グラウキエの大宗主
クライシュ大陸の中央に位置するグラウキエ大宗主国。
この世界に存在する神々の中でも、最も多くの信仰者を持つレア女神を祀るレアレス教。
そのレアレス教の聖地がここである。
グラウキエ大宗主国の中心に存在する城の如き建造物。
レス=グラウキエ・コンクード。偉大なる神のために造られた城であり、普段はその代行者たるレアレス教の高位聖職者が滞在している。
かつては教皇や枢機卿といった役職が設けられていたが、今ではただ一人を除いてすべての聖職者は平等である。
無論、役職上の上下関係はあるが、かつてのように利権争いに陥ることはない。
現在、グラウキエ大宗主国、およびレアレス教の教皇に位置する人物はただ一人であり、それはここ数世紀変わることはない。
人々は畏怖し、彼を崇めた。
しかし、彼は教皇、と呼ばれることを嫌ったし、国の主でありたい、とは思っていなかった。
王や皇帝、と言う言葉を嫌う彼に、人々がつけたのは「大宗主」という呼び名であった。
こうして、彼は大宗主、と呼ばれ、今に至る。
さて、その大宗主はどうしているか、と言うと、普段は人々の前には現れない。
人々のみか、聖職者ですらその姿を見る者はいない。
グラウキエ・コンクード上層部に、大宗主はいると言われているが、彼の存在を見たことがある者は皆無であった。
「大宗主様」
グラウキエ・コンクード上層部、天の間。
天の間、と言うだけあり、上層にあり、人々の生活する街々が遥か小さく見える。真正面には白い雲が漂い、太陽への距離も地上などと比べるとはるかに近い。
天の間は緑であふれ、花が咲き誇っている。季節も何も関係なく、一年中咲き誇る花。その異常性を、この風景を見たものは一度は抱く。
その花々の中心、開けた場所に大きな屋根があり、その下には大きな円卓と椅子があった。
その椅子には一人の青年が座り、陶器で茶を飲んでいた。
「ああ、リナリーか」
青年は穏やかな顔で呼びかけた少女を見る。
リナリーと呼ばれた少女は、透き通る水色の長い髪を揺らし、大宗主を見る。
リナリーの仕事は、大宗主の身の回りの世話だ。なぜか知らないが、大宗主は外に一切出ようとはせず、この天の間や、その上層・・・・・・・つまり、このグラウキエ・コンクードの中にいる。
数世紀、もう外に出ていないという大宗主は、どこか浮世離れしていた。
いや、それも当然か、とリナリーは思う。そうでなければ、何百と言う時を生きてはいけないか。
「パラメス国の使者が、大宗主様に、と」
そう言い、リナリーの出した文を、大宗主は一瞥する。
足元にまで伸びた白い髪。鋭い黒い瞳が文をじ、と見る。
文が燃え出す。慌てて自身の手を見るリナリー。だが、その炎はただ文のみを焼き払う。リナリーには暑さを感じないし、傷もなかった。ただ、暖かさだけを感じた。
大宗主は文を焼き尽くすと、再び穏やかな笑みを浮かべる。
「まったく、私は俗事にはかかわらない、と言うことは知っておろう二。いつの世も、私を利用したいものはいるようだ」
そう言い、茶を飲む大宗主。
つまり、あの文には大宗主の気分を害することが書かれていたのだろう。
だが、読んでもいないのに、なぜわかったのだろうか。
リナリーはこの大宗主に仕えて数年たつが、未だに彼のことはわからない。
「・・・・・・・・・・地上は、相変わらず悲しい色をしている」
ふと、漂う雲を見て大宗主は言う。
「数世紀生きてきて、何度もこの世界から哀しみをなくし、楽園を作ろうとしてきましたが、それは私の傲慢に過ぎませんでした」
「大宗主様?」
「リナリー、あなたにも見えますか?今、世界は大きな戦いの中にあります。おそらく、この後の世界を変える大きな渦の中に」
大宗主はそう言い、陶器を置く。
「どれほど過ちを繰り返しても、我ら人間は学ぶことができない。神はとうの昔に我らを見はなしているのかもしれない、とたまに思うのです」
「そんな」
大宗主、と言われる人物がそんなことを、とリナリーは思う。
「大宗主、と言うのも、結局のところ、私を縛り付けるものでしかない。私は理想のため、神のために生きて、いつの間にかそんな存在になった、ただの人間でしかなかった」
大宗主が数世紀も生きている理由は、よくわからない。人間ではある、というがその長寿はエルフ以上である。人々はレア女神の祝福だ、と言うが、大宗主自身はそうは思っていないようだ。
いつか、リナリーがそのことを聞いた時、大宗主は笑って言った。自嘲の笑みを浮かべて、「呪いだよ」と。
「こうやって俗世を離れ、世界を知ろうとしても、見えてくるのは人の浅はかさ、悲しき性。差別、暴力、戦争・・・・・・・・・・。それらすべてからこの世界の人々を救おうなどと、所詮は無理なこと」
大宗主の目は、全てを悟っているかのようであった。
遠い未来か、それとも過去か。大宗主の目は「今」を見ていなかった。
リナリーは何も言えず、ただ大宗主の飲み干した陶器を盆にのせる。そして礼をして去っていく。
ちらりと見た大宗主の目は、追憶の色を宿していた。
グラウキエ・コンクード下層部に戻ったリナリーは、グラウキエ・コンクードの門の前に一人の見慣れぬ男性を見つける。
彼はパラメスの使者として赴いた男性であり、先ほど大宗主の行こう、と言うものを伝えられ帰るところなのだという。
使者、と言うからには身分的にも平民ではないだろう。パラメスは商業国家だから、きっと大富豪の子息なのか、とも思うが、それにしては彼の目は尋常ではない。
まるで、戦争を生業とする者のような眼であった。
黒い髪と黒い目、と言うことも気になる。
そのような身体的な特徴は、イヴリス大陸ではなく、ラカークン大陸のアクスウォード王国の特徴だ。
何やら怪しい印象をリナリーは抱いたが、彼女はその使者をそれ以上は気にはしなかった。
青年、アンセルムスはグラウキエ・コンクードをキッと睨み、次なる目的地に向かっていった。
リナリーは未だ十五歳の少女である。
父親がレアレス教の司祭であり、母が大宗主の前任の世話役だった。それだけの理由で今の役割を押し付けられたのが、五年前。
とはいえ、基本的に大宗主の世話、というものは暇であり、することはない。だから彼女も、普段は大宗主国の学校に通学している。
大宗主国、ということで司祭のための学校もあるが、教養の国、という異名もあるように、勉学も推奨されている。
他国では魔術学園や騎士学校など、いわゆるエリートしか学校に通えないが、ここでは希望者は平民でも人間でなくとも入ることができる。教育費もほとんどを国が受け持ってくれる。
魔術師や騎士を養成する必要はない。なぜなら、クライシュでは数世紀、戦争らしい戦争はないからだ。
時たま魔物が現れたとしても、グラウキエ・コンクードの退魔師が倒す。
そう言う特殊な事情がクライシュ大陸には存在していた。
「おはよーリナリー」
「パティ、ベル!おはよう!」
リナリーは学校の廊下を歩きながら、声をかけてきた級友に挨拶する。
パティもベルもリナリーの親友であり、やはり教会関係者である。とはいえ、この国にいる者のほとんどが何らかの形で教会と関係しているのだが。
「今日も、大宗主様のところ?」
「うん、でもやっぱりすることなくて」
二人はリナリーの仕事を知っている。内密に、とは言われているが、大宗主から友人には教えてもいいよ、と言われていた。
そういうこともあり、リナリーはこの二人の友人には教えていたのだ。
赤い髪のパティは、たいへんねえと呟く。おっとりした黒髪のベルは、いいなあ、とリナリーを見る。
「私も一回でいいから大宗主様に逢いたいなあ」
「無理無理。大宗主様は自分が赦した人以外は寄せ付けないから」
パティがベルに向かって言う。
ちぇ、とベルは言うが、特段悔しそうではなかった。
「でも、なんでリナリーなんだろうね?」
「お母さんがそうだったからじゃない?」
リナリーの言葉に、そうかなあ、とベルは呟く。
そんなベルをよそに、パティとリナリーは違う話題で盛り上がる。
華の十代、そんな話よりも恋や友情、と言ったものの方が遥かに意味がある。
乙女たちは笑いながら教室に向かって歩いていく。
大宗主は今、グラウキエ・コンクード最上階『懺悔の塔』にいた。
最上階は、それまでの豪華絢爛もなければ、彼の普段いる天の間のように、花が咲き乱れるわけでもない。
ただ、無が広がっている。
大宗主の後ろにある扉。それだけが唯一の異物であり、外の世界をつなぐ鍵である。
「・・・・・・・・・」
大宗主は先ほど燃やした文を再生する。
彼の手に炎が宿り、それが文へと変わる。
その文を、大宗主は見る。
「・・・・・・・・・・・・」
文の内容を読む大宗主。その内容は、単なる世間話や外交、という体を装っているが、早い話、戦争協力に関して、であった。
勿論、相手もこれを大宗主が飲むとは思っていないだろう。これを送った目的は一つ、大宗主に会うこと。
「・・・・・・・・これは、パラメスの思惑ではないな」
おそらく、パラメスは利用されていることにすら気づいてはいないだろう。
大宗主は危惧を抱いた。この手紙を書いた真の人物に。
戦争を、災厄をもたらすかもしれない存在を大宗主は感じていた。
まさかその人物がここに乗り込んできた使者その人とはさすがに彼にもわからなかった。
もし、この時点で大宗主がアンセルムスと会い、彼の中に宿るその憎悪を見抜くことができていれば、その後の世界はおそらく違う未来を辿ったであろう。
何もない空間で文を読んでいた大宗主はふと顔を上げる。その顔は険しかった。
彼は後ろを振り向く。
唯一ある下界との連絡口である扉があき、そこから一人の人物が現れる。
赤いドレス。フリルが飾り付けられ、幼さを演出していると同時に、不可思議さを醸し出している。
人形のように可憐で、美しい顔。微笑を浮かべ、その瞳は妖しくきらめいている。幼さの中に、妖艶さを持つ、魔性。
「久しぶりね、大宗主」
「・・・・・・・・・・・・キュレイア」
楽しそうに言った少女とは別に、大宗主は苦虫をつぶしたような顔であった。
キュレイア、と呼ばれた少女はそのまま前に進み、大宗主の前に立つ。
キュレイア。ゾドークの魔神序列五位。別名『慟哭』。
大宗主の腰ほどの背しかない少女だが、その身より放たれる威圧感は、大宗主のそれに勝るとも劣らない。
「久しぶりの再会なのに、うれしくないの?ロイ」
「わかっているはずだ、ルルー。私の君に対する思いを」
そう言った大宗主に、キュレイアは笑う。花の咲くように。だが、大宗主にとってそれは悪魔の微笑にしか見えなかった。かつての面影はすでになく、彼女の居間の姿は大宗主を苛む毒でしかなかった。
「何をしに来たのだ?ベレフォールの地で眠るお前が」
「厭ね、あなたに会いに来た。それだけではいけないの?」
艶やかな唇が光る。怪しくうねる舌。てらり、と滴が堕ちる。
瞬時に身を引いた大宗主。その瞬間、キュレイアの身体が大きく跳躍し、彼の背後に回る。
そして、彼女はその身体を彼に押し付け、その首筋に顔を摺り寄せる。
「・・・・・・・・・・・・・ルルー・・・・・・・・・!」
「ねぇ、ロイ。いつまでそうしているの?知っているはずよ、神様なんていないって」
耳元を這いよる言葉。甘い吐息が、大宗主の鼻を刺激する。
「それでも、私は人間だ。そして、私は諦めてはいない」
「こんな醜い世界、壊して、一緒に生きましょう、ロイ。子供のころのように、永遠に」
そう言うキュレイアを大宗主は否定するかのように首を振る。
そして、少女の首を掴むと、強引に引き離し、投げる。
少女は地面に華麗に着地し、微笑む。
「相変わらず、厄介な力。でも、いいわ」
少女は立ち上がる。
「いつかあなたは私のところに戻ってくる。それは、変わりようのない真実」
「何があろうと、それはない」
「ふふ、そうかしら?」
キュレイアは笑うと、扉に向かって歩いていく。
背を向けたキュレイアを殺そう、とは大宗主は思わなかった。
本気で戦えば、自分がキュレイアに殺されることはわかっている。彼女が自分を殺さないのは、いつでも殺せるから。
「キュレイア」
「赦しはしないわ」
声をかけた大宗主を見ずに、少女は大きな声で言う。
その声は、先ほどまでとは違い、大きな憎しみがあった。
彼女の、偽りのない思い。
「私を拒絶したあなたも、私たちを引き裂いた神の運命、というものも、世界すべても」
絶望に溢れる少女の声。少女の声に宿るその痛みを、憎悪を、絶望を受け止めるだけの器を、大宗主は持っていなかった。
当然、それに対する答えも、大宗主は持ち合わせていない。
沈黙を返す大宗主を残し、キュレイアは消えた。
「神よ、これが私への罰なのか・・・・・・・・!!」
幾百年、何度となく繰り返された問いをせずにはいられない。
しかし、そのたびに返された答えは沈黙のみ。この世界に神はいない。それを知っているのに、それでも大宗主は答えを望むことしかできない。
沈黙が、ただもたらされる。
失意に沈む大宗主を慰めるものは誰もいない。