クィルとエノラ
セアノ王国から逃げ出したクィルとエノラ。
セアノ王国とは同盟関係にあるアクスウォード王国の姫であるエノラと、魔族であるクィルを追うために追跡部隊が向けられており、二人はそれから逃れながら、東に向かっていた。
二人が目指す場所は、ラカークン中央にある、森林に囲まれた魔族の楽園、魔族国であった。
魔族国は地理的な問題で、その安全を保障されている。そこまで逃げ切れれば、二人の勝ちである。
だが、相手方もメンツの問題があり、二人を追うことに躍起になっていた。
クィルは魔族と分からないよう、フードで顔を隠していた。人間であるエノラがいるおかげで、周囲は彼が魔族とは思っていない。手配書が出回っているが、田舎などではいまだに手配書自体が回っていないため、二人を見てもただの旅人としてしか人々は認識していないであろう。
途中何度か追手に追いつかれはしたが、そのたび二人は窮地を抜け出してきた。手を取り合い、二人は楽園を目指して進んでいく。
セアノ王国脱出より数日後。アクスウォード・セアノとの同盟国である小アーシアに二人は入国した。
危険な砂漠地帯をどうにか乗り越えた二人は、人の多い街道を避けて東に向かう。
時に野宿をした。二人身を寄せ合い、月明かりを頼りに過ごした。
「まったくしつこいことだね」
そう言い、エノラは木陰から後ろを窺う。彼女たちを追う部隊の一つであった。
エノラを連れ戻し、クィルを殺したいのだろうが、そうさせるつもりは全くなかった。エノラは自分の信念を曲げることをよしとしない頑固者であったからだ。黒髪の少女はクィルに不敵に笑みを向けた。
「まったく、あんたはすごいよ」
「ありがとう」
二人はそう言うと、闇にまぎれ動き出す。けれど、そうやすやすと猟犬たちはそれを見過ごしはしなかった。
「いたぞ!」
「鼻が効く猟犬だな!」
すぐさま二人に追いついた軽装の兵士たちを見てクィルは言う。そして、片腕を竜化させると、兵士たちの前に突き出す。紫色の鱗に包まれたその腕は、兵士たちの持つ武器を受け止め、弾く。
その間に兵士たちの横に回り込んだエノラが魔力で作った刀で兵士たちを斬る。命こそ奪われないが、これでもう彼らの兵士としてのキャリアは終わりだ。
エノラは剣のつばで兵士たちを昏倒させる。クィルもその腕を振り回し、兵士たちの意識を刈り取る。
「こいつら、どうする?」
「放っておこう。時間が惜しいからね」
エノラはそう言い、刀を魔力に戻す。さすがに同族を殺すことは気が引けた。彼らはただ命令に従ってのことだからだ。
だが、いざとなったら殺すだけの覚悟はあった。クィルの身に危険が及んだならば、彼女は躊躇しない。
それは、クィルも同様であった。
二人の絆は、この数日間でさらに強固なものとなった。
クィルはエノラに話をする。
彼の母親についての話であった。
クィルの母は人間であった。田舎の領主の一人娘であり、蝶よ花よと育てられたらしい。純粋無垢な少女であり、あらゆる生命を慈しんだ。
珍しいことに彼女は魔族に対し、偏見を持ってはいなかった。実は彼女は幼少期よりよくもいの中で魔族と会っていたから、らしい。真偽は不明であるが、彼女は魔族に対しても人間に対しても、等しく親愛を抱いていた。
そんな彼女が魔族に対し、愛を抱くのも当然であった。
ある時、クィルの父が彼女の住む場所に現れた。インヴォテールの青年は今のクィル同様、人と魔族の共存を夢見、人間世界に飛び込んだ。けれど、そんな彼を待っていたのは迫害であった。
人間を殺してはいけない、と思い、父は何も抵抗しなかった。そのために、身体は傷だらけであり、その意識も途切れかけていた。
運が悪ければ、そのまま死ぬところだったが、そんな彼をクィルの母、サーシャが見つけた。
彼女は使用人に見つからないように、彼を匿い、かいがいしく世話をした。
そんな生活を一か月もの間続けた。
いつしか二人は互いに愛情を抱き、そして結ばれた。
しかし、何時までもこのことを隠すことはできなかった。
二人の噂を知った地方領主はそれを恐怖に感じ、自分の娘ともども魔族を殺そうとした。
娘を愛してきた人々は突如敵となり、二人を殺そうとした。
サーシャと青年はわずかな荷物を持ち、魔族国に向かおうとした。
けれど、魔族国を手前にして、サーシャはそれを拒絶した。
どうしてだ、と問う青年にサーシャは言う。
「たとえ魔族国に行ったとしても、そこでもあなたと私は異端者として見られることとなるでしょう。そのようなことは耐えられません」
「愛さえあれば・・・・・・・・・・」
そう言った青年に、寂しげに彼女は笑う。
彼女は青年が時期に魔族国の数ある一族の一つの党首になることを聞いていた。そんな彼の人生を不意にする足かせになりたくはない。そう思ったのだ。
それに、魔族国は何物でも受け入れると言うが、人間に対してはそうではなかった。
そんな中で、生きていけるだけの自信がサーシャにはなかった。
「だから、いつかそんな世界を作って。そうしたら、私はあなたのもとに駆けつけます。必ず・・・・・・・」
そんな彼女の言葉に、インヴォテールの青年は無言で彼女を抱きしめ、約束した。
「わかった。約束しよう。いつか、家族みんながともに過ごせる世界を作る、と。だからそれまで、待っていてほしい」
「はい」
二人は最後に長いキスを交わし、そして二度と直接会うことはなかった。
サーシャは父親から隠れ、とある村で過ごしていた。その村で過ごしているうちに、彼女は自分の身体に起こった異変に気が付いた。
彼女は自分が妊娠していることを知ったのだ。
サーシャは一人で子供を産んだ。その子どもこそが、クィルであった。
クィルの姿は、見るものが見れば魔族と気づく。故に彼女は息子を守るため、秘密にした。
けれど、クィルが育つにつれ、それを秘密にすることは辛くなった。
そして、破滅が訪れた。
燃える家から息子を抱いて逃げ出した母。母はそのまま魔族国の前まで逃げ切った。
けれど、その心労がたたり、病魔に侵され死亡した。
人間の女性のことを聞きつけて慌てて駆けつけたクィルの父、ヨトゥンフェイムは変わり果てた妻の姿を見た。そして、彼女が守ったクィルに許しを請うた。
あれが最初で最後に見た父親の涙であった。
以後、彼は魔族国に仲間として受け入れられた。
クィルの語った話に、エノラは他人事とは思えなかった。
立派な人だったのだな、とエノラは思う。人の語ることに惑わされず、本質を見ていたクィルの母。種族を超えた愛。それが赦されることのない世の中を、どれほどクィルは憎んだだろう。
「君が共存を目指すのは、お母さんのため?」
「・・・・・・・・・・どうだろうな。母さんの、安らかな顔。あの顔を、俺は今でも覚えている。父さんの、涙も」
俺はもう厭なんだ、と少年は言う。
「もう、誰かの涙を見たくない。それが、夢物語だとしても、父さんと母さんが夢見た世界を、俺が作らなきゃいけないんだ」
「クィル。君はもう、独りじゃないよ」
エノラがその手をクィルに重ね合わせた。
「私がいる。君と同じ夢を、私にも見せてくれ」
その言葉に、クィルは静かに目を閉じ、そしてポツリと言った。
「ありがとう、エノラ」
流石に数日間も野宿が続き、二人の疲労はたまっていた。
二人は仕方なく、村の宿に泊まることとなった。小アーシアでも田舎として知られる農村。そこの宿はあまり質はよくはなかったが、それでも野宿よりはマシであった。
久しぶりの宿に、エノラとクィルは寛いだ。
そんな二人は深夜、目を覚ます。
この村に魔族が紛れ込んだ、と外では村人が騒いでいる。
「俺のことがばれたのかな?」
「・・・・・・・・・・・いや、違うようだ」
エノラは外に耳を向け、様子を聞くとそう判断した。
「どうやら、魔族の親子がこの村に逃げ込んできたようだ」
時たま、こういった事態は起きる。何らかの理由でそれまでの住処を追われた魔族が迷い込む、と言うことは。そして、たいていそう言ったものが迎える結末も。
「このままじゃ殺されてしまうな、彼らは」
「・・・・・・・・・・助けよう」
クィルが言うと、エノラは確認するように目を向ける。
「そうしたら、私たちのこともばれるぞ、クィル。それでもいいのかい?」
「・・・・・・・・・・見捨てることは、できない」
そう言った少年に、少女はフフ、と笑う。
「そうだな。意地悪なことを聞いたね。しゃあ、行こうか」
二人は支度を即座に済ませて、外へと飛び出した。
村人たちに囲まれていたのは、魔族の親子であった。
母親の腕に抱かれた、二人の幼子。双子の少女の頭部からは小さな角が生えている。
「こいつ、人間のくせに魔族の子どもを産んだのか!神をも恐れぬ異端者め!!」
この村にある教会の司祭はそう言い、蔑んだ眼で母娘を見る。
「さっさと殺そう!この悪魔どもを」
「異議なし」
「殺せ、殺せ!!」
叫ぶ村人たち。怯える娘たちを抱きしめる人間族の母親は、涙を流している。
「ごめんね・・・・・・・・・・」
娘に謝る母を、娘たちも抱き返す。
食事に困り、どうにかしようと思ってこの村に迷い込んでしまった。それが失敗であった。
迫る武器を手にした村人たち。せめて、死ぬときはともに。そう思っていた親子の前に、空から何かが降ってくる。
村人たちは後ずさり、それを見る。
脚を竜化させ、エノラを抱いて現れたクィルが大きな唸り声を上げた。
「なんだ、こいつも魔族か!?」
村人たちはクィルに標的を変える。
エノラを下ろすと、クィルは地を蹴る。
竜化した脚は、常人の知覚できないスピードを作り出す。脚で村人の持つ武器を破壊し、威圧することで恐怖を叩き込む。クィルの前に、数十人の男たちが蹴散らされる。
「何という悪魔だっ」
司祭がそう言い、魔術を放とうとするが、その瞬間、集束する魔力をエノラが刀で切り伏せた。刀を喉元に充て、エノラが睨むと司祭はぺたん、と地面に崩れ落ちた。
「さ、立って」
エノラは母娘を起こすと、彼女たちを誘導する。
それを追おうとする村人を、クィルは鋭い目でにらむ。そして、鋭い牙の覗く口を開き、威嚇する。
ひぃぃ、と怯える村人をもうひとにらみし、クィルも後を追った。
母娘は救い出してくれた二人に礼を言った。
「お助けいただき、感謝します。これも、慈愛の神ニドラのおかげです」
敬遠な信仰者である様子の母親はそう言い、エノラとクィルの手を握る。
その時二人は初めて女性が盲目であることを知った。白く濁った眼は、クィルとエノラを映してはいなかった。
「あなた、目が」
「ああ、はい。病で目を失いまして・・・・・・・・・・」
そう言った女性は娘たちを抱きしめる。
「これから、どうされるので?」
母親にエノラは尋ねる。母親はさあ、と答えた。
「もとより、頼れるものはいません。この子たちの父親は捕まり、殺されました。私も、人間社会からはもう離れた身で、頼れる人はいません。うわさに聞く魔族国。そこに向かおうかと」
「ならば、我々と一緒です」
クィルはそう言った。母親は驚くが、そうですか、と安堵した様子の声でつぶやく。
「でしたら、お願いしても構わないでしょうか?この子たちを、連れて行ってはもらえませんか?」
「お母さん?」
双子の少女がその言葉に驚く。クィルも目を見開き、女性を見た。
「あなたはどうするのですか?」
「私はもう、長くはないでしょう」
女性はそう言い、胸のあたりを示す。
「逃亡生活で、無理がたたり、病が悪化したようです。自分の身体ですから、なんとなくわかるのです。それに、魔族国に行くには、森を行かなければならないのでしょう?娘たちだけでさえ、御二方には負担になるのに、どうして私がついて行けましょうか?」
穏やかな顔で言った女性は、クィルとエノラの言葉に耳を貸そうとはしない。
たとえ、指を差されようとも、この国こそ私の祖国であり、全てであった。女性はそう言い、寂しげに笑う。
「愛したあの人の死んだ場所で、私も死にましょう。娘たちには、申し訳ないけれど」
そう言い、女性は娘たちを撫でた。
死ぬまでともに痛いであろう。けれど、彼女はそれが不可能であることを知っていた。このまま親子がともにいることは、娘たちの未来を奪う行為になる、と。
「ですから、お願いしてもいいですか?あったばかりの方に頼むなど、図々しいにもほどがありますが」
「・・・・・・・・・・・・・・・」
ここまで言われて、クィルとエノラが断れるはずがなかった。
早朝まで、親子はともに時間を過ごし、そして陽が上ると同時に二人は娘たちを連れて魔族国へと向かいだす。
振り返ると、穏やかな笑みを浮かべた女性が手を振っていた。その目からは、止めどもなく涙があふれていた。
泣いている少女たちをそれぞれ抱き上げ、クィルとエノラはもう一度女性をしっかりとみると、背を向け歩き出した。
「エノラ」
クィルは少女を抱きしめる手に力を入れ、言う。黒髪の少女は静かにクィルを見る。
「変えよう。この世界を、何時か、必ず・・・・・・・・・・・・・」
「そうだね・・・・・・・・・・・・」
二つの影が伸びていく。その向かう先は、遠く険しい。