、手段にすぎない。最終的な彼の目標は、復讐だ。
娼館の主をはじめとした自治委員会。そして魔女。
腐ったこの街を、あるべき姿に。世界を、あるべき姿に。
それが彼の野望であり、夢であった。
錆びれた裏町の孤児院。
そこが彼の居住地である。
「あ、ゼルだ!」
そう言い駆け寄ってくる子供たちを見て、引きつっていた彼の顔は花が開いたかのように笑みを浮かべる。
「ああ、ただいまみんな」
微笑みかける青年に、我先に、と駆けより抱き着く子供たち。苦笑しながら子供たちをあやす彼に、一人の少女が近づいてくる。
「お帰りなさい、ゼルさん」
「ただいま、エレナ」
修道女の服に身を包んだ少女にゼルは言う。
ここは裏町にある孤児院であり、聖教会の管轄下にある教会、であった。
しかし、教会の神父は数年前に他界し、以後、ここは管理されていない。
こうしてゼルたちは住みついているが、ここには無断で棲みついているのだ。
ゼルやエレナ、それに子供たちは前の神父に寄って拾われた子供たちであり、ほかに行き場のない者ばかり。
ゼルが改革を望むのは、子どもたちの生活をどうにかしたい、という思いもあってのことだった。全てから見放されたゼルを必要とし、愛してくれた少女と子供たち。同じく世界に見放された彼らを守るため、ゼルは頑張ってきた。
「ごめん、皆、エレナと話があるんだ」
そう言い子どもを引き離すゼル。
ちぇ、あとで遊んでよねー、などと言い、子どもたちは教会の奥に引っ込む。
「・・・・・・・・・すまないな、エレナ」
稼いだ金を渡し、ゼルが言うと、エレナは頭を振る。
「いいえ、ゼル。子供たちと遊ぶことは好きですから、私」
そう言い微笑むエレナを見て、ゼルはほっとする。
エレナと出会ったのは、もうずいぶんと昔であるが、出会った時から、この彼女の笑顔に自分はどれほど救われてきたことか。ゼルはそんな少女を愛していた。
自然にその手はエレナの頭を撫でる。
「ゼル!子ども扱いしないでくださいよ!」
「子どもさ、俺より年下だしな。だけど、俺はお前のこと、頼りにしてるんだぜ」
「もう、ゼルったら」
「さ、ガキどもが待ってる。行こうか」
エレナたちがいるから、俺は獣にならないで済む。
この街の腐った連中と同じレベルに落ちないで済む。
(待っていろ、すぐに、すぐに)
エレナと子供たちを見て、彼は瞳を輝かせた。
皆が寝静まった頃、ゼルは孤児院を抜け出す。
孤児院にはゼル以外にも数人、腕っ節のある男子がいる。彼らに任せていれば、エレナも子供たちも問題はない。金で雇った傭兵もいる。傭兵は十分な金を払えば裏切らない、とゼルは知っていた。
その間にゼルは、街を改革するための動きを進める。
下準備は終わった。あとは、実行するだけ。
長い時間をかけ、コネを作り、自治委員会の家族にも取り入っている。
委員の妻や娘、息子や親戚。そう言ったものに取り入った。
そして、現状に不満を持つ者たちにも声をかけてきた。
商業国家パラメスとの間に書簡でのやり取りを重ね、協力も取り付けた。パラメスとしても、現バーティマは目の上のたんこぶ。ゼルならば御せると考えて、協力を了承した。ゼルはそうやすやすとパラメスの駒になるつもりはさらさらなかったが。
後は、委員を処理し、上級階層の害虫を排斥する。それだけで、この街のバランスは変わる。
富裕層どもに、一泡吹かせ、そのまま地獄に行ってもらおう。
ゼルはほくそ笑むと、懐かしき娼館を見上げる。
悪趣味なまでに豪華絢爛なそこを、心底嫌なものを見る目で見上げる。
忌まわしき過去。
男娼として過ごした記憶が蘇る。
だが、それも今日で終わりだ。
この手で終わらせる。これからは、新しい時代が始まるのだ。
ゼルは静かに門に向かう。そんなゼルを止めようと門番たちが近寄る。
「おい、お前、とま・・・・・・・・・」
そう言った門番の一人の喉を、服の袖の中に隠したナイフで切り裂く。
喉笛から血が噴き出し、ゼルともう一人の門番を血に染める。
怯え、叫ぼうとしたもう一人の首を両手で押さえると、ゼルは力を加える。ぼきり、と音がして、あらぬ方向に首が向く。目を見開き、男は絶命した。
ゼルは何の感慨もなく、死体を乗り越えると、娼館の中に入っていく。
娼館の中にいた娼婦や下働きたちは、突如として入ってきた血まみれのゼルを見てパニックを起こす。
中には客として着ていた商人や貴族もいた。彼らもパニックに陥り、「なんだ、あれは!?」と叫んでいる。
警備のものが奔ってくるが、それをゼルは目視した瞬間、袖の下のナイフを飛ばす。
正確に放たれたナイフは警備兵の脳天に突き刺さる。
どこからか魔力を感知したゼルは、近くのソファの影に魔術師がいることを確認する。大方、どこかの貴族のボンボンだろう。魔術学校に行き、初級程度の魔術を治めた程度の。
だが、それしきの腕ではゼルを殺すことなどできない。
ゼルはソファに近づき、魔術師の前に立つ。
「ひぃ!?」
「よお、何の真似?」
「わ、私はこの街の自治委員のラーソンの息子の・・・・・・・・・・」
そう言った男は、振り上げられたゼルの手に気づかず、彼のナイフの餌食になった。
「そうか、なら死ね」
「きゃあああああああああああああああああああああ」
娼婦たちが叫ぶ。
逃げ惑う女たちをしり目に、ゼルは娼館の主の部屋に向かう。その途中で見かけた貴族や商人を殺しながら。
「待て、金なら払う!だから命は・・・・・・・・・」
命乞いをする男を蹴り飛ばすと、ゼルは扉を叩き割り、娼館の主の部屋に入る。
「!!」
娼館の主はなんだ、と言う顔でこちらを見る。裸の女を下に組み敷く男は、侵入者を見つけると怒鳴る。
「誰だ貴様!衛兵、衛兵はおらんか!」
叫び散らす男の下から女はするりと出る。
ゼルはその女をよく見る。その女は男娼時代、やたら彼をこき使い、さげすんできた女であった。
その場から逃げ出そうと窓に近づく女に、ナイフを飛ばす。
裸の女の背中にナイフが突き刺さる。窓から乗り出した女の身体が崩れ落ちた。
「な、なんということを・・・・・・・・・・!貴様!」
お気に入りの商品を失くした主は憤怒の形相で睨む。
「衛兵が来たら、貴様なんぞ・・・・・・・・・・・・」
「衛兵は来ない」
「なにぃ?」
「俺が始末した」
そう言ったゼルは、大股で裸の、醜い男に近づくと、強い力で男の首を掴む。
「むがぁっ!」
ぶくぶくと泡を吐き、でっぷりと超えた腹を突き出す男。
「お前、俺を覚えていないか?」
「知らん、誰が貴様など・・・・・・・・・・・・」
そう言った主だが、ふと、ゼルの目を見ると、顔が青ざめていく。流れる緑色の髪、そして金色の瞳。
「まさか、ナンバー7か?」
「ああ、そうだよ。お久しぶりだな、クソッタレ野郎」
そう言い、寝台に力強くたたきつけたゼル。弾んだ男の身体が床に落ちる。
ぶふう、と鼻血を吹き出し、あたふたする男。そんな男を足で蹴り上げる。
「おぅふ!」
「覚えているか、お前が俺を拾った日のことを」
ゼルは男の神を掴み、頭を持ち上げて言う。
「食事と家をやる。そう言い、手を差しのばしたお前を、俺は信じた・・・・・・馬鹿なことにな。その夜、お前は俺を抱いた。そして、すぐさま客に売った、そうだよなぁ、変態野郎?」
力強く、ゼルは男の頬を打つ。憎しみを込めて。
「そうやってお前に尽くした俺を、お前はどうした?魔女に不能にされた俺を、お前はどうした?」
「・・・・・・・・・・」
黙る男の頬を、ゼルは打つ。
「どうしたぁ!!?」
「・・・・・・捨てた」
「そうだ、捨てた!ぼろ雑巾のように!そのあと、俺がどうなったか知っているか!」
「・・・・・・・・・・」
「知って、いるのか、聞いて、いるんだ!!」
区切りを入れるごとに一発頬を打つ。男は血を撒き散らし、涙を流してゼルを見ていった。
「知らん、知らん!」
「だろうなあ!」
そう言い、髪を掴み、床に頭を叩きつける。
歯が折れる音がする。男の顔から血が噴き出る。鼻は折れていた。
「服ははぎとられた!犯された!騙され、奪われ、殺されかけ!それでも、俺は生きてきた!どんな思いで生きて来たと思う!?」
そう言い、何度も何度も男の顔を叩きつける。
骨が砕け、肉が飛び散る。血が頬を濡らし、憎しみが顔をゆがませるが、ゼルがそれに気づきはしない。
懇願する男の声を聞き入れず、ただただ復讐に駆られた青年は男の頭を床に叩きつける。
もはや、何も言えず、ただただ呻く男を、叩きつける。血が飛び散り、顔の原型がなくなるまで。
やがて、彼は冷静さを取り戻すが、その頃には、男はすでに息絶えていた。
「くそ」
冷静さをなくした、とゼルは反省する。
もっと、怨みはあった。それをすべて贖わせるまで、殺すつもりはなかった。
だが、こうなっては仕方あるまい。
これほどの騒ぎがあっても、自治部隊が出ないところを見ると、どうやらゼルの計画通りに事は進んでいるようだ。
各地で自治委員や金持ちに対する襲撃が発生しているのだろう。
窓の外では夜だというのみ明るい。恐らく火が上がっているのだろう。富裕層のいる方角だ。
事前にいくつかの種を仕込んでいた。そのうちのすべてとはいかなくとも、どうやら種は無事、役目を果たしたらしい。
徐々に、外の喧騒が大きくなっているのをゼルは感じた。
ゼルはほくそ笑むと、男の身体を蹴り上げ、部屋を後にする。
さぁ、革命を始めよう。
ゼルは自身の後ろに立つ、黒髪黒目の青年を見て静かに頷いた。