騎士に憧れた少女
弱き人々のために剣を振るうその姿に、少女は憧れた。
人の盾となり、誇りを胸に生きるその姿を少女は求めた。
おとぎ話の英雄のように、絶対的な力がなくとも脅威に立ち向かう姿は、幼い少女の心を魅了した。
少女は女性らしい趣味は一切興味を示さず、男の子たちに交じって遊び、彼らとともに野を駆けた。
腕っ節の強い子どもも、まるで彼女の前には敵わなかった。
とはいえ、そんな彼女は皆から慕われていた。
決して驕ることなく、努力し続ける彼女の姿を皆が知っていた。
彼女の親は、落ちぶれた元貴族で、美しい自分の娘にいわゆる淑女の教育をしようとしていたし、昔の栄光を知る親族も同様であった。
汚らしい平民の子どもにまぎれ、あまつさえ男のようにふるまうなど、赦されることではなかった。
それでも、少女が自分の意思を曲げることはなかった。
彼女の目は常に見果てぬ夢に向いており、過去を顧みることしかできない大人を哀れにすら思っていたのだ。
少女はこの日、街の丘の向こうの学校から帰る途中であった。
貧富問わず教育を受けられる学校。ある程度の教養がないと、他国と同じレベルに落ちる、ということでこの制度は始まったらしい。
基本的に皆ここを通うように言われているが、農民の子どもや奴隷の子どもなどは通っていないのが往々であった。
事実、彼女の友人たちのほとんどは、今この時間は農作業の休憩中か、息抜きに遊んでいることだろう。
少女とて、彼らに交じり遊ぶことが嫌ではなかったが、彼女には学校に通う理由があった。
学校を卒業し、軍学校に進むのだ。
この国の「騎士」として認められるにはまず、軍学校での教育を受け、さらに騎士試験と言うものを突破しなければならない。
軍学校は学校さえ出ていれば、通うことができる。逆に言えば、学校を出ていなければ入学はできない。
いくらコネがあろうと金を積もうと、軍学校に入るには学校を出ていなければならない。学校にも通わない知識ないものが入ったとしても、信念も何もない、ということらしい。
軍学校に進むのは、学校にさえ行けばいいだけだが、騎士試験はそうもいかない。
普通の兵士と違い、騎士と言う身分は名誉ある称号である。
騎士とは、誇り高き国の守護者。多くの特権を持つが、その分、高潔な精神と高い技能、優れた身体能力を求められる。
過酷な試験内容と、試験通過後の訓練の厳しさ故に、毎年騎士になれるものは一桁である。
他国では容易に騎士と名乗れるが、この国では多くの過酷があり、それを乗り越えたものだけが騎士の称号を得る。
アノガイール王国の騎士は、伝説にも残る騎士アノガルによって興された国。
かのセウス王の円卓騎士団にも籍を置いた高潔なるアノガルの精神は、未だこの国の騎士たちによって脈々と受け継がれている。
少女は頭の中で、自身の持つ騎士の知識を描く。
何度も本を読み、憧れた。
かつて、自分を救ってくれた騎士のようになりたい。あの日からずっとそう思ってきた。
「おーーい、レヴィ!」
少女、レヴィア・クローシュトは前方で手を振る少年たちを見る。
皆、顔や手足に泥をつけ、服も汚れている。土と山の匂いを漂わせているが、少女にとってそれは不快なものではなく、むしろ好ましいものともいえる。
「学校終わったんだろ?あそぼーぜ!」
そう言って笑う少年たち。
少女は頷きながら、駆け寄っていく。
なんだかんだと入っても、まだ少女は十歳になったばかりの、遊びたい盛り。
軍学校に入るとしても、残り四年はここに居なければならない。変に焦る必要はない。
諦めなければ、きっと夢は届く。
少女はそう信じていたから。
「レヴィア、またそのように汚れて帰ってきたのですか」
「お母様・・・・・・・・・」
こっそり家に帰って自室に行こうとした少女を見つけて母親がぴしゃりと言う。
母親はお世辞にも美しい、とは言えない。かつての美貌はもはや過去のものとなり、やつれ皺だらけの顔になっている。家の没落とともに、母の内面も外面もがらりと変わってしまった。萎れた花だ、と少女はいつも思っていた。
少女を見て、妬ましそうにしている。少女のその瑞々しい肌に嫉妬しているのだ。
(子どもに嫉妬なんて)
そんな女性が自分の親、とは思いたくはなかった。
「さっさと身体をお洗い。下民のようなにおい・・・・・・・・・・おぞましい」
そう言い、自分の部屋に向かう母親を見て、少女は静かに返事をして自室に入る。
父親はいないようだった。また、どこかで酒でも煽っているのだろう。
父も母も、愛と言うものを持ち合わせているようには見えなかった。
政略結婚で結びついた男女だから、仕方ないかもしれない。そんな二人の間に生まれた、ということは少し、寂しくもあるが、自分はまだ恵まれている。
生まれてすぐ身売りされたり、殺されたりしないし、それなりに幸せだから。
家では狭苦しいが、街では大人もやさしいし、同じ年頃の友達もたくさんいる。
そういう優しい人々を守れるだけの騎士になりたい。
(あの人のように)
いつか見た、騎士の背中。あの背中を見た時から、少女の夢は始まった。
(いつか、追いついて見せる。あの背中へ)
少女の運命は急変を迎えた。
少女が十二歳の時、突然彼女は見も知らぬ男の下に引き取られることになったのだ。
少女のすむ街より北にある街の豪商で、少女を養女にしたい、ということらしい。
この申し出を、父親たちは喜んでうけた。
十分な金。とりあえず、数年は安泰であり、かつてのような贅沢ができる。そんな誘惑から、少女を売ったのだ。
周辺の街の人々からの非難もものともせずに、彼らは少女を売った。
抵抗する少女に手こずりはしたが、所詮は子供であった。
少女は意識を奪われ、早急に隣町まで馬車で連れて行かれた。
目を覚ました時、少女は妙なデザインのドレスを着ていた。
悪趣味、というしかない変な飾りの数々。
彼女の前で、醜悪な顔をしている男。外面よりも、その内面のひどさを少女は直感的に感じていた。
起きた少女に、自分が父親だよ、と媚びへつらったかのような声音で男が言う。
だが、その言葉は少女には入ってこなかった。
少女にとって大事なのは、この男のせいで自分は学校に行けない、と言うこと。
それはつまり、騎士に慣れない、ということだ。
男の話を聞くと、自分を外に出してはくれないのだろう。
それに、ここは少女のすんでいた町ではない。
(ああ、最悪)
少女は息をつく。
こんなくだらないことで、夢が潰えるなんて、と。
(逃げ出してやる)
男がどんな目的で自分を置いているのか、わからない少女ではなかった。
少女は自分を可憐な女の子、とは思っていなかった。しかし、女である以上、そう言った欲望の対象になる、と言うことは知っていた。
自身を奉げるにしても、両者の同意あってこそ、と少女は考えていた。
物語のヒロインを気取るわけではないが、それが男女関係のあるべき姿だ。
少女は部屋の中を見る。
部屋は二階で、窓もある。
木こそないが、カーテンが何枚かあり、それをつなげば、地上に下りれるながっさとなるだろう。
少女の体重ならば、このカーテンで支えられるだろう。
剣の一本、いやナイフでもいい。せめてそれがあれば、街まで帰れるのだが。
とはいえ、その機会を待っていたら、どうなるか知れたことではないし、学校に行けない。
少女は決心して、カーテンを急いで繋ぎ合わせると、窓からそれを放り出し、伝っていく。
地上に難なく降りた彼女だが、そんな彼女を易々とは返すつもりはなかった。
家の主は、少女のお転婆を父親から聞いており、彼女の脱走を半ば承知していた。
そこで、家の主は趣味で飼いならした魔物を番犬代わりとして庭にはなっていた。
ケベリア。獰猛な猟犬であり、比較的飼いならしやすい魔物だ。
少女はそれを見て、舌打ちをする。
殺しては来ないだろうが、多少痛めつけてもいい、としつけされているのだろう。
三頭の猟犬が少女にその紅く光る眼を向ける。
剣さえあれば、少女にもどうにかできるのに。
じり、と後ずさりした少女に、犬たちが跳びかかる。
足の速さでは、犬には敵わないし、体力も子供である少女よりはある。
(厭!)
捕まって、夢を奪われるなんて、嫌だ。
少女はそんな思いで必死に走る。
だが、獣たちはすぐ後ろまで迫っていた。
(時が、止まってしまえばいいのに)
少女が願うように空を見上げた。流れる雲。それが、ピタリ、と止まる。
そして、襲いくるはずの痛みが来ないことに疑問を抱いた少女は、後ろを見る。
犬たちは、少女に跳びかかり、宙に浮いた状態で静止していた。
魔物だけではない。世界のすべてが止まっていた。
風に乗る葉は天高くで止まり、時間の針は進まない。
(これが、私のスキル?)
スキルの発現。
少女は自身のスキルをこの時まで知らなかった。スキルさえあれば、いずれわかる。そう思っていたから。
それに、スキルを知るためにスキル占い師を雇う金も、彼女の家にはなかったのだ。
(時間を止める・・・・・・・・・?)
少女の発言した力はあまりにも強かった。
スキルの発動時間は、どうやら一分やそこらではないらしい。
強力な力だ、と少女は恐れを抱くも、同時に神に感謝した。
おかげで、ここから逃げられるのだから。
少女はその町を出ると、時間よ、動け、と強く念じた。
世界の針は進みだし、止まった時間が解凍する。
街に戻った少女だったが、そのまま彼女を実家に戻すことには多くの待ち人が反対した。
地方領主であり、公明な人物として知られるヨ-フェン男爵により、少女は両親から引き離され、別の人物に預けれらることとなった。
少女が騎士を目指している、と言うことを聞いた男爵は、友人であり、騎士であった人物に預けたい、という旨を少女に伝えた。
街街を離れる必要もない、ということから少女は喜んでそれを受けた。
両親や親族は街での風当たりを受け、少女を置いて出ていった。少女を養子に、と言う声は多かったが、元騎士、と言うこともあり立派な人物だろう、と判断したのだ。
こうして数日後、少女はその人物のもとを訪れた。
街より少し離れた森の入り口にある小屋。そこに彼は住んでいた。
その人物の名を聞いた時、少女は驚きに目を見開いた。
少女を出迎えたのは、四十代後半の男。
逞しい顔で、黒い髪を刈上げている。厳しさと優しさを感じさせる眼であった。氷を思わせる、アイスブルーの瞳。
「君が、レヴィアくんか」
「は、はい、剣聖ヨランダル=ツィリア様」
そういい、少女レヴィアは頭を下げる。
現剣聖ヨランダル=ツィリア。騎士アノガルとともに、セウス王に仕え、セウス王より「ツィリア(剣匠)」の名を賜ったツェツィーリア=ツィリア。彼はその家系の出身であり、歴代最強の剣士として知られる。
今では長年の病で剣を持たなくなり、騎士職を辞していた。しかし、その名を少女は知っていた。
そして、彼こそが少女が騎士を目指すきっかけとなった人物であった。
野山で遊んでいたレヴィアたち。
平和な町、少し外に出たくらいでは魔物と遭遇することはめったにない。
そんな時、子どもたちを襲ったものがいた。
危険種、と呼ばれる恐るべき魔物であり、名をヘルガムラッハと言う。
天すらも飲み込む魔狼であり、並大抵のものでは倒せぬ魔神なみの化け物。
それが、現れた。
天災とも呼ばれるこの魔物は、まさしく予測できない存在であり、対策の使用もなかった。
そんな魔物によって、少女たちは喰われかけた。
死の恐怖に泣き叫ぶレヴィア。そんな彼女を救ったのは、たまたまこの地を視察に来ていた領主の付添できていたヨランダルであった。
剣聖は一人でこの魔狼と立ち向かい、撃退した。
子どもたちをその身を盾にして守り、剣で敵を薙ぎ払う。
その姿に、少女は深く感銘を受けた。
その後、街をすくった英雄に、街の人々は感謝した。下手をすれば、子どもだけでなく、街一つさえ滅ぼす魔物。それを撃退したヨランダルを、街の人々はたいそう感謝した。
後年、ヨランダルは病で職を辞し、その後の行方は知られていなかったが、まさかこんなところにいようとは少女は思いもしなかった。
「君は、ああ、そうか。あの時の子どもか」
優しい目で男はレヴィアの頭を撫でる。
レヴィアは興奮治まらない様子で彼を見る。
「あの、私、あなたに憧れて騎士になりたいと思ったんです!」
少女は上ずった声で言う。ひたむきで夢中になっている少女を見て、ヨランダルは笑う。
騎士になりたい、というものは、大抵が名誉や地位にこだわるものばかり。いくら誠実であれ、民の盾であれ、といえども、そんな信念を持つ者は少ない。
しかし、この少女は違う、と剣聖は感じていた。
きっと、この少女ならば、真の騎士になれる。
長年、多くの騎士を見てきた彼にはそれがわかった。
「そうか、ならば私が君にもてるすべてを教えよう。そして、必ずや騎士となるのだぞ」
「はい!」
この日、レヴィアは剣聖ヨランダル=ツィリアの養子となった。
そして二人は家族として、師弟として同じ時を過ごすようになる。
ヨランダルの説く騎士の在り方、剣の技術、知識。あらゆるものを取り込んだレヴィアは軍学校に進み、騎士試験を歴代最年少で突破。
初の女性騎士としてアノガイール王国で知られるようになる。
そして、レヴィア二十一歳の時、剣聖ヨランダルより正式にその名を譲渡された。
剣聖レヴィア=ツィリアと呼ばれる女性は、その後、アノガイール王国の騎士として、最強の剣士として世界に知られるようになった。
しかし、その後彼女が魔神に堕ち、序列第四位という恐るべき存在になるとは、彼女を含めた人々は知る由もなかったのだ。
今から、五百年ほど前の話である。