メウリエダ
小アーシアを抜け、クィル一行は隣国大アーシアへと入った。
大アーシアを抜ければ、あとは魔族国へと続く森林地帯が続く。クィルたちの目的地はだいぶ近くなってきている。
とはいえ、問題は山ほどあった。まず一つは、それまで二人旅であり、比較的どうとでもなったのだが、二人の同行者、それもクィルやエノラよりも幼い子供である。移動のペースも落とさざるを得なかった。加えて子供の頭には魔族の証である角が生えており、それを隠すことは至難の業であった。
食糧調達の面でも苦労しており、また未だに彼らを追う追手の存在が気がかりであった。
魔族の双子の少女の名は、メウリエダとギーゼラと言う。双子は外見上はそっくりであるが、一か所だけ違う個所がある。紅い燃えるような髪に、透き通った空色の瞳がメウリエダ。一方のギーゼラは髪の色こそ同じだが、瞳の色は深緑の色である。
最初のうちは母親と別れたことでろくに口もきけなかったが、今はぽつぽつとだが、言葉も発し、打ち解けてきている様子であった。
「こちらの道は大きな街がある。そちらは避けよう。また、無用なトラブルに巻き込まれかねないからね」
エノラがそう言い、子どもたちの手を引く。クィルもその意見には賛成であった。
自分たちの身だけならば、危険も犯せるが今は子供たちがいる。二人は彼女たちの母親から託されたのだ。
「メウもギーも、もう少しだけ頑張ろうね」
「うん」
「わかった」
二人の子どもはエノラの言葉にうなずく。基礎体力は同年代の人間族の子どもよりは高いとはいえ、まだまだ子供であり、疲労の色が見えた。つい先日も少しばかり無理をさせたのか、高熱を出してしまっていた。気を付けなければ、と二人が改めて思ったのは言うまでもないことだった。
陽が沈み、四人は野宿の準備を始めた。
流石に子供たちを吹きさらしに眠らせるわけにはいかない、とエノラは簡易テントを行商人から買っていた。エノラとクィルが入るには狭いが、子どもたち二人が入る程度の大きさではある。まだ身体は害虫などへの耐性ができていない。注意を払いすぎる、ということはないはずである。
エノラとクィルはテントの前で寝転がっている。夜空に輝く星々を見ながら、二人は学院にいた日々を思い出す。
「思えば、もう一か月近く経つんだな」
クィルが言うと、エノラがそうだね、と返す。
「あまりいい思い出はなかったけれど、懐かしいなぁ」
エノラはそう言い、クィルを見る。クィルは「いい思い出なんかあったか?」とエノラを見る。本気で言っているのかい、とエノラが返す。
まさか、とクィルは言う。
エノラと会えたこと。それがクィルにとって、あの学院にいた最高の出来事であろう。それはおそらく、エノラにとっても。
「お姉ちゃん」
そんな二人のもとに、双子の片割れが現れる。緑色の瞳のアリアンロッドだ。
「どうしたの、ギー?」
エノラが優しく問いかけると、ギーゼラはん、と言い、エノラの手を引く。
「少し、行ってくるわね」
そう言い、アリアンロッドを連れて向こうの藪の方に行くエノラにクィルは手を振った。
もうすぐ魔族国だ、と思うとクィルは微妙な思いに駆られる。
『親父たちみたいに何もかも諦めて生きるだけなんて御免だ』
そう言い、クィルは外の世界に出た。なのに、こうしてまた戻ることになるとは思わなかった。
父も、大人たちも、何もかも諦めているようにクィルの目には映った。繁栄を諦め、ただ生き残るためだけに森の奥にいる。そんなこと、哀しすぎる。
それに、母と父が目指した世界。それを叶えたかった。
反抗期、というものも相まって、クィルは魔族国を飛び出した。
そうして結局、何もできずに戻るだけ。自分はなんてバカだったんだろう、と星空を見て呟く。
けれど、おかげで理解者を見つけることができた。焦る必要はない。彼女と分かり合えたように、きっと。
「あ」
星が、流れる。流れ星に願い事を言うと、願いがかなう、とはよく言われている。子供のころ、他の子どもたちがそれを信じる中、一人クィルはそれを馬鹿にしていたものだ。
けれど、今はそうではなかった。
「俺たちの次の世代には、せめて安らぎが訪れますように」
そのためならば、いくらでも血反吐を吐き、泥にまみれる覚悟はあった。
大アーシアの、人目に付きずらい山の中を歩き、魔族国を目指す一行。
疲れが見えてきて、クィルもエノラも子供たちに気を使う余裕が徐々になくなってきた。
ギーゼラはまだ元気であったが、メウリエダはギーゼラと比べても憔悴していた。
クィルたちは栄養を取らせるために、いろいろと食事も与えたが、メウリエダの体調が回復することはなかった。
もしかしたら、何かの病気になったのでは、と二人は思った。だが、二人には医術の知識はなかった。魔術も、体内の活性化が精々できる程度で、病の根本を直せるほどではなかった。
医者に見せることもできず、そのうち歩けなくなったメウリエダを二人で後退しながらおぶる。心配そうに姉を見るギーゼラであったが、そんな彼女の願いもむなしく、メウリエダの症状は悪化するばかりであった。
このままでは死んでしまう。そう思った二人は、危険を冒して人里に生き、医者に掛け合ったがあ、医者はメウリエダの姿を見た瞬間、一向に消えるように叫んだ。頭を下げ、地に摺り寄せても、医者は聞く耳を持たなかった。
それが何件も続き、ついに諦めるほかなくなった。
望みは魔族国にいる医者であるが、そこにたどり着くまでにあとどれくらいの日数が必要か。それを考えると、幼いメウリエダが生き残れるとは到底思えなかった。
「大丈夫だ、きっと助かる。だから、がんばれ、メウ」
二人でメウリエダを励ます。最初のうちは返事をしていたメウリエダも、今はぐったりとしており、双子の妹の言葉にさえ、頷き返す気力がなかった。
幼い、小さな体からは徐々に魔力が失われ、生命の力は弱まっていた。
大アーシア国境境。その眼前には、魔族国を覆い尽くす、大森林が広がっている。
ベスティア大森林。ラカークン大陸中部に広がる森林であり、独自の生態系を持ち、危険な動植物の宝庫である。魔族国が独立した状態で今日存在しているのは、この地形的な特徴もあってのことである。
古代文明の遺跡が各地に存在し、その全容はいまだ掴めていない。
クィルら魔族だけが知る魔族国への入り口を辿ったとしても、残り数日は優にかかる。
「見えるか、メウリエダ。この先に魔族国がある。楽園があるんだ・・・・・・・・・・・・」
クィルの言葉に、薄らと目を開けたメウリエダはその蒼穹の瞳で見る。その目は、焦点が合っていない。彼女の目には、光だけが映っていた。
「お兄ちゃん、お姉ちゃん、ギー・・・・・・・・・・・・・・」
弱弱しく、少女は呟いた。
「私、死にたくないよぉ・・・・・・・・・・・・・」
泣きじゃくる声。それは、ギーゼラとエノラのものであった。
クィルはその手に抱く力を強めた。メウリエダの身体は、とても軽かった。
「死んゃ厭だよ、メウ・・・・・・・・・・・・」
エノラがギーゼラを抱き上げ、姉妹の近くに持ち上げる。双子の姉妹は手を重ね合わせる。
冷たい手。その冷たさに、ギーゼラは子どもながらに死の恐怖を感じ取った。
「ギ-、ごめんね・・・・・・・・・・・・・・・」
そして、その手がだらりと落ちて、ぷらん、と宙を彷徨った。
急激に失われる体温が、非情な現実をクィルに教える。
救えなかった。こんな小さな命一つさえ。
自分の至らなさに、胸がかきむしられる。
託されたのに。彼女を、託されたのに・・・・・・・・・・・!!
唇を強く噛みしめる。血があふれ、地面に零れる。
泣きじゃくるギーゼラを抱きしめ、エノラはもう片方の手で冷たくなったメウリエダを抱きしめた。
時間も忘れて、三人は死者を悼み、泣いた。
メウリエダの墓は、ベスティア大森林の入り口付近で最も大きなユグラドの木の下に埋められた。
ここならば、メウリエダは誰に邪魔されることなく、眠ることができる。
出来ることならば魔族国に葬ってやりたいが、腐敗を防ぐ手立てを知らなかった。
「その魂が、次なる輪廻で幸福であらんことを」
目を閉じ、沈黙する。
三人は静かにメウリエダを思った。片割れを失くしたギーゼラの哀しみは、言いようもないものであった。
早急の空を見つめ、涙をこらえるクィル。
泣いちゃって、メウリエダは戻っては来ない。
嘆いたところで、この現実が変わることはない。
もしも、メウリエダのためにクィルができることがあるとすれば、それは彼女のような境遇の子どもたちを作らないことである。
魔族だからと、医者に診てもらうことすらできない現実。
住処を追われ、逃げるしかない現実。
この世界を変えていくことが、せめて彼にできることであろう。
ギーゼラは死んだ片割れに、華を手向けた。大森林を歩いている時に見つけた、空色の花びらを持つそれ。メウリエダの瞳の色によく似たそれを供え、ギーゼラは一粒の涙をこぼした。
三人は歩き出した。もうすぐ夕刻が迫り、直に闇が押し寄せてくる。闇は魔の時間である。少しでも安全な場所までたどり着きたかった。
ギーゼラは振り返り、手を振ると二度と振り返らなかった。
ユグラドの木々は魔力を発光させる。それはまるで、幼くして死んだメウリエダを悼むようであった。