転生の魔女
この世界の夜に浮かぶ月は、時たま、血のように真紅に染まることがある。
紅い月は運命の女神アテンシャを象徴する。
運命。それは時に不吉なものである。アテンシャは慈悲深き女神とされるが、実際のところ、嫉妬深く怒りっぽい神で、もとは戦争の女神であったらしい。
そんなアテンシャの月が出るころ、私は生まれる。
そう、いつもいつも。
私の今生での名はクローリエ。
今生、ということはつまり、前世がある、ということだ。
この世界では、あらゆる生物が転生のサイクルに存在する、と言われている。
それが実際そうなのかは、今でもわからない。
転生しているのにわからないのは、飽くまで転生の記憶を持つのは私だけだからだ。
私だけが例外なのかもしれない。
私のスキルは、どの人生でも決まっていた。
『転生』。それが私のスキルだ。
好き勝手に転生するわけではなく、私は転生の際、知識を次の人生に持ち越すことができる。
いつのころからか、私はこの転生のサイクルの中に組み込まれ、生きてきた。
もはや、どれほどの人生を過ごしたかもわからない。
少なくとも、数千年前の人魔大戦(またの名を退魔大戦)や逢魔大戦と言った今では古代に分類される時代の知識を有しているから、多分そのぐらいからなのだろう。
私の魂は、常に同じ形、同じ波動を有しており、その外見と言うのも、さほど前世から変わらないらしい。
そのため、前世の知り合いなどは見ればすぐに私が『転生の魔女』であることを察する。
まあ、人間やエルフに私が魔女と知る者はいないのだが。
今生も私は人間族として生まれたが、はっきり言って私は人間と言うものにほとほと絶望している。
その前の前はエルフであったが、そのまた前では魔族として生まれ迫害された。それで人間の業の深さ、を体験したのもあるし、それまでの転生でいろいろと醜いものも見てきた。
だから、私は人間という実感がない。
それに、ある魔神に言わせれば、私の魂はもはや人間のそれとはかけ離れた「別物」らしい。
まあ、魔神がそう言うならばそうなのだろう。
なんだかんだ言ったが、結局、私に特別な力、と言うものはない。
少し変わったスキルがある、その程度。
あとは古の知識を持つ、と言うだけ。
だからはっきり言って、スペックそのものは普通な私は森の奥深くでひっそりと暮らしている。
今生の両親は流行病で死んだ。
そして、私はなぜか村を追い出された。
なぜか今までの人生で一度は必ず生まれ育った地を追い出される。
これはもはや、運命の女神の悪戯に違いあるまい。
私の生まれる日が深紅の月の日、というのも運命女神の仕組んだことだろう。
運命女神は何の恨みがあってこのようなことをするのか、まったくもって理解に苦しむ。
しかし、人間の中で暮らすことは億劫でしかないので、かえって好都合。
私はいくつもの人生にわたって使ってきた「霧の山脈」の私の家に向かった。
転生の魔女の家、として一部では有名だが、ここは古代魔法により、私と魔神以外は近づくことができない。
魔神たちは私がいない限り近づかないから、とりあえずここがなくなったり、ということはない。
全快の人生から数十年たっているためか、少し埃はたまっていたが、問題はないようだ。
私は掃除をすると、どかりと懐かしの寝台に身を沈める。
私が家に帰って二日目。
はっきり言ってやることはあまりない。
書物を読もうにも、目新しい本はないうえ、今までの人生で読んだ本の中身は私の頭に入っている。
知識だけは無駄に詰まっている。
やることはあまりにもない。
魔女、と言う割には人間の域を出ない魔力量しかないので、大したこともできない。
はっきり言って暇だ。
いっそ、この『転生』の際の記憶を消してくれてもいいのに。そうすればもっと新鮮に生きれるものを。
と、いるかどうかもわからない神に愚痴を言う。
ああ、暇だ。
三日目。
何となく、物語でも書こうと思い、紙に綴っていると、来客を知らせる音が家に響く。
結界に何者かが触れた、という音だ。
おそらく、魔神の誰かだろう、と思い、私は立ちあがり、玄関に歩く。
私が扉を開く前に、扉は開く。
「転生の魔女よ、戻ったようだな」
「・・・・・・・・・・・ああ、久しぶりだね。ダウク」
目の前に立つ、長身の黒狼頭の男。名をダウクと言う。
ゾドークの66魔神序列10位『月光』のダウク。
私と最も付き合いの深い魔神である。
「今生の名は?」
「・・・・・・・・・・クローリエ」
「なるほど、ふむ、あいかわらず普通の名前だな」
「・・・・・・・・・・うるさいなぁ」
少し拗ねたように言う私にダウクはニヤリと笑う。
「赦せ。序列第11位『転生』のクローリエ」
そう言い、私の頭をガシガシと撫でる。
十代後半ではあるが、女子としては高身長の私も、この大男からすれば子供なのだろう。
ちなみに、序列11位ではあるが、私自身にそこまで力はない。それにゾドーク66魔神では11位は『転生』のアティアとなっている。アティアとは、ゾドークに会った時の私の名だ。
「相変わらず、私が帰ると真っ先にあんたは来るね」
「それはそうだ、何せ私の任務だからな」
ダウクの任務、とは魔神の近況などを確認することである。
魔神と言うものはその多くは他者に頭を下げ、仕えるという行為を嫌う。
しかし、ダウクはその獰猛そうな外見とは異なり、非常に知性溢れ義に厚い魔神なのだ。
彼はこの霧の山脈の中に存在する世界最高峰の山オリュンにいる魔神ハーイアに忠誠を誓っており、彼の右腕として暗躍している。魔神ハーイアはすべての魔神の頂点に立つ存在であり、普通の人間も魔神も目にかかることはできない。それができるのは、彼もまた実力ある魔神であるからだ。
『転生の魔女』の知識は非常に強力なものなので、それが人間族や他の魔神にわたることを警戒しているのだ。
私が転生するたび、なぜかダウクは私を一番に見つけ、私に他の魔神や人間たちが近づかないようにしているのだ。
番犬、と言えば頼もしいかもしれないが、私のプライベートにもずかずか入り込むため、厄介だ。
とはいえ、こいつのおかげで私は今までの人生で病死や老衰以外の死因がないのは事実。
下手にヒトの争いに巻き込まれずに済んでいるのかもしれない。
「・・・・・・・・・・・まだ、思い出せぬか」
「何か言った?」
ダウクの呟き。あまりにも小さい声であったため、私は聞き返す。
黒い犬頭の魔神は静かに頭を振る。
「いや、なんでもない」
そう言うと、ダウクはゆっくりと天を仰ぐ。
今はまだ朝方であるため、月は見えない。
ダウクの二つ名『月光』。その名から推察されるとおり、彼の魔神としての本領が発揮されるのは月の出ている夜だ。
月の明るさによって彼の魔神としての力は強くなる。満月時は、絶大な力を発揮する、らしい。
らしい、と言うのは私がそれを見たことがないからだ。
実際のところ、ダウクがどれほどの強さなのか、イマイチ私には想像もつかない。
「魔女よ、私はいつも通り、渓谷にいる。用があれば呼べ」
そう言うと、ダウクの姿が消える。
渓谷とは、この家より少し離れた場所にある寂しげな場所。
暗黒が満ちるそこが魔神ダウクの住処。
私が転生するたびに、彼はそこに棲みつく。
一度だけ、訪れたことがあるが、非常にそこは悲しみに満ちていた。
ダウクの悲しみを私は知る由もない。
その夜。
私は夢を見る。
夢であるのに、私の意識ははっきりとしている。これは夢だと、しっかりと認識できる。
私はその夢の中で、観察者であった。
夢の中では、何千、何万の軍勢がぶつかり合っていた。
もしや人魔大戦か、逢魔大戦時の私の記憶か、とも思ったが、私の記憶にこんな戦いはなかった。
闘っているのは、見たこともない人種であった。
両軍ともに、人間ともエルフともドワーフとも、ましてや魔族にも見えぬ種族で構成されている。
両軍はともに拮抗し、決定打に欠けている。
そんな中、状況を決するため、両軍の将が前に出てくる。
一人は、黒い甲冑に身を包んだ長身の男。両手にそれぞれ大きな漆黒の鎌を持つ。
頭部の兜の形状は歪であり、狼の頭部をかたどっている。
もう一人は、純白の衣で全身を覆っている。顔は隠れており、形のいい瑞々しい唇だけが覗ける。
二人の将は人一人分ほどの距離にまで近づくと、静かに口を開く。
「このような形で、貴様と決着をつけることとなろうとはな、アテンシャ」
「そうね、ゲシュトゥ。できることならば、このような形だけは避けたかった」
黒い甲冑の男は表情こそ見えないが、どこかさびしげであった。
純白の衣の女の口元も、何かを耐えるかのようにきつく結ばれている。
「ゲシュトゥ、光と闇が相容れることなど、決してないのかしらね」
「どうであろうな、アテンシャ。今となっては、それすらもどうでもいい」
そう言い、黒甲冑の将は静かに両手の鎌を構えた。
「我は我が主のために、貴様を倒し、天にいる『造物主』を倒すまで」
「ならば、私はあなたを倒し、父の光を地上にもたらしましょう」
アテンシャと呼ばれた女性はそう言うと、背中より純白の穢れなき翼を出して、天に舞う。
アテンシャ、ゲシュトゥ。
いずれも、今現在の世界でも名の知れた神である。
ゲシュトゥと言えば、アテンシャの宿敵、ともいえる神で「月」の神で、勝利と再生を象徴する。
私はあまり神を信じてはいない。だから、神が存在したとも、するとも思っていない。
そんな私がこんな夢を見るはずはない。
つまり、この夢を見ている、と言うことは恐らく私が経験した記憶、と言うことなのだろう。
だが、私自身にこのような記憶はない。
ならば、これは誰の記憶だろう。
私が物思いに耽っていると私の眼前で、神の名を持つ者たちが戦い始める。
ゲシュトゥの漆黒の鎌が、風を巻き起こし、アテンシャを襲う。
だが、アテンシャは無数の光弾を衣の袖から放ち、ゲシュトゥに攻撃する。
「ふぅん!」
ゲシュトゥは容易く光弾を切り裂くが、その数は多く、一気に切り払えない。
アテンシャはその間に片手を前にかざす。
五指の先から、光の爪が現れる。
未だ光弾を相手に苦戦するゲシュトゥに向かって、飛翔する。
休息に近づくアテンシャに気づき、ゲシュトゥは鎌の一本を勢いをつけて投げつける。
光弾を切り裂き、アテンシャへと向かっていく鎌。
回転し、高速で向かう鎌は、意志があるかのように、アテンシャを襲う。
アテンシャは翼を羽ばたかせ、一度は避けたが、空中で弧を描き、最接近した鎌によって片翼を斬り飛ばされる。
「う、く・・・・・・・・・・・」
堕ちるアテンシャ。しかし、片翼と、半ばになってしまった翼で、何とかゲシュトゥの方向に向くと、そんまま光の爪を構える。
そして、重力に任せてゲシュトゥの黒い甲冑を切り裂く。
黒い鎧を切り裂き、皮膚を切り裂いた。血が美しき女の顔に付着する。
ゲシュトゥの兜の奥の、黄色の光が強く輝く。
彼の兜に、女の目から零れた滴が当たる。
「アテンシャぁあああああああああああああああああっ!!!!!」
「ゲシュトゥうううううううううううううううううううう!!!」
二人の将は互いの名を叫びながら、己の武器を振りかざす。
どちらも、一進一退の攻防を繰り広げる。
アテンシャの左腕が飛び、ゲシュトゥの右腕が引き裂かれる。
それでも、二人は戦いを辞めない。
ここで引くわけにはいかないから。
負けたら、彼らの守るべき民が死ぬ。
互いの種族のために、二人は戦う。
かつて、ともに隣で笑いあい、将来を誓った仲だとしても。
なぜかは知らないが、私の目からは涙が出てくる。
まるで、二人の気持ちがわかる、と言う風に、
涙が、止まらない。
「なんで、私はこの二人のことなんて、何も知らない、はずなのに・・・・・・・・・・・!!」
初めての事態に、私は戸惑う。
そんな私は、ついに決着がつく瞬間を目撃した。
寄り添うように戦場に立つ二つの影。
両者の胸を、光の爪と鎌の刃が貫いていた。
「アテンシャ、なぜ、俺の首を獲らなかった?そうすれば、お前が死ぬことはなかったろうに」
黒い甲冑の男は、両目から血の涙を流し、くぐもった声で言う。せき込み、兜の中では血反吐を吐いているのだろう。
純白の女は、フードに隠れた顔を見せず、静かに血に濡れた唇を歪めた。
「あなたこそ、何度も私を殺せたはずです。まったく、無敵のゲシュトゥの名が、泣きます、よ」
そう言い、残った右腕を胸から抜き取ると、血まみれた手でゲシュトゥの兜を撫でる。
「最期に、あなたの顔を、見たいわ」
「・・・・・・・・・・・・ああ、俺も、だ」
そう言い、アテンシャはゲシュトゥの兜を取り、
ゲシュトゥはアテンシャの被るフードを下ろそうとした。
そこで、私の夢は終わった。
「いやあああああああああああああああああああああああああああ!!!」
私は跳び起きると、絶叫した。
そして、震える身体を抱きしめる。
両の目から零れる涙。
「どうした、魔女よ」
私の部屋の扉を開けてダウクが現れる。
いつものように、冷静な彼を見て、私は正気に戻る。
まるで、現実にあったかのように、私はそこにいて、それを見ていた。
「・・・・・・・・・・・・・なんでもないわ、ダウク。悪夢を、見ただけ」
「悪夢?お前ほどのものが、か」
いぶかしげなダウクに手を振り、私は言う。
「もう、大丈夫よ、ダウク。ごめんなさい、わざわざ」
そう言い、項垂れる私。
ダウクは静かにその黒い狼の顔を背けると、消えていった。
私は窓から外を見る。
未だ、太陽は現れていない。
暗黒が空を覆い、血のような深紅の満月が、地上を照らしている。
「あなたは、いったい・・・・・・・・・・・」
女神の名を持つアテンシャ、と言う女性と同じく神の名を持つゲシュトゥ。
知らないはずの彼らのことが、胸の中から離れることはなかった。
そんな私を、ただ静かに黒い魔神が見守っていようとは、私は気づいていなかった。